僕なりの 『もののけ姫』 は、 アダルトな 『おのろけ姫』 からのサバイバルかもしれないよ、 たぶんね|||シン小説 no.068
神を殺すのに、呪いはいらなかった。
必要だったのは、火薬と、鉄と、よく乾いた心だった。
山の向こうでは、また獣が吠えている。
人はそれを、神の怒りと呼ぶ。
私は、それを、ただの声だと思っている。
腹が減れば、獣は吠える。
子を奪われれば、母は吠える。
土地を削られれば、森も、きっと吠える。
だから、わかっていないわけではない。
ただ、わかったところで、手を止める理由にはならなかった。
私が最初に売られたのは、七つのときだった。
父の顔は覚えていない。
母の声は覚えている。
それだけだった。
ただ、母の手は、乾いていて冷たかった。
なぜ売られたのか。
いまなら、わかる。
わかりすぎるほどに。
人の値段というものは、思ったより軽い。
それを知ったのが、私の最初の学びだった。
連れて行かれた先は、海沿いの町だった。
夜になると、灯りが赤く揺れた。
女たちは笑っていた。
笑え。やさしく。
ただ、そう教えられて。
やさしさ、とは。
なんだろう。
わからないままに、笑う。
生きるために、笑う。
微笑み。
微笑む。
微笑め。
その仮面は、盾だ。
名もなき暴力からの。
私は、名もなく無力だった。
私は、女たちから、多くを学んだ。
読み書き。
金勘定。
男の見方。
男の言葉、信じるな。
男の怒り、怖れるな。
男の欲望、ありがたい。
男の強さ、手に入れたい。
その強さが。
その欲望が。
生きる糧なのだ。
いまなら、わかる。
わかりすぎるほどに。
あるとき、海を渡った。
渡りたかったわけではない。
私は、嫁になれたのだ。
私が知る限り、一番強い男の。
はじめての船だった。
海は黒かった。
夜の海は、神よりも大きい。
神が本当にいるのなら、海にいるのだと思えた。
だが、船の底で、誰かが死んでも、神は何もしなかった。
嵐の日、女が、海に落ちた。
私は、叫んだ。
誰も、叫ばない。
男たちは、ただ進め、と。
翌朝、空は嘘のように晴れていた。
私はそのとき、神というものを信用しなくなった。
誰も助けない。
泣こうが。
祈ろうが。
喉が裂けるほど、叫ぼうが。
助けては、くれない。
鉄を知ったのは、長い旅路の果て。
海を渡った先でのことだった。
片足を失った男だった。
男は、焼け残った小屋で、折れた刃を打ち直していた。
私は聞いた。
「それを直して、どうする」
男は言った。
「売る」
「誰に」
「生きているやつに」
私は笑った。
よい答えだった。
火の扱いを覚えた。
炭の匂いを覚えた。
鉄が赤くなる瞬間を覚えた。
叩けば、形が変わる。
冷ませば、固まる。
折れれば、また打ち直せる。
鉄は、神より信用できた。
熱い。
重い。
苦しい。
手を抜けば、火傷をする。
嘘をつけば、鉄が割れる。
そこには、誤魔化しがなかった。
私は、火が好きになった。
火は残酷だ。
だが、公平。
貴族の手も焼く。
乞食の手も焼く。
女の手も焼く。
男の手も焼く。
火の前では、誰も特別ではない。
片足の男は、足が腐りはじめた。
私は、まだ学びたかった。
なんとか、生かそうと足掻く。
だが、もう長くはないだろう。
部屋の奥を指さす。
そこには、なにか筒のような物があった。
石火矢と云うらしい。
男は、その使い方を語り終わると、息絶えた。
私は、夫を撃った。
火と鉄。
そして、石火矢。
もう、男は、必要ない。
皆、私を畏れ、去っていった。
が、ひとりの男が残った。
あまり、賢くはない。
だが、力だけは強かった。
男は、もう、それでいい。
それがいい。
私は、国に帰ることにした。
私のような女たちに。
火を。
鉄を。
石火矢を。
国に帰ると、私は探した。
砂鉄が、いる。
木が、いる。
水が、いる。
人が、いる。
家が、砦に。
砦が、城に。
いつしか、それは、ひとつの国のようになっていた。
朝に起きる場所。
飯を炊く場所。
火を入れる場所。
働いた者が、働いたぶん食える場所。
笑いたい者が、笑っていい場所。
そういう、場所。
名もなき、場所。
ほとんどは、女たちだった。
売られた女。
逃げた女。
夫を殺した女。
夫に殺されかけた女。
寺に隠れていた女。
川辺で死のうとしていた女。
売られた名。
呼ばれた名。
男たちが、笑いながらつけた名。
どれも、ここでは使わせなかった。
「好きな名を、名乗れ」
そう言うと、女たちは笑った。
最初は、嘘だと思ったらしい。
それから、泣いた。
泣き終えると、鉄を打った。
火の前に立つ女は、強くなった。
かつての、私のように。
男もいる。
力だけは、強い。
それで、いい。
女たちが、男たちに号令する。
火を入れろ。
炉を閉じろ。
風を送れ。
銃身を冷ませ。
いい声だった。
男の怒鳴り声より、よほど頼もしい。
病を持つ者たちもいた。
村では、山に捨てられた者たち。
寺では、慈悲という名で遠ざけられた者たち。
親族に、いないことにされた者たち。
彼らの指は、崩れていた。
顔は布で、隠されていた。
だが、目は生きていた。
私は、彼らに銃を作らせた。
あの、片足の男のように。
火薬は、毒だ。
ときに、爆け飛ぶ。
それを、残酷だという者たちもいる。
笑わせるな。
では、お前が、毒を喰らうか?
