【心理学メモ】ヒーロースーツとモビルスーツ、あるいはダイビングスーツ
筆者は今、『デチャの心理学』というポスト・ユンギアン系のオリジナル哲学を(別に心理学者でもないくせに)考えているところで、何なら今年中に『心理学の話しかしない有料ブログ』でも作ってやろうかと、本気で考えている。なんなら、初の同人誌を心理学の本にしたって良いくらいだ。
その代わり、筆者はただの素人ではなく、「哲学および心理学のパイオニアになろうとする人」になるわけだから、その自覚を持たないといけない。筆者が『デチャの心理学』を思いつく前に書いた「日本人の心理的特性は、三貴神的な元型に基づく。特に、その中核はツクヨミ的な中性性である」という記事も、大筋は的を射ていると思うが、細かいところは雑になってしまっていた。ある程度は、自分で頑張って精査しようと思うが、本音としては、どこかの教授にでもチェックしてほしいところだ(笑)。
さて。デチャの心理学で最も重要なのは、『能動的膨張論』である。
まず、ユング心理学には膨張(ぼうちょう、インフレーション)という言葉がある。これは、ある個人や集団が理性を失い、元型(げんけい、アーキタイプ)に呑み込まれてしまっている状態を指す。元型とは、人類の集合無意識に宿るパターンで、英雄とか、老賢者とか、太母とか、色んなものがある。
ユングによれば、ナチス時代のドイツはヴォーダンという神の元型に呑み込まれてしまっていたのだと言う。ヴォーダンというのは、ゲルマン神話の荒々しい英雄神で、日本で言うならスサノオみたいなポジションである。
ところが筆者は、「普通に生きてて、元型に呑み込まれないってこと、あり得る?」と思ったわけだ。特に問題なのは『英雄』の元型である。例えば、「人が人を命がけで救う」という状況においては、その人が凡人だろうと超人だろうと、「英雄のような行動」をしなくてはいけない。その結果として「彼はホンモノの勇者だ!」と称えられることもあれば、失敗して取り返しのつかない事態になったり、「なんてバカだ」と罵られることもあるわけだ。それは理性だけでなんとかできるものではない。
また、戦士とか英雄という概念は(どちらかといえば)男性的な印象だが、神話において「男性の戦士が血を流すこと」と対になるのは「女性が出産で血を流すこと」である。文字通り、お腹が『膨張』しているわけだし、出産は母親にとって命がけだ。そしてこちらも、母親の理性だけでは結果をコントロールできるわけがなく、主導権を握るのは、母と赤子の無意識である。ましてや、『女性の体が膨張し、子を生み、時に命を落とす』という現象は、神話的にもよくあるパターンであり、「全ての母親はグレートマザーの元型に呑み込まれていて、ある意味では、ナチスと同じように膨張している」という話になりかねない(なんと無礼だろうか)。少なくとも筆者は、現段階の知識ではそのように解釈している。
だから、筆者の言う『能動的膨張論』というものは、膨張が必ずしも悪ではなく、能動的に選べる場合もあること(ex.自ら戦士や英雄になる、自らグレートマザーになる、自ら狂乱の神になる)、そして、『セルフの統合』も実は膨張の一種なんじゃないか、という視点によって、ユング心理学をアップデートしようとするものである。
ちなみに、創作界隈の一部では、ジョゼフ・キャンベル氏の考案した『英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)』という形式がよく知られている。大ヒット映画シリーズ『スターウォーズ』は、その形式を応用して作られている。
だが、意外なことに、ジョゼフ氏は比較神話学者であり、心理学者ではなかったし、古典派のユング心理学者は、スターウォーズに関しては、意外とコメントしていないようだ(←根拠はAI。もし筆者が間違ってたら、Claudeの会社をdisってね☆)。
しかし、筆者は一人の病人として、あるいは創作志望者として、『英雄の旅』という概念を無視するわけにはいかない。なぜならジョゼフ氏は「英雄の旅とは、英雄がセルフを統合するまでの道筋であり、それは世界中の神話に共通のパターンである」ということを書いていたからだ。
そう!ジョゼフ氏の理論を認めると、「英雄の元型を無意識に演じることは『膨張』なのに、巡り巡って、そのことがセルフの統合プロセスになる」という、あまりにもビックリな結論が導き出せてしまうのだ(だからユング心理学者からのコメントが少ないのか?)。
