noteがお題を出しているので、書いてみることにしました。
お題は多様性を考える
仕事や子育て、ある日みたニュース、街でたまたま遭遇した出来事など。あなたが自分の思い込みに気づいたり、あたらしい価値観を知ることで多様性について考えたエピソードなどを、幅広く募集します。
とのこと。
多様性とアートと表現の自由
ゴールデンウィーク中もメタバースのニュースが取り上げられていた。
私としてはNFTが以前から気になるワードではあったが、今週マドンナが発表したNFTアートが物議を醸しているらしい。
詳細な内容は割愛するが、このNFT作品は「私自身が命を生み出すことをテーマとしており、太古の昔から女性が行ってきた出産についてのものだ」ということで、確かにかなり奇抜なものになっている。
実際に、マドンナ自身も「奇妙に思われるかもしれない」と認めているという。(括弧内はForbes japan記事より)
眉をひそめる人も多く、マドンナがNFTや暗号通貨のイメージを台無しにしたなど、批判の声が多数挙がっているとのこと。
意見なのかシャットアウトなのか
マドンナの今回のアートNFTで得た収益は寄付されるという。
つまり目的・行為ともに誰かから批判されるようなものではないはずだ。
しかし、内容が万人受けしないと批判の的になる。
作り手がどういう意図で作品を出しているかというのは、個人の考えや表現の自由であり、まさしく多様性を示すものである。
一方で受け手がどういう気持ちになるかもまた、多様性といえる。
いろんな感性がある以上、好き、嫌いは発生する。
この時に必要な理解は、「自分が好きか嫌いか」ということと、「世の中で良い悪いとされること」は必ずしも一致しない。という理解が多様性なのではないかということだ。
誰かを一方的に批判したりするようなものは多様性に含まれないと考えている。好きか嫌いかといった感性の違いを、良いか悪いかと批判するのはあまり意味がないのではないかと思う。
感性が合わないのであれば、そこから離れれば良いし、その権利はあるべきだと思う。
多様性は時としてしんどさが伴う
好き、嫌い、奇妙、気持ち悪い・・・といった感性は個人によるものであり、これ自体が多様性だと思う。
アートなんて昔から万人が理解できない作品も多いものだし、その時代には圧倒的に批判されてきたものもある。
一方の多様性を大事にすると、他の多様性と相いれない部分が出てくるだろう。
相手から強制されるものや、受けてに危害が与えられるようなものでない限り、積極的に理解しようとしなくても、「そういう考えもあるのか」と許容できる社会である必要はあるのだと思う。
「自分が理解できない領域もあるのだ」と知ることが多様性のスタートなのではないかと認識させられたマドンナの記事だった。
※NFTとは
NFT・・・Non-Fungible Token
日本語では非代替性トークンと訳されます。
ブロックチェーン技術をバックグラウンドとし、世の中に1つしかないデジタル資産を保証するもの。
