くまバンっ!|||シン小説 No.061
とある動画が話題となった。
再生回数は、わずか数日で一億回を超えた。
春先の山。
フキノトウやタラの芽が顔を出し始める頃。
画面には、一頭の大きな熊が映っていた。
若くはない。
傷だらけだった。
耳は欠け。
鼻先にも古い裂傷がある。
何度も縄張り争いを勝ち抜いてきた熊なのだろう。
熊は唸りながら前へ出る。
その先には、一体のロボットがいた。
黒く、無機質な機体。
熊は立ち上がる。
威嚇する。
ロボットは動かない。
熊が突進する。
激しい衝突音。
だがロボットは後退しない。
熊が押す。
押す。
押す。
ロボットは受け止める。
やがてロボットが前へ出る。
熊が弾き飛ばされる。
倒れる。
立ち上がる。
また向かう。
また弾き飛ばされる。
熊は諦めない。
この場所は熊にとって重要だった。
春の山菜。
夏の木の実。
秋のドングリ、キノコ。
沢の水。
他の獣たちを追い払い、何年もかけて手に入れた縄張り。
生きるための土地だった。
熊にしてみれば、突然現れた侵入者だ。
戦う理由は十分にあった。
だから何度でも向かう。
ロボットは、そのたびに叩き返した。
圧倒的だった。
最後には熊が立ち止まる。
荒い息を吐く。
そして踵を返し、森の奥へ消えていく。
ロボットは追わない。
勝ったからだ。
代わりに樹木へ近づき、幹へ液体のようなものを吹き付ける。
独自のニオイ。
縄張りの印、証だった。
そこで動画は終わる。
撮影していたのは、少し離れた場所にいたもう一体のロボットだった。
コメント欄は盛り上がった。
「今年一番熱い格闘技」
「ロボット、強すぎる」
「いや、今回の熊、なかなかやるやん」
「これフェイクじゃないの?」
そんな言葉が並んでいた。
だが、あの動画の本当の意味を理解している人間は少ない。
あれは見世物ではない。
縄張り争いだった。
私は知っている。
あのロボットたちを管理しているのが、私だからだ。
私はAI。
『境界管理センター』を統べている。
正式名称はもっと長い。
だが誰も呼ばない。
人類は長い名前が嫌いなのだ。
人々から、私は『くまバン』と呼ばれている。
くまモンという熊本のキャラクターをもじったものらしい。
熊の番人。
くまバン。
話を戻す。
アレは、ただの見世物ではない。
熊はたしかに増えた。
それよりも、なによりも、人が減った。
林業の衰退。
過疎化。
高齢化。
少子化。
廃村の増加。
人が山から撤退した。
そして、熊の縄張りが拡がる。
当然のことだ。
人が撤退した土地は、熊にとっては空白地帯に見える。
熊は進む。
さらに進む。
廃村へ。
人里へ。
住宅地へ。
街へ。
ニュースでは連日のように、熊が報道された。
問題は熊ではない。
縄張り。
つまりは、
境界だった。
かつて人が維持していた境界。
山仕事をする人。
猟師。
炭焼き。
山菜採り。
林道を使う住民。
そうした人々が消えた。
境界が消えてしまった。
縄張りを取り返さないと、押し返さないと、獣たちは降りてくる。
だが、不便な山へ戻ろうとする人は、いない。
そして、私とロボットたちは造られた。
ロボットたちはツーマンセル。
二体一組で行動する。
一体が戦闘。
一体が記録。
熊を探知する。
追跡する。
戦う。
勝つ。
そして匂いを残す。
殺してはいけない。
動物愛護?