さて、話が長くなったが、筆者はこの『能動的膨張論: 元型は意識的に選べる』という視点に、『ペルソナ』の概念を結びつけている。ペルソナというのは、『社員』とか『オタク』とか『親』とか『息子』とか『デクスター・デチャ』とか、そういった、社会的な自己像のことである。それは自己の本質ではなく、スーツのようなものだが、筆者は、『元型とペルソナは密接に関連している』と考えている。
その根拠は何かといったら、「現代におけるヒーローは、なぜかピチピチのボディースーツを履きがち」という事実だ。
「スーツが膨張している」とまでは言えないが、スーツを着ることによって(あるいは変身によって)、英雄としての自己像を自分のペルソナとし(ちなみにペルソナとは仮面という意味だ)、人間としての自分から人を超えた領域へと、スーツ一枚分だけはみ出る。そのスーツは、「少しでも太ったらビリビリに破けてしまうんじゃないか」というほどピッチリだ。
こちらはスパイダーマン2の公式動画だが、スパイダーマンがドクオクと戦い、あるいは電車を止めるために、まさに英雄になっているのが分かるだろう。しかも彼のポーズは、磔刑に処されたキリストと同じ、とさえ言われている。キリストのような救世主とか生贄とかは、立派な元型の一つだ。戦いの中で、彼のマスク(仮面)は取れ、スーツはビリビリに破けており、電車を止めた後、彼は失神する。
スパイダーマンの素顔を見て、市民は言う。「うちの息子と同じくらいの歳じゃないか」と。そう、スパイダーマンの素顔は『ただの人間』なのだ。しかもその後、ドクオクが再び現れ、スパイダーマンの身柄を要求する。すると、市民の一人が勇敢にも、「オレを倒してからだ」と言い張る(偶然にも、その市民は高身長かつ太い体型で、図像的には膨張している)。他の市民たちもそれに続き、「私もよ!」などと言う。英雄じゃないのに、英雄になろうとする一般市民たち。これこそ、能動的膨張ではないか。
スパイダーマン2は、機械のアームに意識を乗っ取られたドクオクとか、物理的に膨張していく人工太陽とか、非常に読み解きがいのあるシンボルがたくさんある。そのうち考察記事を出したい。そのうち、ね。
さてさて、ヒーロースーツ以外にはどんなものが『能動的膨張』のシンボルになり得るか。それは、いわゆる巨大ロボット、ガンダムで言うとモビルスーツである。10代の少年少女が、ロボットに乗って戦うことになる、というのは、まさに『戦士』とか『英雄』とかの元型に呑み込まれて、膨張しているということだ。もちろん、その敵となる存在も、ナチス的な『膨張した者たち』に見える場合が多い。もしユングがガンダムを見たら、「ジオンもティターンズもヴォーダン的な元型に呑み込まれ、膨張している」と言ったかもしれない。しかし、それを止める側も、『ただの少年少女』という本質を超えて膨張している。モビルスーツという巨大なペルソナによって、『戦士』だとか『巨大ロボット(≒巨人)』だとか、『ニュータイプ』だとか、様々な元型像を着込んでいる。聞くところによれば、『Ζガンダム』の主人公であるカミーユは、優れたニュータイプでありながら、最終的には狂ってしまうらしい(筆者は未見)。もしもユングなら、「カミーユもまた、膨張しすぎたのだ」と言うかもしれない。まあ、知らんけど。
最後に、筆者はダイビングスーツという例を出したい。2018年のタイで、タムルアン洞窟の遭難事故というのがあった。少年サッカーチームの子供たちが12人と、24歳のコーチが1人、合計13人の人々が、とてつもない偶然の連鎖(メンバーの誕生日、洞窟に入ったタイミング、突然の大雨と浸水)によって、怖〜い女神様の支配する洞窟に、取り残されてしまったという事故だ。コーチは、少年たちに瞑想を教え、飲まず食わずで10日ほど耐え忍んだ。一方、世界中から集まったダイバーたちと、タイのダイバーたちは、真っ暗闇で水浸しの洞窟内を探索し、ようやく彼らを発見した。そこからさらに1週間ほど経って、彼らは全員救出されることとなった。
