真の自己肯定とは「ありのままの自分を受け入れ向き合うこと」〜デジモン02を通して〜
YouTubeにてアニメやゲーム等のMAD動画を作っている自分ですが、
ふと久しぶりにMAD用のYouTubeアカウントにログインしたところ、一番最近作ったMADが1000回再生を突破していたことに気が付きました…。
だいぶ昔のアニメで、しかもデジアドシリーズではどうしても無印と比べられて賛否両論ある作品であるにも関わらずご視聴いただけたり、またTwitterの方でも動画良かったですとコメントをいただけたりして大変嬉しい限りです。
と、いうわけで今回は私がこのデジモンアドベンチャーシリーズの中でも一番思い入れの深い一乗寺賢というキャラクターについて脈略なくただただ語っていきたいと思います。
とはいっても、過去にTwitterで垂れ流していた内容を改めてまとめただけのものになりますが(汗)どうかご了承下さい。
02のアニメシリーズを見返していて思ったこと
02のアニメシリーズを見返していて改めて思ったことですが、
私は02というアニメのテーマの一つとして、大輔と賢ちゃんを軸に「自己肯定感を持つことの大切さ」を伝えたかったのではないか、と思います。
というわけで、この2人(と、賢ちゃんのパートナーデジモンであるワームモン)について思うところを述べていきたいのですが、とりあえずは一人ずつ述べていきたいと思います。
「天才少年」と「デジモンカイザー」という二つの顔
まず、賢ちゃんについて。
初期の彼は優秀で両親からの愛情を独占していたお兄さんへのコンプレックスと、そんな兄の早すぎる死に関するトラウマから暗黒面に墜ちてしまい闇の王、デジモンカイザーとしてデジタルワールドを支配していました。一方で現実世界ではかつて兄がそうだったように勉強もスポーツも万能な「天才少年」として注目を集めていました。

デジモンカイザーはデジタルワールドで出会った大輔たちに「選ばれし子供というのは自分のような優秀で天才な人間であるべき、君たちのような凡人とは違う」と言います。
でも、それって「優秀でも天才でもない自分には何の価値もない」ということを言っているのと同然なんですよね。

賢ちゃん自身を「天才」たらしめているのは勉強やスポーツが非常に優れているという点、よりわかりやすく言えば「点数が良いこと」なのですが点数というのは「評価してくれる誰かがいる&比較対象であるライバルが居る」ことで成り立つものです(相対評価とも言う)
確かに勉強やスポーツを頑張るのは良いことです。
でも、テストの点数というものは極端に言えば評価してくれる人や競争相手がいなければ成り立たないものなんです。
よって、点数や他者からの評価に拘り過ぎるということはアイデンティティの確立において非常に危ういものだと思われます。

つまり、天才少年でもデジモンカイザーでもない「ありのままの一乗寺賢」を誰でもない賢ちゃん自身が全否定してしまっていたということになります。
要は自分から硬い殻に閉じこもってしまっていたも同然でこれでは到底皆と心を通じ合わせることはできませんよね。
喪失と再生、自分自身と向き合うこと
そんな彼の大きな転機となったのが「ワームモンの死」でした。

選ばれし子供とパートナーデジモンとの関係性は子供たちの性格特性(勇気や愛情など)が紋章に対応していることを考えるとパートナーデジモンとは子供たちの半身と言ってよい存在なのでしょう。
というわけでワームモンは賢ちゃんの心の奥に引っ込んでしまっていた「優しさ」の象徴というわけです。
賢ちゃんにとっては兄に次いで二度目となる「死」を通して賢ちゃんは自身の過去を見つめ直し、自身と向き合い、そしてデジタマから生まれ直したワームモンを抱き上げます。その時のワームモンに対する「生まれてきてくれてありがとう」は賢ちゃんから賢ちゃん自身への言葉なんだと思います。


