【ポルト旅行vol.3】タコのようなチキンか、チキンのようなタコか。
経験的に、旅行の際は何を置いてもレストランだけは事前に調べた方がいいと肝に銘じている。行ってみればおいしそうなレストランが見つかるだろうと思っていても案外ピンとくる店構えが見つからなくて腹ばかりが減ってだんだん機嫌が悪くなったり(ローマ)、空腹に耐えかねて目に入ったレストランに入ったらがっかりするほど味気ない料理が出てきて、それを言葉に出したら旅の楽しい雰囲気が壊れるからと目を合わさずに黙々と食べる羽目になったり(ベネチアのパスタ)することがある。たまたま入ったレストランが大当たりだったということも稀にあるが(バルセロナのイカ墨パエリア)、それは本当に稀だと思っておいたほうがいい。一方であらかじめネットやGoogleマップで見つけておいた、レビューも良く店の内装も料理も良さそうなところは感動体験ができる確率がぐんとあがる(イスタンブールのパプリカ肉詰めとマルメロのコンポート、ナポリのピザ)。
ポルトは事前調査で良さそうなレストランがいくつも見つかったのだが、最終的に5つくらいの候補の中からFlor dos Congregados と Adega são Nicolau に決めた。どちらも事前予約必須の人気店である。
Flor dos Congregadosは150年の伝統があるレストランで、石造りの建物がそのまま生かされて食の空間に変身している。壁はむき出しの石、天井には立派な木の梁。照明はかなり控えめで、それぞれのテーブルの頭上に小さく灯されたランプがあるだけ。町の隅で出会った小人に連れられてこられた洞窟の中でとびきりのご馳走にありついているような気分を味わえる。三階の調理場では1000年も前からポルトに住み続ける小人たちによって窯を使って直火で名産の魚介類や肉が焼かれ、一階で人間のウェイターがハンドルをクルクルと回すと小人専用エレベーターが料理を運んでくれる。
開店時間19時に予約をした我々を若くチャーミングなウェイトレスが迎えてくれ、私たちは一階の一番奥のテーブルに案内された。注文の際にメニューにポルト・ワインが載っていないので聞いてみると、Tシャツ、ズボン、スニーカーまで全身アディダスでトータル・コーディネートをしたウェイターは少し困ったような顔をして、ちょっと待ってくださいねと言って離れていった。次にチャーミング・ウェイトレスがやってきて座っている私たちに目線を合わせるように膝を折って中腰になり、
「あのですね、ポルト・ワインというのはとても甘いお酒なんです。だから料理と一緒に飲むというようりは、食後のデザートなんかと一緒に飲むことが一般的です。だからまずは他のポルトガル産のワインをいかがですか?」
と説明してくれた。そういえば私たちはすでにホテルのウェルカム・ドリンクでポルト・ワインを頂いてその猫のような甘さに驚いたではないか。たしかにあれは魚や肉と一緒に飲むような種類の酒ではなかった。そこで我々は前菜にポルトガルのチーズ三種とオイルサーディン、メインに鱸(すずき)のグリルを注文し、我々の無知に丁寧に対応してくれたウェイトレスにおすすめのワインを紹介してもらった。
一階の三つのテーブルはすでに予約客で埋まっていた。我々の右手にはイギリス英語を話す60代ほどの夫婦が座っている。男性は白髪を短く清潔に整え、ボタンダウンのシャツにVネックの薄手のニットを重ねている。胸を張れる職業を全うして定年を迎え、奥さんと一緒に老後の旅行に来ているところだろうか。知的で落ち着いた表情で目の前の奥さんの顔を優し気に見つめながら静かに会話をしている。二人とも旅慣れた様子で洞窟レストランに馴染んでいる。左手のテーブルにはドイツから来たという4、50代くらいの二人がウェイトレスと楽しそうに話している。このレストランは建物こそ中世の重厚さがそのまま生きたような厳かな雰囲気だが、ウェイターとウェイトレスはとってもカジュアルな私服にエプロン姿で、客を緊張させない接客をしている。私は客を緊張させるレストランが大の苦手なので、ここはすっかり気にいってしまった。