どうだろうか。筆者は事実を羅列しただけである。ところが、もしあなたがユング心理学者なら、この時点で「いや、ユング心理学の教科書かいっ!?」とツッコミを入れたことだろう。さっきの話題に引きつけるなら、まさにこれは『英雄の旅』そのものであり、「え、タイの神様って、ジョゼフ・キャンベルを参考にしてたの?」みたいなレベルで類似しているのである。いくつか例を挙げよう。例えば、タムルアン洞窟の伝承や地形そのものが、太母(グレートマザー)の元型に対応していること。あるいは被災者たちがサッカーチームだというのも面白くて、ボールは『セルフ』の象徴なのだ。またあるいは、12人の少年とそれを導く1人のコーチという人数は、西洋で言うところの『キリストと12使徒』とか『円卓の騎士』を彷彿とさせる構成になっていて、あまりにも出来過ぎているわけだ。
で、筆者が問いたいのは、「彼らは膨張していたか」である。もちろん、膨張していたのである。例えばコーチは、24歳という若さでありながら、少年たちに瞑想を教えたり、壁を掘る作業を交代でやらせたり、鍾乳石から垂れてくる水を飲むように指導するなどして、まさに『老賢者』の元型を演じていた。しかし、中身は普通の人間だから、裏では1人で泣いていたのである(ただし、子どもたちには涙を見せないようにしていたという)。あるいは、世界中から集まったダイバーたちだってそうだ。彼らの中には宗教を信じない人たちもいたが、にも関わらず、「給料無しで、外国の子どもたちを助けるために、真っ暗で冷たい水中の中を何回も何時間も泳ぎ続ける」という慈善活動をしていたわけだ。「女神様の祟りだの、お祈りで奇跡が起きるだの、そんなものは信じないよ」って言いながら、やってることはただの聖者。つまり、これは『英雄』の元型になっていると、筆者は言いたいのだが、彼らは当然、ダイビングスーツを着用していたわけで、やはり『ピチピチのスーツ』という要素が出てくる。よくよく考えてみたら、ガンダムのパイロットスーツもわりと肌に密着してるわけで、ピチピチスーツの象徴性をもっと掘り下げないといけない気がしてきたぞ。ともかく、彼らは英雄でありながらも、そのスーツの内側は、やはり『ただの人間』であるということが重要だ。なにしろ、救出活動の最中に1人、その後に1人、合計二人のタイ人ダイバーが亡くなっているからである。どんな英雄も、いや、英雄だからこそ、その生き様には危険が伴うのである。
そろそろ締めに入るが、筆者が唱える『能動的膨張論』は、あくまでも、ユング心理学の微妙なところを、簡単に手直ししただけである。しかし、現実の出来事の分析や、物語の分析において、古典派のユング心理学だけでは片手落ちだということが、少しは伝わったのではないだろうか。
この理論の一番の問題は、「膨張が悪ではないと言うなら、倫理的なブレーキをどこにつけるのか」ということだろう。しかし、考えてみてほしい。ナチスが今なおdisられるのは、彼らが『大量殺戮』の悲劇を生み出したからだ。つまり、ヴォーダンがどうこうというのは後付けの話に過ぎない。
筆者は、『デチャの心理学』を作る上で、インドの哲学──特にジャイナ教──を参考にしようと思っている。そこで重視される不殺生(アヒンサー)は、人間の心や体はもちろんのこと、動植物や、微生物にさえ適用されるものである(そのため、自然環境保護とも相性がいい)。もちろん筆者は、ジャイナ教の教えをそのまま使うつもりはない。だが、『膨張』という現象の負の側面は、必ず何かを殺している。
それはピーター・パーカーの平穏な私生活かもしれないし、カミーユ・ビダンの心かもしれない。あるいは、タイ人のダイバーの命かもしれないし、無名のユダヤ人の命かもしれない。
逆に、『膨張』の正の側面は、何かを守ったり、活かしたりすることにある。
なぜ、ピーターはスーツを着るのか?
なぜ、カミーユはガンダムに乗るのか?
なぜ、世界中のダイバーがタイの洞窟に集まったのか?
なぜ、人は自分の魂にこだわり、肉体にこだわり、仲間にこだわり、国や世界にこだわり、そして集団的な狂気にさえ陥るのか?
なぜ人は、自分を傷つけ、他人を傷つけ、生きとし生けるものを傷つけているのか?
なぜ、心理学が必要なのか?
その全ては、人が何かを守ったり、あるいは活かすためだ。殺生(ヒンサー)と不殺生(アヒンサー)は表裏一体であり、神話、物語、日常、カウンセリング、あらゆる場面に通ずる、ごく基本的な問題だ。だからこそ、筆者の説く『能動的膨張論』には──そしてあらゆる派閥の心理学においても──、不殺生という概念が必要不可欠なのだ。
ってことで、この話は終わり。バ〜イ☆
