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僕なりの 『NHK』 の必要性。たまにはね、 こういう世評みたいなものもね|||シン小説 No.046

「YouTubeは、時間をサブスクリプションしている」

なんて、息子は気の利いたことを言う。

確かにその通りだ。

息子が設定してくれたプレミアムのおかげで、広告というノイズに邪魔されることもない。

私は一日中、YouTubeという海に浸かっていられる。

観ているのは、麻雀と赤ちゃん。

皮肉なもんだ。

かつて『クローズアップ現代』なんて看板を掲げて、血眼になって社会の闇を暴いていた。

情報の「裏」の、またその裏を取っていた。

そんな人間が、引退して行き着いた先。

YouTubeの動画の大半は、実に「適当」だ。

適当なニュース、適当な解説。

そして最近じゃ、驚くほど精巧なフェイク映像まで転がっている。

プロ……いや、プロだった端くれからすれば

「よくもまあ、こんなデタラメを堂々と流しやがる」と。

だが、一方で感心もするんだ。

そのファンタジー、その想像力の逞しさに「さもありなん」と思わされてしまう。

人間の「信じたい」という欲望を突く、その巧みさよ。

信じちまうヤツもいるだろうな、と。

情報の質やモラルなんて二の次。

どれだけ滞在時間を奪うか、というアルゴリズムが、世の中の「真実」の定義を書き換えちまった。

おっと、それは、視聴率を追わないといけない民放さんも同じだったかな。

だからこそ。
だからこそだ。

今の俺は思うんだ。

NHKが生き残る道があるとするならば、それは「その情報が正確かどうか」

この一点に尽きるのでないか、とね。

ニュースは「点」だ。ドキュメンタリーは「線」だ。

私は、かつて格闘していた。

その「間」にある真実のために。

それに、クローズアップ現代という銘を冠して。

ニュースとは、そもそもなんなのだろう。

「いま」ニュースとしての鮮度を保ちたかったとしたら。

真贋を確かめている余裕がない。

消費され、賞味期限が切れていく。

裏を取っている間に、それはもう世間にとって「ニュース」ではなくなっている。

仮に、ニュースが、速報ならば。

正しいか正しくないか、そんなことは、どうでもいいことなのかもしれない。

それでも。
それでもだ。

たとえ、それがもう「ニュース」と呼ばれなかったとしても。

誰かが「真贋検証」をやらなきゃいけない。

たった一つでいい。

「あそこが言っていることだけは、間違いない」と。

そう言い切れる基準点みたいなものを、この情報の焼け野原の中に残しておきたい。

だが、それは恐ろしく金がかかる仕事だ。

地味で、時間がかかって、おまけに赤字になる。

再生数や、広告費を追いかけるユーチューバーたち。

彼らには、逆立ちしたって無理な話。

だから、それをやれるのは、NHKしかいないんだよ。

たとえ、赤字だろうが、非効率だろうが。

「もうNHKのはニュースではない」

そんな風に世間で言われようともね。

ある程度の精度で、
情報の真贋が見極められているのならば。

YouTubeの適当なファンタジーをエンタメとして笑い飛ばせる。

「最後の一線」を守る誰かがいれば。

息子が払ってくれているプレミアムの会費で、私は今日も、広告のない平和なYouTubeの画面を眺めている。

このノイズのない時間は、かつて私が国民に届けようとした「良質な時間」そのものかもしれない。

もし今のNHKに、かつての俺たちが持っていたような「牙」が、少しでも残っているなら。

この情報の濁流の中で、赤字を恐れず、世間に媚びず、ただひたすらに「真実の防波堤」であってほしい。

それだけが、あの組織の唯一の……

……まぁ、もう、いいな。

隣で、女房が、また、わけのわからないことを言っている。

ネタ元は、またYouTubeなんだろう。

絶賛活躍中の日本人大リーガーが、通訳に何十億も騙し取られたそうだ。

さすが、ユーチューバー、すごい想像力だよ。

そんなこと、あるわけな。。。




「NHKは、お前と違って、個人ではなく組織だからな。次の優秀なヤツが、なんとかするよ、心配しなくても」

そうなんだろうね。


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