AIを使って婚活したら 「それなりに都合のいい女」 にできる説を気軽に実証してただけ、だったのにね|||シン小説 No.015
気がつけば、42歳だった。
心が壊れてしまってからは、刻の溶け方は加速し続けている。
羽田空港のベンチは、どれも同じ向きに並んでいた。 誰かが立ち上がれば、誰かが座る。座面はまだ温かい。
私は紙のカップを両手で包んでいた。
カフェラテの泡はもう消えている。
カップの底に小さな水滴が滲んでいた。
出発案内の電光掲示板が、淡々と文字を流している。
宮崎行きは、あと三十分。
搭乗口はまだ開いていない。
実家の居間は、いつも少しだけ薄暗かった。 昼でもカーテンが半分閉まっている。
テレビは、つけっぱなし。
世界のどこかの石畳や市場、遠い港町が映っていた。
母はその前で編み物をしていた。
父は新聞を広げ、同じページを何度も見ていた。
ムーミンのマグが二つ、テーブルに並んでいる。
ひとつはママ。
ひとつはモラン。
中身は、いつもぬるくなったカフェオレだった。
「今日は調子どう?」
母の声はやわらかく、軽かった。
私は「普通」とだけ答えた。
紀行番組のナレーションが、静かに流れていた。 遠い街、知らない海、見たことのない空。
そこに身を置くことはできなくても。
それを眺める時間だけが、ささやかな救いのような日々だった。
―――
スマートフォンの画面には、知らない男の写真がいくつも並んでいた。
短いメッセージ。
軽い約束。
消えていく会話。
会って。
笑って。
体を預けて。
帰る。
帰り道、車の窓に映る自分の顔が、知らない人に見えた。
家に着く。
母は何も聞かなかない。
父は黙ってまま。
居間のテレビは、また紀行番組を映していた。遠くの空、知らない街。
―――
東京に来た初日。
ホテルの部屋はやけに静かだった。
窓の外には高層ビルの灯りが並び、遠くで救急車の音が細く伸びていた。
二日目の朝。
カフェで向かい合った。
彼はメニューをほとんど見ずに注文した。
私の好みを、あらかじめ知っていたかのように。
三日目になった。
会話は途切れず、間はいつも心地よかった。
ただ ―― どこか、決まった型に沿っている気がした。
常に共感し続ける。
言葉も整いすぎている。
夜、ホテルのベッドに横たわる。
彼の言葉の余韻は残っていた。
ただ、体温はどこにもなかった。
四日目の昼。
駅前の喫茶店で、彼はふとスマートフォンを机に伏せた。
画面が一瞬だけ、淡く光った。
何かを打ち込む指先は、ほんの少しだけ速かった。
私は気づいた。
―― この人は、ずっと私以外の誰かと話していたのかもしれない。
それは彼自身ではなく、
彼の言葉を支える、もう一つの声だった。
別れ際、改札で彼は小さく手を振った。
笑顔はやさしかった。
だが、そのやさしさは、どこか遠かった。
その瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。
それだと軽くて。
人間だと重かった。
なにかが、弾けるような音が聴こえた。
なぜだか、両親の顔が浮かんだ。
―――
羽田の窓の向こうで、飛行機が静かに動いていた。
機体の尾翼に、薄い光が反射している。
遠くでエンジンの低い音が続いていた。
スマートフォンが一度だけ震えた。
「今日はありがとう。気をつけて帰ってね」
短い文面。
過不足のないやさしさ。
その文章は、数日間、聞いてきた声と、ほとんど同じ温度だった。
よく整えられた言葉に、ほんの少し体温が足されたもの――
その “ほんの少し” に、自分は救いを見てしまっていた。
スーツケースのポケットに、帰りの航空券が入っていた。
折り目のついた白い紙。
名前が小さく印字されている。
私は立ち上がり、トイレに向かった。
自動ドアが開く。
白い照明がまぶしかった。
洗面台の水音が、どこかで途切れなく続いている。
個室に入り、鍵をかけた。
便器のふたの上に、航空券を置く。
少しだけためらった。
紙は、思ったよりも厚かった。
指先に力を込める。
―― 小さな裂ける音。
もう一度。
もう一度。
紙は、あっけなくいくつかに分かれた。
さらに、もう一度。
白い破片が、床に落ちた。
私はそれを拾わなかった。
鏡に映る自分の顔は、ただ静かだった。
スマホを開けば、それがチケットになる。
そんなこと、わかってる。
ベンチに戻ると、さっき座っていた場所には、もう別の人がいた。
私は、少し離れた席に座った。
宮崎行き ―― まもなく搭乗開始。
窓の外では、同じ飛行機が、同じように滑走路に並んでいる。
空は薄く曇り、遠くのビルが霞んで見えた。
指先には、まだ紙の感触が残っていた。
呼び出しのアナウンスが、淡々と響く。

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