『雨宮さん』(パチン,チュルン,クンカクンカ)
『日常』『CITY』のあらゐけいいち先生による作品。
「なんか好き」を味わい尽くす
雨宮さんは様々な「なんか好き」に心躍らせ、「なんか好き」を味わい尽くしながら生きる変わり者の女子高生だ。
トグルスイッチのパチン
卒業証書の筒のポン
冷房の効いたバスに入ったときの感触
「次で降ります」のボタン…
こういった日常をとりまく「なんか好き」な瞬間を愛で続ける、平和なマンガである。
第2話なんて、新品のスニーカーの匂いを嗅いだだけで終わる。
左足の匂いを嗅いで昇天し、
右足の匂いを嗅いでハートマークを量産し、
最後に両足の匂いを嗅ぎながら転げまわる。
これだけだ。
ストーリーらしきもの
いちおう、本作には縦軸のストーリーも存在する。
一つは悪の秘密結社だが、これはシュールを極めているので割愛しよう。
もう一つは、雨宮さんが自分を隠してしまうという話だ。
小学生のとき、「なんか好き」を啓蒙しようとした。でも、共感してもらえなかった。やがて、「これは隠すことなんだ」と思ってしまった。
そんな彼女だが、転校先は変人だらけだった。普通にメデューサとかいる。ここなら、あるいは自分を出せるのでは…?
というか、同好の士らしき人物がいるような…
雑感
「なんか好き」を堪能することの良さにはすごく共感する。
炊きあがり直後の炊飯器から立ち昇る香りが好きだ
追い焚きをかけた後の浴槽の不均衡な温まり具合が好きだ
自転車の後輪を浮かし、ペダルを手回ししてグリングリン回すのが好きだ
ヒマワリの子葉に付きっぱなしになっている種皮が好きだ
エイコサペンタエン酸の”エイコサ”の部分が好きだ
雨宮さんの境地には程遠いが、そういった「なんか好き」を豊富に持ち、味わいながら生きていくのは幸せなことだ。
雨宮さんは「なんか好き」を共感してもらえなかった記憶を引きずっているが、このような言語化しがたい「なんか好き」を形にして交流する手段が実はある。
それは俳句や短歌、あるいは詩やエッセイなどは、まだ名付けがされていない種類の感情を、読者のなかに再現し、感情を共有する一つの手法とも言える。俳句や短歌なんて、四季折々の「なんか好き」を美しく表現して共感を呼ぶということをすごく高度にやっていることが多い。
あるいは、音楽、絵画、映画などでも、個人的な「なんか好き」をあえて前面に出し、共感を呼んでいる作品も多いだろう。例えば『紅の豚』で表現される飛行艇の挙動は、宮崎駿の飛行機へのフェティシズムに満ちており、それが映画としての快感を増幅している。
付け加えると、この『雨宮さん』という作品自体も、読者に「”なんか好き”って、なんかいいよね」と訴えかけるようなマンガになっているわけだ。
やっとあらゐけいいちを読めるようになった
蛇足だが、あらゐけいいち作品について。
一番有名なのは『日常』だと思うのだが、自分は避けていた。当時の私は「アンチ萌えアニメ強硬派」みたいな人間だったからだ。
『らき☆すた』やら『けいおん』やらで女の子たちの日常を描くことが流行ったと思ったら『日常』というタイトルのアニメが出てきただと?おおん?安易に売れ筋狙いやがってよぉ!
最近になってCITYを少し読んでみたが、これもシュールすぎて断念した。
展開が唐突だったり、飛躍したりというのを「そういう技法」としてやっている感じなのだが、それを受け入れた状態じゃないと読みづらいのだ。
今回の雨宮さんは、テーマ的にすごく好きだったので、シュールな回に振り回されても気合をいれてついていった。コメント欄の「俺たちは何を読まされているんだ」みたいなコメントにもたびたび助けられながら、徐々に作風に馴染んでいくことができた。
いったん馴染んでしまえば、急展開で困惑させられるのも一つのコミュニケーションとして成立する。
「もー、あらゐ先生ってばー」
「いやー、今回はあらゐ節が激しかった」
という感じで楽しめる。無敵の状態に入った。
そんなわけで、次は『CITY』に再挑戦しようかな。
