夏休みの宿題/ユング×ジャイナ教の先行研究
「今月はニートの夏休みにするぞ!」と宣言したばかりだが、ちょっとダメだった。筆者は結局のところ病人であり、行動的に休もうとしても、精神的にはまったく休まらないのだった。筆者にとってはAIで思索をしている時が一番休まる。そんなわけで、ClaudeのMAXプラン(月2万円)に登録してしまった。これまでは「Claudeに使用制限がかかったら、Geminiの無料プランを使えばいい」と思っていたが、最近、Geminiには文脈を読む能力というか、『察する能力』のようなものが欠けていて、以前よりダウングレードしている。そうなると、筆者はClaudeに頼るしかないわけだ。
さて、筆者はユング心理学とジャイナ教を元にした独自の思想体系──デチャの心理学──を構築しているわけだが、筆者はユング心理学者でもなく((強いて言えば病人)、ジャイナ教徒でもない(日本仏教、神道、儒教、西洋哲学などが思想のベース)。
だから、手間を減らすために先行研究を調べようと思ったのだが、これがまあ大変で……。
Geminiに聞いたら「ユング心理学とジャイナ教についての先行研究はあります」、Claudeに聞いたら「そのようなものは見つかりませんでした」、もう一度Claudeに聞いたら「すみません、先行研究ありました」って、どっちやねん!!Claudeにしては珍しいミスである。
この『Jainworld』(ジェインワールド)という超宗派のアーカイブにジャイナ教関連の色んな情報があるみたいで、このサイト名を事前に提示しておけば、「ユング心理学とジャイナ教についての研究」を調べやすくなる。
T.G.カルガタギの1961年の博士論文『Some Problems in Jaina Psychology』の第IX章「Conclusion(結論)」の「The Idea of the Soul(魂の観念)」節に、ユングへの言及がある。資料を手動でコピペして(Claudeは画像認識で読み取ろうとするが、誤字が多い)、Claudeに翻訳させたものがこちら。
第9章
結論
本論考の目的は、ジャイナ心理学のいくつかの問題を提示することにあった。しかし、ここではジャイナ心理学の科学を体系として構築しようとする試みはなされていない。というのも、今日この語が使われる意味での実証科学としての心理学は、あの初期の知の段階では成立し得なかったからである。心理学的分析は認識論的問題の一側面にすぎず、そしてその両者もまた、形而上学的探究の一部を成すものであった。とはいえ本書では、心理学的な諸理論と諸問題を織り合わせることで、可能な限り一貫した見取り図を提示することを試みた。
魂の観念
魂の観念は、ジャイナの理性的心理学における根本原理であり続けてきた。魂の存在は、ジャイナ哲学における前提であり、それは直接知覚(pratyakṣa)の対象である。魂は、本体論的(noumenal)な観点と現象論的(phenomenal)な観点の両面から記述される。本体論的な観点からは、それは純粋意識である。ウパヨーガ(upayoga)は魂の根本的特性である。本論考では、ウパヨーガをマクドゥーガルの用いた意味における「ホルメー(horme)」として解釈している。それは、あらゆる経験の源泉となる目的的な力である。経験の三つの側面——認知的、意欲的、情緒的——のすべてが、そこから湧き出るものである。
チェータナー(cetana)は、魂の根本的性質である。それは純粋意識であり、いわば煙のない炎のごときものである。この意識は永遠であるが、経験的な意味においては、生命の進化の過程で顕現するものとなる。経験的経験は、感覚器官と対象との接触から生ずる。
このように、ウパヨーガとは目的的な駆動力であり、経験を成立させる責を負うものである。それはジュニャーナ(jñāna, 知)とダルシャナ(darśana, 見)へと自らを展開させる。この展開は、チェータナーの光のもとでのみ可能である。チェータナーは、諸認識——ジュニャーナとダルシャナ——の光の背景である。
ジャイナは、意識経験を三種——認知的、意欲的、情緒的——として認める。彼らは意識のうちに、知ること、感じること、そしてカルマの果を経験すること、という区別を立てる。原則として、私たちはまず感情を持ち、次に意欲を持ち、そして知識を持つ。この点に関連して、経験における(そして特に本能的行動における)欲求的要素の優位を説くマクドゥーガルの見解が想起されよう。ジャイナの思想家たちは、無意識というものを知らなかったわけではない。ナンディー・スートラは、マティ・ジュニャーナ論のうちに無意識のありようを描き出している。ジャイナの分析するカルマの教義は、ユングの言う「集合的無意識」により近いところがある。ユングは、無意識の元型のうちにカルマ的な要因を見出すことも可能だ、と述べている。
プラジュニャーパナー・スートラは、パシュヤッター(paśyattā)と呼ばれる独特の心的力を認めており、これは「持続的な見(prolonged vision)」を意味する。本論考ではこれを、ムネーメー(mneme)——すなわち、私たちの経験を保持し、後の新たな経験の基盤となる心的な力——として解釈している。
T.G.Kalghatgi
太字は引用者によるもの
ということで、カルガタギはユング心理学についてガッツリ分析したわけではないものの、無意識および集合無意識の次元においてはユング心理学を引用し、ジャイナ教のカルマ論と結びつけているようだ。
というわけで、今後はこのサイトをじっくり調べていこう。AIを使って。