鱸のまるごとグリルを食べたのは生まれて初めてかもしれない。ふっくらとした柔らかな身が見た目にも美味しい。丁寧にじっくり時間をかけて焼かれたのがわかる。子どもの時から魚の骨でもみかんの筋でも永遠に几帳面にとっていた姉がこのときもフォークとナイフを器用に使って身と骨を分けてくれ、大皿には絵にかいたような魚の頭部と骨としっぽだけが残った。新鮮なので身離れがいいのだろう。ほんの塩加減を調整しただけでほとんど余計な味を足さず、鱸の新鮮な旨味にどんどんフォークがすすんだ。美味しいねと言いながら分ける食事が一番おいしい。この鱸のグリルは旅先で食べた料理の中でも記憶に残るであろう体験だった。
もうひとつ、ドロウ川を臨みながら食事を楽しめる Adega são Nicolau は地元の食通も通う人気店で味にこだわるなら絶対ココ!とどこかに書いてあった。料理はどれも美味しそうで値段もリーズナブルだ。姉は一部甲殻類アレルギーなのでなるべく一緒に食べられるものを食べたいのだが、このレストランの写真で見たタコの焼き飯みたいなものがどうしても食べたかった。姉は「食べたいもの食べなよ」と言った。予約必須だがオンライン予約はできなくて、平日の昼の開店前の1時間のみ電話予約を受け付けているという狭き門だ。時差を計算に入れながら時間を狙い定めて旅行1週間前に電話をしてみると、1週間後の予約はもう一杯だと言われた。すさまじい人気。なんとか旅行最終日の夕飯の時間帯に予約をとりつけた。
レストランの前の急な斜面に設えられたテーブルは幸い我々のために2席だけ空いていた。寒くもなく暑くもない人間が最も気持ちいとされる気温の中でドロウ川の流れを眺めながら、幸福な夕食が始まった。私はあらかじめ決めていたタコの焼き飯みたいなもの、姉は鰯のグリルを。実はこの日の昼間に訪れたワインセラーでけっこうしっかりとポルト・ワインのテイスティングして任意の追加までしてしまったものだから、すっかり気持ち良くなってしまった。夕食の時にはもう酒の気はすっかり抜けていたけれど二人とも話し合うまでもなく炭酸水をオーダーした。隣の席のドイツ人グループのテーブルにはすでにタコの焼き飯みたいなものが置かれている。すごく美味しそうである。
人気店はスピードが良い。我々のテーブルには早速タコの焼き飯みたいなものが運ばれてきた。カレー皿の2倍くらいの大きさの楕円の皿に2合以上はあろうかという焼き飯にふんだんなタコの切り身が混ぜ込まれ、その上にはタコのフリットがてんこ盛りだ。まずはタコのフリットを食べてみる。味がしっかりと濃い。嚙み切ると柔らかな繊維が縦に集まっている。まるで肉のような食感だ。この味付けには覚えがあるのだけどはっきりと思い出せない。とにかく美味しい。ポルトのタコは日本のタコのような独特な弾力とは少しちがって、もっと柔らかでふっくらとしている。姉は火が通ったタコは今のところアレルギーが出たことがないらしく、警戒しながらもフリットをひとつ口に運んだ。そして一言、「これタコじゃないじゃん、チキンじゃん」。
……チキン? そうだ、この繊維は、この味は、チキン・ナゲットそっくりだ。そっくりというか、これはチキンではないか。私は恥ずかしくなる。チキンとタコを間違えるなんて、以後誰も私の舌を信じなくなるだろう。こんなことは誰にも知られたくない。タコの焼き飯を頼んだからと言って、上に乗せられたものがてっきりタコだと思ったからといって、実際に食べてみてもなおタコだと信じたなんて。私はひとり赤面する。私の舌に期待もしていない姉は素知らぬ顔で「チキン」を堪能している。「これなら食べられるわ」と言って。
