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心の扉


🌏本州と九州を隔てる「関門海峡」は、数々の戦争や決闘の舞台ともなった海上交通の要衝である。

    平家滅亡の「壇ノ浦の戦い」、幕末の「下関戦争(長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた武力衝突)」、宮本武蔵の「巌流島の決闘」。それらは、日本の歴史の転換点となる一大事件となった。

 関門海峡に面した「門司港」の街に来るたび、幾多の荒波を潜り抜けてきた土地の矜持を感じると同時に、一方では清々しい解放感に満たされるような思いがする。人間に例えるならば、豊かな人生経験を持ちながら、遊び心を忘れず、心を開いて、いつでも打ち解けることができる明朗快活な人、とでも言うべきものかもしれない。

 この港町に宿る懐の大きさに身を委ねれば、自ずと心も軽くなるような、風通しの良い心身状態となる。何とも不思議な街である。




🌏街の開放感と不思議さを味わいながら、あてどもなくぶらぶら歩く。岸壁にたむろする警戒心のない数羽の鳩を見て、もうじき始まるnoteの新しい機能のことをふと思う。

 今月27日から、日本語での投稿が自動翻訳され、世界中の人々に想いを伝えることができるようになるという。noteに記事を書くという創作活動が、日本のみならず、世界に向けて即時発信される。

 noteの世界に訪れる大きな転換点。そこには、どのような可能性が秘められているだろうか。






🌏今、世界では価値観の二極化が進んでいると言われている。

    一方は、これまでの時代の流れを受け継ぐ成長・競争至上主義的価値観。個人の能力やデジタル化を中心に据え、効率・生産性・結果を重視し、これまでの資本主義社会の歴史を踏まえながら、体制の維持を図ろうとする方向性である。

 他方は、持続可能性・調和を目指す新しい価値観。環境と人間社会との調和を意識的に目指そうとする流れである。それは持続可能性(サステナビリティ)、ウェルビーイング(心身の健康)、共生、循環、地域分散のコミュニティなどの概念として、すでに私たちの身近なところにも見出すことができる。

 この二極化の構図が生まれる背景には、「拡大・競争」のパラダイムが物理的にも環境的にも限界に達し、その中に生きる人間の心身も過大なストレスに苛まれ、もはや体制の現状維持は困難なものになってしまったからかもしれない。




🌏こうした価値観の二極化が進んでいるという見方がある一方で、この二つが単に対立するものではなく、「対立から融合への移行期にある」という見方もある。

 デジタル技術によって効率化すべき領域と、人間らしい生き方や自然環境を守る領域を両立させ統合していく。それが、今後の企業の競争力や個人の幸福を左右する鍵になるという。

 今後、二極化と分断がますます加速するのだろうか。それとも、古い体制と新しい価値観の融合の道が開かれるのか。

 現在が「移行期」であるとするならば、それは社会制度や主義が変わっていく過程というよりも、それ以前の問題として、個人の意識の中でどのように、古い社会の価値観と、新しい価値観の位置づけを見い出していくかが最も重要なポイントになってくるような気がする。



🌏依然として、私たちは既存の価値観が支配する社会の中に生きている。この社会構造の背景にあるのは、旧来の硬直化した政治体質、巨大企業の論理、グローバリズムの強大な影響力など、私たち一般人には到底手が及ばない不可視の巨大ネットワークの存在だ。

 この二極化の構図の中で、私たち個人はいったい何を見つめ、何を選択し、どのように生きていけばいいか。

 それは一見すると、あまりに漠然として、途方もないものに思えてくる。しかし、この旧来の社会構造を支えているのもまた私たち一人一人であることを踏まえると、可能性の光がまったくないとは言えないのではないか。






🌏私たちは労働者・納税者・消費者としての役割や義務、価値といった「社会に貢献する人」になるための教育は手厚く受けるが、一人の人間として心身共に健康的で自由に生きるための知識や技術については、まったくの放任主義であり、個人に委ねられている。

 人間本来の健康的な在り方を取り戻すための第一歩、それは意識の主軸を、競争社会一辺倒から、周囲の人々や自然環境とのつながりへと転換していくことが大切なものになってくると思う。

    一人の社会人として、既存の社会活動に貢献する「ON」の状態と、個人の生活において、社会活動と距離を置く「OFF」の状態を意識的に使い分ける。

 例えば、大企業の論理に支配された消費行動から、地元の商店街での消費行動へと転換する。AIやデジタル空間への傾倒に距離を置き、自然環境で過ごす時間をつくる。集団行動から離れ、自分一人や少数の人との親密な時間を大切にする。

 このようにして、便利・快適さの追求から、手間暇かけた生活を取り戻す。その中で心身の健康を見つめる在り方へ、社会への過度の依存から一人の人間として生きるリアリティへと意識のベクトルを移していく。

