2009年 読売ジャイアンツ(優勝・日本一)
現在は読売ジャイアンツ2軍の本拠地で3月からは近隣での新球場の開業にあたり3軍の球場となる読売ジャイアンツ球場。
実はそういうこともあって去年の11月に初めて読売ジャイアンツ球場に行ってみたんですよ。阪神ファンなんですが()
行ってみるとあそこってかなりの急坂を登らないといけないんですね。事前調べなしに行ったので結構驚きました。
さてそのジャイアンツ球場に向かう急坂の道中には巨人の選手たちの手形が埋め込まれています。この道は「よみうりV通り」といって手形は2009年に優勝したときの全メンバー・首脳陣のものなんですよね。
というわけで今回は2009年の巨人について取り上げたいと思います。

至上命題・日本一へ
そもそも巨人はここ2年連続で優勝していました。しかし日本一はありません。2007年はリーグ優勝こそ果たしたものの2位中日にこの年導入されたCSで敗れ日本シリーズにすら行けず。その翌年、アレックス・ラミレスやセス・グライシンガー、マーク・クルーンらを補強し当時最大10ゲーム差以上つけられていた阪神を捲る「メークレジェンド」で2連覇を果たし、CSで中日を破り日本シリーズには行ったものの西武に敗れ日本一を逃します。
当然3連覇、そして2002年以来の日本一を狙いたい巨人でしたが、08年オフに上原浩治がMLB挑戦で退団。また前年選手会長ながら不祥事を起こし自身最低の成績になってしまった二岡智宏を林昌範と共に日本ハムへトレード放出。日本ハムからは工藤隆人、マイケル中村が巨人に入団することになる大型トレードも行われました。
08年オフの補強は前2年と比べるとインパクトは薄めで、ヤクルトに5年在籍していたディッキー・ゴンザレスを獲得したりするにとどまりました。
ドラフトでは1位指名で当時の高校通算65HRを放った東海大相模の大田泰示を指名しました。
シーズン開幕前に行われた2009WBCでは原辰徳監督はじめ、内海哲也・山口鉄也・阿部慎之助・小笠原道大・亀井善行が選出され、見事原ジャパンは日本一となり強い侍となり凱旋帰国しました。

野手陣

この年の巨人はリーグ最高の打撃力でした。
前年絶対的ショートのレギュラーだった二岡からポジションを奪った高卒3年目の坂本勇人はほぼ全試合出場で打率3割18HRと攻撃的ショートに急成長します。
また小笠原・ラミレスは相変わらず打ちまくっており、小笠原が.309 31HR 107打点、ラミレスが.322(首位打者) 31HR 103打点と脅威の主軸となりました。ちなみにこの年のMVPはラミレスでした。
またWBC選出組の亀井は長打力がいきなり開花し25HR、阿部は32HRと素晴らしい活躍を見せます。この頃の巨人は阿部が主に言われますが2番手捕手の鶴岡一成も十分良い成績ですね。
李承燁が若干良くない成績に見えるものの実際のところ好調だった谷佳知(規定未達ながらも3割二桁放つ)がライト、亀井が李に代わりファーストを守るという機会もあったみたいでそうなるとより穴が無くなる打線になるでしょう。
またこの年新人王を獲得した松本哲也の活躍も目覚ましいものでしょう。
育成ドラフトで入団した松本ですがこの年はオープン戦で存在感を見せると2番で定着。当時の巨人は小技や走塁ができる打者、外野守備に懸念があったのですがそれを一気に解決したのは巨人の優勝・日本一に大きかったのかもしれません。

2003年以降補強続きで編成が硬直化してた巨人にとって
こういう育成選手の活躍は大きかったように思う。
次項でも言及するが山口鉄也もそう。
投手陣

投手陣もこの頃としてはかなり高い傑出度を誇っておりチーム防御率はリーグ唯一。チームとしても1990年以来でした。
なんといってもゴンザレスの活躍が光ります。ヤクルト時代最高9勝だったゴンザレスですが、この年は15勝、防御率2.11と大活躍。GGやB9に選ばれるなど素晴らしい活躍を修めました。
グライシンガーも2年連続の2桁勝利、内海は9勝、09年から先発転向で8勝を挙げた東野峻、高橋尚成が10勝とローテ投手は良い成績を残していたと思います。
救援陣では日本ハムからトレード移籍したマイケル中村は苦しんだものの勝ちパは強力で、46登板で防御率1.99の豊田清、2年連続60登板で高い奪三振能力を活かして抑えた越智大祐、この年73登板と鉄腕ぶりを発揮し防御率も1点台と最優秀中継ぎ(44HP)を記録した山口鉄也、移籍2年目も抑えとして君臨したM.クルーンと救援陣も素晴らしいものでした。