カラダは、崩れ落ちようとも、火薬をつくれたら。
石火矢をつくれるならば。
それでいい。
すでに山にいた者たちがいる。
人ではない、ナニカ。
それらは、私を嫌っているらしい。
森を削る女。
獣を殺す女。
神を恐れぬ女。
好きに呼べばいい。
私は、森を憎んでいるわけではない。
森は美しい。
朝の霧も、
苔の匂いも、
鹿の足音も。
だが、美しいものが、人を救うとは限らない。
森は、弱き者を助けない。
神と、同じだ。
女が売られても、森は、何もしてくれない。
病人が、村を追われても。
子が飢えても。
なのに、木を一本切れば、祟るという。
もちろん、森にも、言い分はあるのだろう。
獣にも、神にも、声はあるのだろう。
だが、人の言葉で、話してはくれない。
こちらにも腹がある。
炉がある。
子がいる。
病人がいる。
昨日まで売られていた女たちがいる。
山犬や猪や猿が怒るたびに、こちらの暮らしを畳むわけにはいかない。
こちらが退けば、女たちはまた売られる。
病の者たちは、また捨てられる。
男たちはまた、強い者に従い、弱い者を踏む。
森はそれを、止めてはくれない。
木が、必要なら、切る。
邪魔するなら、撃つ。
たとえ、それが神だったとしても。
ある夜、山犬に育てられた娘が来た。
美しい顔をしていた。
眼も、動きも、獣のそれだったが。
短刀を握り、私を殺しに来た。
「人間め」
娘はそう言った。
私は笑った。
「お前もだ」
娘は、さらに怒り狂う。
森に、捨てられたのか。
私が、まだ救えていない女たちの一人。
私が作った場所と、この娘が守る場所は、相容れない。
どちらかが、悪だからではない。
どちらも、生きたい。
ただ、それだけのこと。
若い男も、来た。
遠い土地から来たという。
呪いを受けていた。
やたらと、澄んだ眼。
こんな男も、いるのだな。
娘を殺すな、という。
厄介な男だった。
「曇りなき眼で、見たい」
私は、笑った。
眼は、澄んでいる。
が、動きは、もはや人のそれではなかった。
私の鉄を狙う輩も、あとを絶たなかった。
最初は、力で。
力で叶わぬと知ると、謀ろうとする。
なにひとつ、相容れなかった。
この国の王の使いだ、という男たちも、来た。
なぜだか、こやつらとは、相容れた。
神を殺す。
その一点に尽きるが。
そろそろ邪魔されるのにも、疲れた。
殺さねば。
殺される。
神を撃つ日は、よく晴れていた。
神は、静かに歩いていた。
ただ、そこにいた。
神は、助けない。
神は、戦わない。
森とも、人とも、戦ってはいなかった。
ただ、歩いているだけらしい。
生と死の境を。
ならば、私は何を撃とうとしているのか。
森か。
獣たちか。
私を売った村か。
私を買った男たちか。
船から落ちた女を呑んだ海か。
それとも、私自身か。
なぜだか、これらは、ためらいにはならなかった。
指は、もう動いていた。
神を撃ったあと、世界は壊れた。
正確には、壊れたように見えた。
森が黒く崩れた。
獣が倒れた。
人が叫んだ。
火が消えた。
鉄の匂いより濃い、死の匂いがした。
その中心で、私はようやく知った。
神は、境いだったのだと。
獣と人の。
森と人の。
生と死の。
境い目を失った世界。
新たな境界の主は?
人は、その境い目を、担うことができるのだろうか。
あれから、千と数百年。
女は、もう弱くはなかった。
病も、もはや病ではなかった。
鉄が、世界に溢れている。
どうやら、私は、間違っていなかったらしい。
ただ、境い目は、曖昧のままだ。
今日も、また街に、熊が出たという。
獣と人の。
森と人の。
生と死の。
境界の主は、まだいないらしい。
私が、まだ生きているのだから。