そして、自分自身と向き合った彼は「自分のことを心配してくれる、自分にとって一番身近な他者」である自分の両親とも向き合います。
この回、凄いなと思うのが最初から両親との和解を描くのではなくワームモン=賢ちゃん自身の内面と向き合う方を先にしたこと。
両親が涙ながらに賢ちゃんに謝罪しても、当の賢ちゃん本人は貴方達は一体僕にとって何なのだとまだ心を開くことはできませんでした。
自分自身とまず向き合わないことには他者と向き合えないということなのだなと思わされます。
少しずつ自身と向き合い始めた賢ちゃんは、「治兄さんを喪ったという共通項のある者同士としてこの人達とは何か分かり合えるかもしれない」と考えるようになるのですが、この心の動きも実に丁寧に描かれているなと思いますね。
両親、家族という関係者であってもあくまで自分にとって第三者という位置付けを一貫しているというのがリアルだなと思います。
デジモンシリーズでメンタル最強と言われる主人公、大輔
ここから大輔の話です。
大輔はデジモンシリーズの中でメンタル最強主人公と言われていますが、その一番の理由はベリアルヴァンデモンにお前には悩みや不満はないのかと聞かれたことに「ない」と言い切ったこと。
この境地には本当になかなか達することはできないと思います…

もちろん、大輔とて人間なので小さな悩みはあると思います。
でも、だからといってきっと大輔は戻れない過去を悔やんだり他人の人生を妬んだりすることはない。
悩みも不満も含めてそれもまた自分の人生と受け入れる。
これこそが当初の賢ちゃんが持てなかった「自己肯定感」なのだと思うんです。

改心後の賢ちゃんは自分が犯した罪の重さに苦しみ、死を以て償おうとまで考えてしまうのですが、それに対して大輔は「生きろ」と説きます。
そもそも頑なに彼のことをデジモンカイザーではなく「賢」と呼び続けていた大輔はありのままの賢ちゃん自身とずっと向き合おうとしていたんでしょうね。
ここから、自分自身と向き合い、家族と向き合ってきた賢ちゃんが大輔という「第三者と向き合う」ということを始めます。
これも脚本が非常にしっかりしていて、両親との和解よりもワームモンと向き合う方を先に描いたように、最初から大輔があまり積極的に賢ちゃんに手を差し伸べる展開にはしないんですよね。
自分からは動かず誰かに手を引っ張られて仲間に入れてもらう、のではなく自分自身が他者と向き合うことが大事なのですから。
(この辺の大輔の、賢ちゃんに対してはいつでも待ってるぞと程良い距離感で接しつつも他の仲間達には「今のあいつなら受け入れてもいいんじゃないか」という雰囲気を作っていく加減が本当にうまくて大人の目線から見たらキミ本当に小学生か?とちょっと思ってしまうぐらいです笑)

そして最終的に賢ちゃんは大輔を通して他の仲間たちとも心を通わせていくことになり、名実ともに皆の仲間入りを果たしました。
こうして見ていくと02は大輔と賢ちゃんが友情を築いていく経緯が本当に丁寧に描かれていて、大輔は勇気というよりむしろ友情寄りのキャラなんじゃないかなぁと思います。
まとめ
デジモン02は一乗寺賢というキャラクターを通して、「誰かに評価されるのでなく誰かと比べるものでもない、ありのままの自分を受け入れること」「自分自身と向き合うことこそが他者と向き合うことにもなる」ということを描いた作品だったのだな、と今になって振り返ると思います。
今のこのご時世では毒親だの機能不全家族だのアダルトチルドレンだのというワードは割と広く世に知られていますが、2000年代初頭という時代に賢ちゃんのようなキャラクターを子供向けアニメで描いたのは本当に凄いことだったんだな…と思いますね。
(そもそもデジモンシリーズ自体、無印の時点からして主人公の子供たちがなかなか重い背景を抱えていたりとたかが子供向けアニメだろうと侮ってはいけない作品なのですが。)
昨今はサブスクで昔のアニメ作品も見ようと思えば見れる世の中ですので、デジモンアドベンチャー無印と併せてこの02の物語も今の子供たちにも是非とも見てほしい、
特に賢ちゃんが自分自身とワームモンと向き合い「生まれ直し」をする23話は本当に脚本が秀逸なので、子供を持つ親御さん世代の方や教職など子供と接するお仕事をされている方にも是非とも見ていただきたいなと思います。(大真面目な話、保護司さんなど少年の更生保護に関わるお仕事を目指されてる方にも見てもらいたいなぁと思ったり…)
以上、長文駄文になりましたが自分なりのデジモン02、一乗寺賢というキャラについての感想&考察失礼いたしました。
