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【二本の矢】

私たちは毎日、さまざまな痛みを抱えながら生きています。


人間関係。


病気や心の不調。


家族や子育て。


お金や将来への不安。


組織の中での役割や、人には言えない悩み。


避けられない出来事は、誰の人生にも訪れます。

今日は約2500年前、ブッダが説いた「二本の矢」という教えから、苦しみを少し軽くする考え方をお伝えしたいと思います。


もしかしたら、明日の希望すら見えない中で、少しでもお役に立てればと思い、筆を執らせて頂きます。


まず、些細な一言を、何日も引きずってしまう。


もう終わったことだと分かっているのに、夜になるとまた思い返して落ち込む。


そんな自分を「心が弱いからだ」と責めていませんか。


では、「二本の矢」とは、どのような教えなのでしょうか。


一本目の矢 避けられない現実


内容 病気、ケガ、事故、他人の言動、突然の不幸など。


特徴 人生において不可避な「肉体的・物理的な痛み」です。


事実 生きている限り、誰の身にも等しく降りかかります。 


二本目の矢 自ら作り出す苦しみ


内容 怒り、後悔、不安、嫉妬、「なぜ自分だけが」という被害妄想。


特徴 一本目の矢に対する「精神的な反応・二次災害」です。


事実 自分の心が作り出しているため、本来は回避できます。


あなたが苦しみ続けてしまうのは、


心が弱いからではありません。


自分で自分を刺し続けているからだと、この教えは説いています。


生きていれば、避けられない出来事は必ず訪れます。


上司に叱られる。


心ない言葉を浴びる。


思いがけない失敗をする。


その瞬間、心に「ぐさっ」と刺さる。


これが一本目の矢になります。


一本目の矢は、他者や環境から飛んできます。


だれにでも刺さるし、自分では避けられない。


問題は、その後です。


「あんな言い方しなくても」

「自分が悪かったのかな」

「もう嫌われたかもしれない」


一本目が刺さったあと、私たちは頭の中で、自己嫌悪と怒りと不安をぐるぐる回しはじめます。


この思考こそが、自分で自分に放つ二本目の矢です。


一本目の痛みは一時的で、いずれ癒えます。


だが二本目、三本目を継ぎ足すと、苦しみは何倍にも膨らむ。


この二本目を、自分で放ち続けているからです。


ブッダはこう言ったという。


「普通の人は二の矢にあたって苦しむが、修行を積んだ人は二の矢は受けない」


最初の痛みは、そのまま受け止めていい。


「痛いな」「悲しいな」と。


ただ、そこから先、自分で自分を撃つのをやめる。


ここで、ひとつ見落としやすい落とし穴があります。


「自分が悪かったのかな」と自分を責めているとき、一見、意識は自分に向いているようで、


じつは「他人がどう思ったか」という、自分では変えられない外側に向かっています。


自分を見つめることと、自分を責めることは、違います。


変えられない外側の事情で傷ついた自分を、それ以上、自分で痛めつけないと決めることです。


では、二本目を放ちそうになったら、どうするか。


黙る。


そして、必死になっている自分を天井から眺めてみる。


「いま、コントロールできない他人の言葉に振り回されて、ジタバタしてるな」と。


少しダサくて、笑えてきます。


その沈黙が、二本目の矢を止めます。


苦しみを減らすのは、強い心ではない。


痛みはそのまま受け止め、追い打ちだけをやめる技術のように感じます。


疲れているときや、静かな時間ほど、二本目の矢は目立ちます。


沈黙の中で、過去の失言や失敗が繰り返し再生され、胸の重さが増していきます。


出来事は終わっているのに、心の中では「まだ刺さっている」状態が続く。


その継続の仕組みを、二本目の矢という言葉が示しています。


忙しい朝にコーヒーをこぼしたとき、起きているのは「汚れた」「時間が減った」という痛みです。


そこに「自分はいつもこうだ」という決めつけが乗ると、出来事が人格の話に変わり、苦しみが増えます。


日常は、この変換が起きるかどうかの連続です。


会話のすれ違いでも同じです。


相手の言い方がきつかった、という痛みがある。


そこに「尊重されていない」「関係が終わる」という物語が重なると、心は防衛に傾き、言葉が尖りやすくなります。


痛みが痛みのまま留まるとき、反応は必要以上に増えません。


疲労が強い日は、二本目の矢が出やすいという事実も、生活の中で確かめられます。


眠いとき、空腹のとき、余裕がないとき、同じ一言でも刺さり方が変わります。


これは性格の問題というより、条件の問題として見えてきます。


痛みは、人生の表面に自然に触れてくる。


そこに苦しみが重なるとき、心はもう一本の矢を放っているのかもしれない。


静かな瞬間に、その重なりがほどけたり、また結ばれたりします。


確かめる場所は、いつも日々の気づきの中にある。


私は、この教えから、自分で自分を苦しめていたことに気づきました。


一本目の矢は避けられない。


けれど、二本目の矢は放たなくてもいい。


もし今日、あなたの心が少しだけ軽くなったなら、


この「二本の矢」は、もうあなたの人生の支えになっているのかもしれません。

 Photo & philosophy donchan


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