【走っても、走っても、満たされなかったあなたへ うつの闇の果てで見つけた、消えない小さな光】
走っても、走っても、満たされなかったあなたへ。
治療や休養を重ねる中で、感謝という光に救われた私の手記です。
もし今、あなたが「どれだけ頑張っても心が満たされない」「何のために生きているのかわからない」と、暗闇の中で立ち尽くしているなら。
あるいは、他人の期待に応えようと必死に走り続け、心も体もすり減ってしまっているなら。
少しだけ、私の話を聞いてくれませんか。
これは、かつて人生のランニングマシン上で倒れ、すべてを失いかけた私が、
暗闇の底で見つけた「小さな希望」の物語です。
1. 終わりのないレース、「ヘドニック・トレッドミル」の罠
心理学の言葉に、「ヘドニック・トレッドミル(快楽のトレッドミル)」というものがあります。
いくら走っても景色が変わらないジムのランニングマシンのように、
人はどれだけ外側からの「幸せ」を手に入れても、すぐにその状態に慣れてしまい、
また次の刺激や承認を求めて走り続けてしまう現象のことです。
念願の宝くじに高額当選した。
欲しかった高級外車やブランド品を手に入れた。
仕事で大きな成果を出し、周囲から賞賛された。
その瞬間は、飛び上がるほど嬉しいものです。
胸が躍り、自分が特別な存在になったような錯覚を覚えます。
でも、その高揚感はどれくらい続いたでしょうか?
数日、あるいは数ヶ月もすれば、その快楽は「当たり前」に変わります。
すると心にぽっかりと穴が開き、また新しい刺激を探し始める。
「もっとお金があれば」「もっと認められれば」
「もっと成功すれば」……。
承認欲求という名のトレッドミルのスピードをどんどん上げ、必死に脚を動かす。
けれど、どこまで走っても「永遠の安心」にはたどり着きません。
なぜなら、外から与えられる幸せは、どれも一過性のものだからです。
そして、走り続けた足がもつれ、倒れてしまった時人は心の病に落ちていきます。
2. 暗闇の底で見つめた、自分の「表情」
私自身、まさにそのトレッドミルを全力で走り続け、そして派手に転がり落ちた人間です。
ある日突然、心が悲鳴を上げました。
「うつ病」という暗闇が、私の人生を覆い尽くしました。
今まで当たり前にできていたことが、何一つできなくなる。
朝、起き上がることすらできない。
息を吸うのもしんどい。
世界から色と味が消え、ただただ深い孤独と不安だけが、胸を押し潰す日々。
幸せそうな人の顔を見るのが辛かった。
街を行き交う人々が、自分とは全く違う輝く世界に住んでいるように見えました。
でもね、今ならはっきり分かります。
人の表情というものは、外見だけでは「幸せか不幸か」なんて分かりません。
笑顔の裏で、泣いている人だってたくさんいます。
ただひとつ、私に分かるようになったことがあります。
それは、「心に深い不安を抱えている人」や「病に苦しんでいる人」の表情です。
なぜなら、私自身がその暗闇の中にいたからです。
鏡の中に映る、光を失った自分の目を、生気を失った顔を、私は嫌というほど見つめてきました。
だからこそ、街ですれ違う誰かのふとした表情に、かつての自分の影を見つけると、胸が締め付けられるのです。
「あなたも今、あの暗闇の中で、一人で戦っているんだね」と。
3. トレッドミルを降りて、私が拾い上げたもの
暗闇の底で、長い長い時間を過ごしました。
もう二度と光のある場所には戻れないのかもしれない。
そう諦めかけた時、私の心を少しずつ溶かしてくれたのは、大金でも、他人の評価でもありませんでした。
それは、「感謝」という、とても小さく、けれど決して消えない光でした。
トレッドミルから転げ落ちて、初めて気づいたんです。
「何かを手に入れたから幸せになる」のではない。
「今、ここにあるものに感謝できた時、人はすでに幸せの中にいる」のだと。
今日、朝目を覚ますことができたこと。
あたたかい一杯のお茶が飲めたこと。
窓から差し込む太陽の光が、肌を温めてくれたこと。
失敗したっていい。
困難に直面したっていい。
「今日一日を生き抜いた自分」と「自分を生かしてくれている世界」に、そっと「ありがとう」と言ってみる。
その小さな感謝の積み重ねが、冷え切っていた私の心を、少しずつ、確実に温めてくれました。
長い時間をかけて、私はうつ病という暗闇から抜け出し、「寛解」という光のもとへ戻ってくることができたのです。
4.見返りを求めない「小さな善」が、巡り巡って届く
暗闇から戻った私は、もう以前のように「他人に認められるためのレース」を走るのをやめました。
その代わりに、日々の生活の中で、ごくごく小さな「善の心」を実践するようになりました。
外出先で、次に使う人のためにトイレを少しきれいに掃除する。
バスや電車で、疲れている高齢者や困っている人にそっと席を譲る。
道に迷っている人がいたら、足を止めて声をかける。
誰に見せるためでもありません。
SNSで報告して「いいね」をもらうためでもありません。
見返りなんて1ミリも求めない、そっと差し伸べる小さな手です。
仏教や禅の教えでは、これを「積陰徳(誰も見ていないところで徳を積むこと)」と呼びます。
宇宙の法則と言ってもいいかもしれません。
見返りを求めずに差し出したささやかな思いやりは、巡り巡って、
忘れた頃に、「真の喜び」という目に見えない幸せとなって、自分の心に返ってきます。
外から与えられる快楽は、手に入れた瞬間に減っていきます。
けれど、自分の中から湧き出る「感謝」と「誰かへの思いやり」は、
使えば使うほど心を満たし、二度と誰にも奪われない、深い安らぎを育んでくれるのです。
5. いま、暗闇の中で震えている「あなた」へ
もし、この記事を読んでいるあなたが、今まさに心に深い傷を負い、うつの暗闇の中で震えているとしたら。
「自分なんて生きている価値がない」と、自分を責め続けているとしたら。
どうか、これだけは覚えていてください。
あなたは、もう十分に戦ってきました。
他人の期待に応えるために、認められるために、本当によく頑張って走り続けてきました。
だから、もうその走りにくいトレッドミルから降りていいんです。
何かを成し遂げなくてもいい。
すごい自分にならなくてもいい。
高級品も、大金も、たくさんの「いいね」も、今のあなたには必要ありません。
今日、息をして生きている。
ただそれだけで、あなたは価値がある存在です。
焦らなくて大丈夫です。
一歩進んで二歩下がってもいい。
今日という日に、ほんの小さじ一杯ぶんの「感謝」を見つけてみてください。
そして、自分自身に「今日まで生きていてくれてありがとう」と声をかけてあげてください。
あなたが差し出す小さな優しさと、自分に向けた感謝の心は、
巡り巡って、必ずあなたを温かい光で包み込む日が来ます。
暗闇の底を知る私だからこそ、心を込めてあなたに伝えたい。
大丈夫。あなたは一人じゃありません。
あなたの明日に、どうかやさしい光が差しますように。

Photo & philosophy donchan
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