これは翌年の話だが、山口と越智は勝ちパターンとして完全定着し、
山口が風神、越智が雷神と呼ばれるようになった。
日本一を目指して
開幕から2連敗はするものの、7日の横浜戦から1分け挟み6連勝と勢いに乗ると、17日からの中日戦からまた6連勝を記録。25日の中日戦では亀井の代打サヨナラ3ランなど印象的な試合も多く、この4月を14勝7敗と大きく勝ち越すことに成功します。
この勢いは止まることなく、5月6日の横浜戦からまた6連勝を記録するとこの頃には2位ヤクルトを大きく離し優勝への道を突っ走りました。
交流戦期間は12勝9敗3分けで全体5位で終了しました。
交流戦明け7月2日の広島戦では育成出身の3年目W.オビスポが初勝利を挙げるなど新戦力のポジ要素もありながら8日の横浜戦からまた6連勝。
22日の横浜戦でオビスポが完投勝利すると2位ヤクルトに対し2.5ゲーム差で首位ターンを決めます。
後半戦開幕後の8月は4日の広島戦から6連勝、この8月を17勝7敗と大幅に勝ち越すと、9月も1日の横浜戦から5連勝します。
この連勝期間の4日ヤクルト戦、ここで珍事が起きます。この試合3-3で延長戦に突入したのですが11回に加藤健が頭部死球を受け交代することになってしまったのですがこれで巨人ベンチには捕手登録された選手がいなくなってしまいました。そのまま延長12回の捕手は誰がやるのかと思われたところですが、出てきたのは木村拓也でした。木村はユーティリティープレイヤーと言われますが捕手をやったのも10年前の話。これがどう転ぶかというところですが豊田・藤田・野間口と3人のピッチャーをうまくリードして無失点で切り抜けました。試合は引き分けに終わりますが巨人ファンにとっては印象的なシーンなのではないでしょうか。
その後の巨人の勢いは止まることなく17日の阪神戦から10連勝を記録。
そしてその連勝期間の23日中日戦、この試合で5-3で勝利し巨人のリーグ3連覇が決まりました。
終わってみれば89勝46敗9分け、貯金43と2位中日に11ゲーム差をつける独走優勝でした。チーム別でいうと阪神戦を除くセ・リーグ4チームとの戦績が良く、中日には16勝8敗、ヤクルトには18勝5敗、広島には14勝7敗、横浜には18勝6敗とリーグ内で圧倒的に強かったと言えるでしょう。
いざ日本一へ
CSでは2位中日と対戦。第1戦は中日打線の猛攻に屈しこれを落としますが、そこから3連勝して無事日本シリーズ出場を決めます。
日本シリーズではパ・リーグ王者の日本ハムとの対決になりました。
日本ハムもまたリーグ最強の攻撃陣と投手陣を持ち合わせておりとても注目された対決でした。
第1戦は巨人がゴンザレス、日本ハム武田勝先発で始まります。
この試合では同点の5回に坂本の二塁打で勝ち越しに成功すると、最後はなんとかクルーンが1点差に抑えて初戦を取ります。
第2戦は巨人が内海、日本ハムはダルビッシュ有が先発します。
しかしこの試合では内海は3回途中4失点で降板すると亀井の2ランで追い上げますが2-4で敗戦。
ホーム東京ドームに帰った第3戦は乱打戦の様相を呈しました。
初回に稲葉篤紀のソロ、2回に小谷野栄一のソロで2点を先制されるもその裏に李・阿部の2者連続HRで追いつき、3回に小笠原のソロで勝ち越し、5回に田中賢介に同点に追いつかれるも5回に小笠原の2点タイムリーで勝ち越し、1点差に追いつかれた8回に阿部の2点タイムリーで勝負あり。7-4と巨人が勝利しました。
第4戦は巨人先発・高橋が日本ハム打線につかまり巨人も拙攻続きで敗戦。
第5戦では9回に日本ハム・高橋信二にソロを打たれ1-2とされますが、その裏武田久から亀井のソロで同点に追いつくと1アウト後に阿部のサヨナラHRで劇的勝利をおさめ日本一に王手をかけます。
再度札幌ドームへ戻った第6戦は巨人が東野、日本ハムが武田勝の先発で始まります。
しかし初回東野がピッチャー強襲のヒットで打球を手に受け降板。
マウンドには内海が上がりました。内海はこのピンチを抑えるとこの直後亀井の二塁打、阿部の二塁打で1点を先制。内海も5回まで無失点で投げ切ると6回に巨人はもう1点追加。この2点を豊田、山口、越智、クルーンとしっかり守り切りこの勝負を制しついに巨人の7年ぶりの日本一が決定したのでした。
日本シリーズMVPには第5戦、第6戦で決勝打を放った阿部が選ばれました。

