『 そのままでいい 』
静かな部屋にひとりでいると、心のどこかがふっと沈み込むような感覚に襲われることがあります
特に1日の終わり、体は疲れているのに思考だけが騒ぎ続けてしまう夜ほど、些細なことが胸の奥で重たく膨らんでしまっていました

あの言葉は言わなかったほうがよかったのではないか、もっと気をつければよかったのではないか
あの人にどうおもわれているのだろうか、明日のことが不安でたまらない、そんな思いが次々と浮かんで来て、心が休む場所を見失ってしまっていました
考えすぎてしまう自分を止めたくても、止めようとするほど勢いを増していきます
知らず知らずのうちに深いため息がこぼれ、胸のあたりがじんわり痛むように感じることもありました

そんなとき、人は自分を責めたり、気持ちを押し込めようとしたりして、さらに苦しきなってしまいます
けれど本当は、心が限界を迎えている合図を、ただ静かに届けてくれるだけなのかもしれません
『 どうでもいい 』という言葉に宿る、深い智慧をお伝えします
投げやりさでも、無責任さでもなく、苦しみの根をそっと緩めていくための大切な心の使い方としての『 どうでもよさ 』です

心の重荷をゆっくりと置いていくための感覚を、ここから一緒に確かめていきたいと思います
心というものは、本来とても繊細だと優しい場所です
心を無理に変えようとせず、そっと寄り添うことから始めていきます
心は、少しのきっかけで軽くなることがあります
大きな変化を起こす必要はなく、ただひとつ、今の自分をそっとゆるめるだけで、心は軽くなります

この先で私がお伝えする智慧が、心にやわらかい光を灯してくれることを私は願っています
心が重く感じているとき、「 なんとかしなければ 」とひとは思い込みます
焦りは禁物です
疲れた心に追い打ちをかけてしまうことがあります
以前の私はそうでした
なんとかしなければと、流れに逆らってしまいました
その結果、ますます心は重くなり外の景色も良く観れなかったことがあります
しかし、苦しみの中、心を柔らかくする方が先だと気がつきました
心を柔らかくすることにより、景色も変わりました

「 どうでもいい 」という言葉には、心の余裕を取り戻す力が秘められていることに気がつきました
私は責任感が正義だと思っていました
正義感は、責任感が強いほど良いものだと思っていました 故にどんな小さなことでも丁寧に考えようとしていました

この姿勢こそが自分を追い込む原因だと分かりました
私は、愚痴や悩みなどを人に伝えたことがほとんどなく、自分自身の中で処理してました
しかし、「 どうでもいい 」という言葉は、「 クッション」にもなる ということに気づきました
柔らかなクッションは、心の負担をかかえこまないための必要な距離感を図るためのものです

これが、心の痛みに押しつぶされないための、深い智慧だと気づきました
こうあるべきだ!
失敗してはいけない!
嫌われてはいけない!
後悔してはいけない!
このようなとらわれによって、心が苦しくなる原因だと分かりました
『 どうでもいい 』は、胸の内側に少しの余白が生まれることも分かりました
それにより、思考の流れが穏やかに落ち着いていくことにも繋がりました
私は、今だから言えますが、日々の暮らしのなかで少しずつ、心の持ち方をゆるめていく
どんな悩みであっても、心が軽くなれば、生きる景色はやわらかく変わっていくことを知りました

私は、飾らない自分の言葉で、みなさまへの記事などを記載し投稿しています
AIという優れたデジタルツールを使用しないで記事を書いています
まぁ、これが私の 『 note 』 に対する姿勢だと捉えて頂ければ幸いです
また、近日中には、みなさまの記事をご紹介させて頂きたいと思います
Photo & philosophy by donchan✨
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