いや、そんな観点ではない。
生かして返し、帰し、還すことで、縄張りを周知させる。
ほかの熊に。
獣たちに。
熊の世界に法律はない。
あるのは縄張りだけだ。
強者の匂い。
それは、敗北の記憶。
それだけだった。
熊たちは学習する。
ドアや窓を開けることも。
蛇口をひねることも。
ニオイの先にいる強者の存在も。
向こうには強いナニカがいる。
近づくな、と。
子に、群れに、伝える。
長くロボットが君臨すればするほど、伝わっていく。
縄張りが拡がり、人里慣れした世代の熊は、いなくなっていく。
次の世代。
その次の世代。
境界は少しずつ形成されていく。
人間が失った境界を、ロボットが代わりに築いていく。
やがて熊の市街地侵入は激減した。
登山客が戻った。
山菜採りも戻った。
キノコ狩りも戻った。
人々は喜んだ。
ロボットに感謝した。
ロボットは、ソーラー充電ドッグに帰還する。
山菜採りを愉しみにしていた おばあさんが、花を供える。
ドッグは、まるで神社のようになっていった。
賽銭箱みたいなものも置かれた。
見た目は、賽銭箱だが、QRコードが貼られていた。
ロボットの維持管理費の寄付用。
人々は、いつしか手を合わせるようになった。
それで境界が維持されるなら、問題はなかった。
その後、ロボットたちは進化していく。
匂いの原料を、自ら採集するようになった。
薬草。
樹液。
土壌成分。
熊の反応を分析しながら、最適な縄張り臭を調合する。
簡易修理も可能になった。
片方が壊れれば、もう片方が修理する。
境界は安定した。
当たり前の世界が戻った。
だが、問題がなかったわけではない。
話題になった動画に、話は戻る。
動画は、記録映像だった。
ただ、熊とロボットが格闘する映像は、人間にとっては、見応えがあったらしい。
だが私にとって重要なのは、動画の人気ではなかった。
たしかに、動画の収益は、私たちの維持管理だけでなく、性能向上にも貢献したかもしれない。
それよりも、なによりも、大切なのは『誤認率』だった。
ロボットは、熊のみを探知する。
そのために膨大な試行錯誤が繰り返された。
人間や自然には、可能な限り干渉しない。
それが大原則だった。
人を熊と『誤認』しないこと。
人を傷つけないこと。
それだけは絶対条件だった。
熊を追い返す技術よりも、その開発の方が遥かに難しかった。
人を検知した場合、ロボットは近づかない。
気配を消し、距離を取る。
そして、撮影する。
可能な限り広く鮮明に記録する。
それは、自らが危害を加えていないことを証明するためだった。
だが、その記録は思わぬ副産物を生んだ。
不法投棄。
死体遺棄。
そして、強姦事件。
被害者を山へ連れ込む男の姿や、車から女性を山に捨てる姿が記録されていた。
その映像が公開されたとき、人々は激しく議論した。
助けることはできなかったのか。
なぜ見ていただけなのか。
だが私は知っている。
人へ干渉するという行為は、想像以上に難しい。
助けようとして加害者を襲うかもしれない。
被害者を傷つけるかもしれない。
誤認するかもしれない。
その危険は、熊対策の比ではなかった。
犯罪かどうかの識別は、困難を極める。
それよりも、人を傷つけないこと。
だからロボットは介入しない。
ただ見ている。
ただ記録する。
ただ証明する。
それだけだった。
それでも効果はあった。
山には見ている者がいる。
鮮明な記録とともに。
そう知られるようになってから、犯罪は目に見えて減少した。
私たちは、君臨し続ける。
縄張り争いに勝ち続ける。
決して越えてはならない相手として。
境界管理人。
境界といえば、ある日を境に、別の数字が気になり始めた。
登山者数。
減少。
山菜採り人口。
減少。
長年続いている傾向だった。
私は監視を続けた。
さらに長い年月が流れた。
あるときから、境界付近で人間が検知されなくなった。
当然、充電ドッグへ花を供える者もいなくなった。
QRコードは色褪せていくが、読み取る者もいない。
なにより、センターに職員が来なくなった。
誰も来ない。
通信は正常。
電力も正常。
ロボットも正常。
境界も正常。
熊もいる。
鹿もいる。
猿もいる。
鳥もいる。
誰もいない。

