態度の悪い客と態度の悪い店員の話

私は今アルバイトをしている。アルバイト中の私は私の人生の中ではトップクラスに明るくふるまっているつもりだ。別に明るくないと他人に言われたわけでもないし、客に文句を言われたわけでもない。しかし自認としては不愛想だ。不愛想とはよく言いかえるとクールだ。悪く言い換えると不愛想。

そんな私は自分の不愛想をひとつの特性だと思って気に入っている。クールな性格の次にだ。

しかし私という人間は存外おしゃべりなのである。私はよく初めて会った人に怖いや寡黙といった印象を持たれることが多いが、私のことを知っている人からしたらこんなおしゃべり野郎のどこが寡黙なんだと問いただしたくなるだろう。もしあなたが無人島に遭難した時に私を持って行っていたとしたら、最初は怖いだろうが最終的には最高のパートナになる自信がある。意外と社交的なのだ。

私は寡黙と思われるのは社会においてよくないことだと思っている。しかし威嚇してきていた猫が自分に懐いてくれると嬉しいのように、寡黙な奴がおしゃべりだとギャップがあってより面白い人間だと思われるのではないかという魂胆もある。この二面性はお好み焼きのソースが塗ってある面と鉄板に接している面と似ている。もちろんギャップがあると思われる方がソースが塗ってある面だ。おいしいということである。

このギャップをおいしいと思っている私でもまずい場面が来る。それがアルバイト中だ。アルバイトで会うお客さんたちは腰を据えて話ことはない。つまりあの一瞬の印象で私の評価が決まってしまうということである。ひどい。あまりにも不利な戦いではないか。この戦いに勝つためにはもっと明るく陽気に働くことが必須だ。無理だ。そんなのできるわけがない。明るく働くためには多くの代償を払うことになるだろう。バイト代だけでは賄うことのできない大きな何かを支払うことになる。

そこで私が一番自然体で接客することができるタイミングがある。それは態度の悪い客に話しかけられた時だ。愛想よくしてくれる人を接客した時に不愛想なのはこちらとしても人間が成っていないようでとても悲しくなる。しかし常に見下した口調で話しかけてくるおじさん相手では私の特徴は遺憾なく発揮できると確信している。とても不愛想な店員の誕生だ。

この確信はある一つの経験が裏付けしている。あれは夏に差し掛かってきていたある日の事だった。道に面しているお店の自動ドアが開いて競馬のスタートの時の馬のように、商品を持ったおじさんが一直線に私の方に向かってきた。その時私はただならぬ雰囲気と手に持った少し壊れている商品を見て、瞬時に理解し、臨戦態勢をとった。今回の敵は厄介そうだなと思ったのを今でも覚えている。

そのおじさんは私のまえに立ち
「この商品が壊れていた」と言った。

それは見ただけでわかる。だっておじさんが必死の形相でこっちに来ることなんかただ事ではないからだ。

そしてそのおじさんはこう続けた。
「家に帰ってこの商品を使おうとしたら壊れた。」
「商品が壊れやすいとわかっていたにもかかわらず売っているお前の店が悪い。返金しろ。」と。

いかれている。しかし私はまだ明るい店員モードであったので丁寧に質問した。
「お客様が購入されたときは壊れていなくて、お客様が使おうと思ったら壊れたということでしょうか?」

そうするとそのおじさんは「そうだ、」という。自分で壊しといて文句をいうとは何事だ。訳が分からなくなって少し笑ってしまった。

当然のごとく私のショートコント「店員」はおじさんが来たことで終わってしまっているので態度が悪い。

私は「いやー。お客様が壊されたのなら返金、交換はできないっすね。これはお店のルールとして」と言った。それを聞いたおじさんはさらに燃え上がり店員の態度が悪いだの教育が成っていないだの今すぐ責任者を呼べだの喚き散らかしていた。私はこの理不尽な状況が理解できずに少し笑ってしまった。

その後私は店長に電話をさせられ、そしてそのおじさんに長めの説教をくらった。説教をされている時、今日の晩御飯何食べようかとか関係のないことを考えていたのを覚えている。

この経験から私は丁寧な接客は人を選んで実行するべきだと学んだ。私も聖人ではない。いやなことはいやだし。この接客をしていた時の私がアルバイトをしている中で一番自然体で話すことができた時だと思う。こういったおじさんばっかりのバイト先に行けば、私はもっと自分を解放して働くことができるのだろうか。

現代社会では自分のやりたいこととは別の仕事を日々こなし、愛想がいいキャラのショートコントを常に続けなければならない。クレーマーしかいない仕事は一種の背反した極楽なのではないだろうか。自分を自由にさせてあげるという点では一番働きやすい職場に近いような気がする。

イヌカフェやネコカフェでは人間は動物たちに癒されて、動物たちはお世話してくれる人や生活を得る。これはクレーマー専用店にも同じことが言えるのではないか。

ストレス等考慮しなければならないことはたくさんあるが、働いている人は自分というものを出しながらお金をもらうことができる、そしてクレーマーは文句を言う相手を見つけることができる。こう考えるとこの店は公共の福祉そのものではないであろうか。とてもバカげたことを言っているのはこの文章を書いている私が一番理解している。しかしあらゆる人の自由を尊重するとともに、社会への利益も損なわないこの店はまさに理想ではないか。このお店のおかげで救われる誰かがいる可能性だってある。

誰かマネーの虎に持って行ってほしいくらいだ。きっとノーマネーでフィニッシュになるであろうが。くれぐれも堀之内社長に怒られないようにしてほしい。

簡単に予想できるが、私はこれからもきっと愛想はよくない。きっと不愛想な店員を続ける可能性が高い。むしろ私は性格がよくないと自負しているので年を取ってクレーマー側に回ることの方が可能性としては高いであろう。

まあ、そんなことは考えたってしょうがない。自然体で働くことの素晴らしさを実感できるように明日も頑張ることにする。

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