タコの焼き飯はタコの旨味たっぷりでとても美味しかった。切り身を見ただけで元のタコ時代の大きさが想像されるくらいふっくらとぶ厚い。少し硬めにたかれた米にぴったりだ。やっぱりポルトのタコは日本のタコとは一味違って柔らかでふっくらとしている。…………いや、このタコは、私が今まさに食べている、焼き飯に混ぜ込まれたタコは、やっぱりさっき食べたフリットと同じ食感である。私が今食べているのは、タコなのか、チキンなのか? いや、焼き飯の中のタコは明らかにタコだ。タコの吸盤がはっきりと見える。チキンに吸盤はあっただろうか、いや、ない。チキンに吸盤はない。タコに吸盤はある。ならば今見ている焼き飯の中の吸盤付きの何かはタコ以外なにものでもない。私は今タコを食べている。そしてタコは柔らかでふっくらとしていて味がしっかりと濃くて、繊維のようなものがある。フリットの食感と味に非常によく似ている。そうなると、さっき食べたフリットはやっぱりタコのフリットなのだ。チキン・ナゲットではない。姉も焼き飯の中のタコを少しかじってみる。「これは吸盤がある。これはタコだよね……」と姉もだんだんタコとチキンがわからなくなってくる。タコのようなチキンか、チキンのようなタコか。神妙な面持ちでいろんな方向からそれを眺め、吸盤をフォークでつつき、たまに齧ってみてはその断面に目を凝らす我々は周囲の人が見たらすごく変に映っていただろう。
結果的に、焼き飯の上のフリットもタコであるという結論に至った。同時に姉は火を通したタコにアレルギーは出ないというポジティブな見通しがたった。あるいは姉のアレルギー中枢も、今体内に流れ込んできたものをチキンとして処理したのかもしれない。みなさん、ポルトのタコはまるでチキンのようなのです。
腹パンでデザートに手が届かず、しかし「ポルトのタコ」を体験した我々は満足してレストランを後にした。レストラン横の石畳の階段には予約なしで訪れた人々が腰を下ろして席が空くのを待っていた。
この日の昼に訪れたワインセラーについても少し記録を残しておく。せっかくだからポルト・ワインについて現地で学習したいと思いいくつかのワインセラーを調べてみた。ほとんどのワインセラーは30ユーロ前後で、保存庫のツアーと3種のポルト・ワインのテイスティングができるパッケージだ。ツアーはたいてい英語・フランス語・ポルトガル語・スペイン語などの中から選べる。我々は当然英語を選ぶことになるのだが、ワイン製造の専門的な話などを英語で深く理解することもできないのであまり長いツアーは遠慮したかった。目的の要はポルト・ワインの飲み比べなのだ。そこで見つけたのがPorto Augusto`s だった。15分のツアーと3種のワイン飲み比べで一人15ユーロ。
同じ時間帯のツアーにはドイツ人カップル一組と我々の4人が参加した。ガイドは時に映像を交えながらワインセラーの中を案内してくれ、製造方法について教えてくれた。これは私が聞いて解釈した内容だから間違いがあるかもしれないが、私の理解によれば、ポルト・ワインは特定の葡萄酒を指すのではなく、ポルトの貯蔵庫に一定期間以上身を置いて熟成させたワインが名乗る資格を得る。砂糖などの添加物は一切入れていなのに葡萄だけでなぜこんなに強い甘味が出るのかというと、葡萄が甘いうちに蒸留酒を入れてワインの発酵を止めているのだそう。そこからさらに5年、10年、20年とワインセラーで保管されてワインが熟成されるという。結果的にアルコール度数は20度前後で甘味の強い独特なポルト・ワインができあがるということだ。
我々二人の前には3種ずつ計6つのグラスが並んだ。熟成期間と種類が違うそれぞれを飲み比べると、甘味とアルコールの強さという共通点の中に重さや苦みなどが微妙に異なることがわかる。1杯目と2杯目は明らかに違う。2杯目と3杯目は違うと言えば違うが私にとってはかなり似ている。いや、今飲んでいるのは1杯目と3杯目か? 色もそれぞれ違うのだけど、テーブルの上の6つのグラスを順繰りに飲んでいると何が何だかわからなくなってくる。もう一度言いたいが、アルコール20度前後である。酒強めの姉妹がだんだん饒舌になり笑いが出てくる。酒が気持ちよく回っているのである。ちょっとずつ惜しみながら飲み比べていたらあっという間に小一時間経ってしまった。隣でテイスティングしていたドイツ人カップルはいつの間にかいなくなっていた。そこから更にもう1杯いきたくなった我々は追加で別種を頼み、これもとても美味しくてすっかり気持ち良くなってワインセラーを後にした。ワインセラーのすぐ目の前はドロウ川である。空は青く、屋根は赤く、風が頬を撫でる。ほろ酔いでジェラートを買って川沿いで食べる。美味しい。最高なのであった。
