愚痴 (黒)|||シン小説 No.038
人里に降りたのは、久しぶりだった。
誰かとご飯を食べて。
誰かと同じ部屋で朝を迎えて。
コーヒーの湯気を眺めながら、どうでもいい話をする。
そんなことが、こんなにもエネルギーを使うものだったかと、少し驚いた。
同時に、それは確かに悪くなかった。
彼女は、有能だった。
何をやらせても、だいたいちゃんとできる。
気も利くし、頭の回転も速い。
放っておいても、場が回るタイプの人間だった。
ただ、その内側には、使いどころを間違えたエネルギーが溜まっていた。
怒りとか、悲しみとか。
過去に報われなかった何かが、静かに、でも確実に圧を持って残っている。
それは普段は見えない。
けれど、少し深いところに触れると、きちんと出てくる。
しかも、ちゃんとした形で。
だから厄介だった。
あるとき、少しだけ、踏み込みすぎた。
こちらはただ、話を聞いてほしかっただけだった。
少し弱っていて、少し甘えたかった。
それだけのことだったのに、話は思ったより深いところまで潜ってしまった。
彼女は、不安を言葉にした。
具体例はない。
けれど、その感覚だけは、確かにあるらしかった。
理解しようとした。
ちゃんと受け止めようとした。
どこでそう感じたのか、知ろうとした。
でも、それはたぶん、やりすぎだった。
有能で、パワーのあるネガティブは、処理しようとすると、こちらのエネルギーを持っていく。
しかも、正論で来る。
だから、余計に消耗する。
気づいたときには、少し疲れていた。
これは、続けるには、出力が足りないな。
関係には、出力がある。
低出力でも続く関係もあれば、常に高出力を要求される関係もある。
彼女とのそれは、後者だった。
成立はする。
ちゃんと向き合えば、ちゃんとした関係にはなるだろう。
けれど、それを維持するには、同じくらいのエネルギーを出し続ける必要がある。
今の自分には、それがなかった。
おもしろかった、とは思う。
人生でこれほど心が揺れた関係はなかった気がする。
それだけで、十分に価値はあった。
ただ、同時に、終わってほっとしている自分もいた。
おもしろさと、心地よさは、別のものだ。
彼女は、また新しい仕事を始めるらしい。
きっと、そちらにエネルギーを使うべきタイミングなのだろう。
こちらも、無理に関係を続ける理由はなかった。
別れは、静かだった。
誰も悪くない。
誰も間違っていない。
ただ、出力が合わなかった。
それだけの話だ。
人里に降りて、また少し山に戻る。
その繰り返しで、いいのだと思う。
余白は、またできた。
たぶん、また何かが入ってくる。
それに。
僕も『たいがい』だからね。
互いに高出力で、とても充実した日々でした。
ありがとう。
ありがとう。
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