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ここに書かないと、ゼロのままだから

2018年の春、四百席ほどの劇場の客席にいた。二十人ほどのキャストの一人が、当時まだ無名だった目黒蓮という人だった。演技はこれからの人に見えた。この人はどうなるんだろう、と思いながら見ていた。

その頃の彼は、デビューの見通しもなく、アイドルを続けるかどうか迷っていたと、のちに語っている。叶うわけがないと思いながら、憧れを「夢ノート」に書き出し始めたのもその頃だという。

やりたいことを一つずつ書く。モデルをやりたい、主演をやりたい。そして書くだけで終わらせず、外で口に出す。そうすると自分の中身が変わって、叶っていく──という趣旨を、彼は後年語っている。

わたしはこれを精神論としては読まなかった。書き出すのは、頭の中で渦巻いているものを、輪郭のある一件ずつに分解する作業だ。分解されて初めて、それが今日できることなのか、五年かかることなのかを判定できる。口に出すのは、その判定を他人に開くことだ。笑われる可能性を引き受けるかわりに、届く可能性も引き受ける。

願望というより、設計に近い。

もっとも、口に出せば必ず届くわけではない。彼の言葉を拾い上げる人が、その先にいた。それがなければ同じ結果にはならなかったはずだ。わたしはこれを「声に出せば叶う」ではなく、「声に出さないと、拾われる可能性はゼロだ」として読んでいる。

だから、ここに書く。

犬の、もう一つの家

飼い主が入院しても、長く家を空けても、犬が行き場を失わない場所がほしい。ケージの並ぶ施設ではなく、キッチンの音がして、寝るときに体を寄せてくれる人がいる家。

先日、親戚が入院した。犬は慣れない家に預けられ、ごはんを食べなかった。毎晩そばで寝てくれる人がいて、やっと食べた。動けなかったのは、わたしだ。

保護団体の多くは、高齢の人やひとり暮らしの人に犬を譲らない。飼い主が倒れれば犬がまた行き場を失う。理由は正しいと思う。でも、犬の側にもう一つ帰れる家があれば、その線を引かずに済むかもしれない。

いま書いていることは、たぶん笑われる。場所もない、資格もない、お金もない。何度も下書きに入れて、そのたびに消した。

それでも書く。仲間が要る。土台が要る。制度が要る。お金が要る。一人では一つも足りない。

未来のためにできることとして、これを口に出す。拾われるかは分からない。ただ、書かなければゼロのままだ。

シュナは今日も、わたしの足元でへそ天で爆睡している。

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