見出し画像

人生後半、自分の思いを大事にしたい理由

誰もが、人生の中で、自分の思うようにいかないことを、感じる時期が幾度かあると思うけど、大人になってからのその時期は、どう過ごすかでその後の人生が大きく変わってくる。

ただ悲観に暮れるだけでは、何も得ることが出来ないだろうし、その時期は自分と向き合う時間で、何かを気づかせてくれるために与えられた時期だと内省できれば、得ることが大きい。

子供の頃は、ただ悲しみに暮れるのが精一杯だけど、大人になると、考えることができる。

大きな逆境を越えた人が、溢れんばかりの優しさや人徳をもっていらっしゃるのは、そこで得るものが大きかったと思う。

五体満足で、持病があるものの重い病でもないし、衣食住が途絶えることもなかった私が経験した逆境は、そんなにも大きいものでもなかったのだろうけど、人生のなかで、一番の逆境を越えたその先に見えてきたことは大きかった。


わたし、「母のコピー」になろうとしてたんだ・・・。


気付いたとき、ゾッとした。

顔もどことなく「母」に似ている。
そのままいくと、「母」そのものになっていたのかもしれない。


自分の意思や感情にフタをして、我慢ばかりの子供時代を過ごし、その後、パワハラ上司に巡り合いながらも、それなりにOL生活を送った私は、随分の苦労人だと思っていたが、チャンチャラ可笑しいのが分かった。

子供のころから、何にも変わっていないお嬢ちゃんだった。

それこそ、パワハラ上司と戦っていれば得るものもあったのだろうけど、逃げてきたがゆえに、数年のOL生活で、十分に社会で揉んでもらう位には達しなかった。

自分の価値観を揺るがすくらいの逆境を、越えなければならない状況になったのは、そのときが初めてだった。


とにかく、真面目に。
線から、はみ出ないように。


学校の成績は多少悪くても何も言われなかったが、母はただそれだけを求めていた気がする。

着る服も赤や黄色の目立つ原色を嫌い、部活は親が決め、親が決めたことでも、一度やり始めたことは最後まですることを強制し、学校は一日たりとも休むことを許されなかったし、大学になっても口紅をさすことを許さず、体裁を考えて、さいごは寿退社のカタチを要求してきた。


ただ真面目に、やるべきことを抜け落ちることなくやっていれば、なんてことなかった。


OL生活だって、順風満帆だった。
ふたり目の上司がそれを壊しにかかって下さったのに、私は逃げてきた。


それを見事に壊しにかかってくれたのは、義両親であり、主人だった。


360度見渡す器用さはまだ持ち合わせていないけど、間違いなく、私の視野は広がった。


それまでの私は、「あそびの」部分がなくガッチガチで視野が狭かった。

真面目なんだけどね。(自分で言うな!)


トンネルを抜けた先に気付いたのは、30代前半のこと。

愕然とした。

ショックだった。


だけど、覚えている。

同時にワクワクしたこと。


じゃ、私はだれ?
わたしは「母」にはならない。

いったん、「自分」がクリアになった気がした。
空っぽの箱のように。

そういえば、わたし、どういう風になりたい。
どんな人になりたい。だなんて、考えたことなかった。


それまでだって、嫁としてすべきことを、こなしていくことで必死だった。

「農家の嫁はこうあるべき」と、勝手に決めつけて。

それが通らなかったとすると・・・。


そうか、自分で決めればいいんだ!


「昭和の農家」を、「平成の農家」にしてやる!
「仕事」と「家事」を両立できるスーパー母さんになってやる!
義母のことなんてクソくらえだ!


多少の不安を感じながら、そうなるにはどうしたらよいのか考えながら歩んだ日々。

不安を感じたのは、夢がかなうかどうかの不安よりも、自分で何も決めたことがないがゆえに感じる不安だったと思う。

いつも当たり障りのないことだけをやってきた私は、自分で新しいことを発想し、冒険したことがなかった。

「新卒で入社した会社」と、「結婚相手」は自分で決めたけど、それ以外の決定権はすべて母だったから。感情も意志も支配されていた気がする。


悩んだ時には、「自分はどうしたい?どう思ってる?」自分に問いかけながら歩む日々。

自分に出来ること、出来ないことを問いかけながら何でもこなしてきた。


「育児」だって、「夫婦関係」だってそう。


優等生にならなくても、出来ることはたくさんあった。


少しずつ、少しずつ、自分のなかで何かが変わり始めた。

自分の思い描いていた、「目標」も近づいて余裕が出来たのか、ある日、ふと思った。


私って、どんなことに、感激したり、感動したりするんだろ・・・。


私って、どんな人?


ちょうど、娘が成人式を終えた頃で、それまで、子供たちが目まぐるしく成長していくさまに、感動したり、感激したり、喜びがあったりと、思いを巡らせながらも、「母親」という肩書が軽くなった気がした。

育児を終えたその頃、自分が何を見て感動するのか、何をして感激するのか、どんなことが嬉しいのか、興味津々だった。

子供の頃から、感動したこと、感激したこと、嬉しかったことの記憶がなかった。

無感情だったかもしれない。


自分が、どんなことに感動するのか、感激するのか、嬉しいのか、ものすごく知りたくなった。

ちょうど50歳を目の前にして、皆、そういうこと感じるのかしらと、少し思った。


そうとなると、仕事が楽しいって思えたとき「わぁっ!私、楽しいって思えてるやん!こういう作業、好きなんや!」

太陽の光をいっぱい浴びながらの農作業に「わぁっ!幸せって思えてるやん!」

主人との会話が弾むときは「めっちゃ幸せやん!」

娘から珍しい絵文字付きのラインが入ったときは「嬉しいっ!」

息子が農作業を手伝ってくれて「感激ぃっ!」

特にプラスのスイッチがはいったとき、ポジティブなスイッチが入ったとき、まじまじと感情を味わう。


そして、自分を知る。


そんなときに出会った「note」。
わぁっ!どうせなら、自分が感じたことを書いてみたいわ!

自分が感じたことを、忘れないうちに記したい。

できたら「良い感情」はぜったい!

心がうごいたことを記すことは、そこから始まった。

「なぜ」「どんな風に」「どんな時に」を記していくと、自分の考えを深掘りできて、自分を知ることができた。

また、コメント欄を利用するようになって、自分がその記事のどこに感情を動かされたのか。自分がどう感じたのかも、研ぎ澄まされて、自分を知るきっかけにもなった。


自分の思いを、大事にだいじにしたい。

ちなみに、顔も母から少し遠ざかった気がする。たぶん・・・。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集