共通の「っぽさ」
今日は超簡単に感性心理学の復習。
この分野はけっこう「こころ」っぽいかも。
というのも「数字とか言葉で定義可能なものだけでいいのか?」って問いから始まったものだから。
「これは〇である」そいう知的認識のみならず「△△だなあ」という「かんじ」すなわち感性的認識の存在を認めるところからスタートするらしい。
感覚器官からもたらされる知的・感性的認識について、もう少し具体的な話をしてみる。
例えば中宮寺蔵の弥勒菩薩像を目にしたとする。
このとき、認識の流れは以下のようになるかもしれない
①「なんだかくろっぽいものがあるなあ」(感覚)
②「これは、この前知った弥勒菩薩像だ!」(知覚)
③「柔らかさがあって、どこかモナリザを彷彿させるなあ」(認知)
とこのような3ステップ。
「これは弥勒菩薩像だ!」というのが知的認識。
一方「柔らかい雰囲気だなあ」というのが感性的認識だ。
そして、この感性的認識は「意味づけの過程」ということもできる。
となるとこの「意味」にもバリエーションを想定することができる。
概念的意味:文字のまま、概念。知的認識に関わる?
例:犬、猫、山、川
非概念的意味:概念的でないもの。感性的認識に関わるか
内包的意味:一般的に連想されるイメージ
例:犬=「かわいい」「元気」「鳴く」
情緒的意味:個人的に覚えるイメージ
例:犬=「ジョアン」「相棒」「魚の頭が好き」
と大体こんな感じだろう。
ただ、困ったことがある。
それは「いや、結局非概念的なものの測定って難しくね」ってこと。
というわけで、非概念的(内包的・情緒的)意味の測定法が登場した。
その名は「セマンティックディファレンシャル(SD)法」。
長い。非常に長く、わかりにくい。
僕は専門家ではないので適当に解釈したい。
すなわちSD法を
対になる形容詞でもって、ものの持つ「っぽさ」を明らかにする方法
とする。
SD法によって「言語によって世界が規定される」とする説(サピア・ウォーフ仮説)が否定された。
言い換えると、対象物のとらえ方に、普遍的なものを発見したのだ。
普遍的な物差しは三つある。
①評価性:「良い」か「悪い」か
②活動性:外的なエネルギーが感じられるか
③力量性:内的なエネルギが感じられるか
とこのようなかんじ。
これはとても面白い。
言語という文化によらず、人間には標準搭載のソフトウェア的なものが備わっているとわかるから。
ただ、文化の垣根を越えて、共通の形容詞で評価するのが難しい場合もある。
そんな時は「多次元尺度更生法(MDS)」によって、感性を測定するらしい。
この感性心理学を、産業に応用したりするのが感性工学と言ったりするらしい。
まあ、次回以降取り扱ってもらえるのだろう。
概念的意味と非概念的意味(内包的意味、情緒的意味)が、意識と無意識(集合的無意識、個人的無意識)のように感じられた。
また、オズグッドによって明らかになった三つの普遍的な軸。
これもどこか集合的無意識っぽさを感じさせられた。
言葉にならないもの、定義の難しいもの。
これらを取り扱うことで、人の奥にある、共通点みたいなものが見えてくるのかもしれない。