 やがて意識変容の波紋が広がっていったとき、社会はやがて人と自然環境とが調和する方向へと舵を切る「歴史の転換点」を迎えるのではないだろうか。





🌏新しい在り方への転換は、現在すでにDAO、地域通貨、自給自足コミュニティ、個人間のネットワークなどとして、「既存システムの手が届かない場所」で新しいムーブメントが生まれ始めている。

    このnoteというプラットフォームもまさに、その新しい価値観が芽生えつつある現場のひとつだ。

 今日、noteの世界における新しい価値観の広がりは始まったばかり。既存の価値観の枠組みの中で、いかに社会によりよく適応し、自己表現していくか。どのように自分を見つめ、喜びや幸福感を見出していくかを模索している段階だろう。しかしその中には、新たな可能性を切り開く、独創的な視点もかなり見受けられる。





🌏行き詰まった社会を何とかしたいという想いや祈りが、これほど切実なものとして感じられる時代は、少なくとも戦後80年間はなかったような気がする。しかし、その出発点となるアクションは、政治家やリーダーシップを発揮する有名人にお任せするのではなく、私たち自身が身近なところから始める以外にないのではないか。

 これまでの社会にあった人間関係の在り方を見つめ直すことも重要だろう。それは身近な家族や親しい友人、職場の同僚だけでなく、何気ない日常のひとコマで出会う人との関わりにも、見つめるべき視点は多々あると思う。

 スーパーやコンビニのレジで働くスタッフの方とのさり気ない挨拶を交わしたり、路上ですれ違う人に先を譲ったり、あるいは、道路工事での交通誘導員や、宅配便の配達員に挨拶や労いの言葉をかけたりといった日常の中でのささやかな思いやりは、これまで軽視されがちなことだった。

 しかし、一期一会の中に心の触れ合いを見出す意識は、自分自身の現在地を測る指標にさえなる。そこでは意識のベクトルが自分だけに向いているのか、それとも世界に向かって心の扉が開いているかが明らかになるからだ。

 瞑想している時、この違いがよく分かる。雑念に巻き込まれていると、止めどもなく言葉が溢れ続け、ただ座っているだけなのに疲労困憊してしまう。しかし、思考が湧き起きずに内側が深く静まる時、外側の世界との境界線が消え、何とも心地よい静寂が際限なく広がり、他者や世界との繋がりを意識できるようになる。




🌏言うまでもなく、不信感渦巻く現代社会にあって、見ず知らずの人に対する警戒心は失われてはならないもの。しかし直感的に心を開くことが親和性を生む状況だと察知できたならば、その意識の中から新しい共生の意識は育まれていく。

 社会の片隅で生まれた温度変化は、やがて社会全体へと波及する。分断と拒絶は冷淡さをもたらし、共生と融和は温もりをもたらすと思う。

 オリンピックやワールドカップなどの試合後、大勢の日本人観客が自主的に客席周辺のゴミ集めをする姿は、欧米メディアがこぞって取り上げ、一躍有名になった。それがきっかけとなり、一部の海外の人々が自分たちの暮らす街のゴミ拾いをするようになったという。

 これは、自ら心を開き、アクションを起こすことによって、新しい意識が世界に伝播し共鳴していくという奇蹟的な現象が、いつでも起こり得るということを示す好例だ。

 それは、社会の巨大な力に真っ向から立ち向かうのではなく、自分自身の周囲半径1メートルからできることをするような、堅実な意識変容の姿を垣間見せてくれるような光景である。





🌏いったい人の想いが共鳴するのは何故だろう。

 ある人はすべての人は見えない糸でつながっているからだという。また別の人は生存本能から生まれるという。

 何であれ、それについて頭で考えることは誰にでもできるし、それを否定することもできる。しかし、「内なる炎」を思考によって生み出すことはできない。

 それは私たちのハートから溢れ出る炎。
 共鳴していくのは、唯一ハートの愛そのものだ。






🌏自分自身の在り方が変われば、古い社会の論理はもはや個人の内側において維持できなくなる。世界が平和になるのを待つのではなく、まず自分自身の内側で戦うことを止め、平和を生きる。この逆転の発想こそが、硬直化した世界に差し込む一条の光明となるのではないかと思う。

 noteという極めて個人的な独白の場が、社会の中に小さな波紋を投げかける。一つ一つの内なる炎はとても小さいかもしれない。しかし、これまでの社会には起こり得なかった「想いの共鳴」が起こる可能性が生まれる。

 広大無辺な荒涼とした社会の中では埋没してしまうような一人の想いも、noteの世界では、どこか遠い街に暮らす見ず知らずの人との親和力を導き出し、心の灯火という静謐な奇蹟を生み出すことができる。想いを共有する人が同時代に生きているという驚きと感動は、決して私たちが孤立した存在ではないことをあらためて思い知るひとときとなる。

 これまでは、芸術家がその役割を担ってきた。これからは、私たち一人一人が真の創造者クリエイターとなり得る時代が来る。





🌏今月下旬から始まるnoteの自動翻訳機能の実装。それは世界中の人々に想いを伝えてくれる現代版「伝書鳩」となる。

 今、西洋型物質主義世界の価値観は、深刻な行き詰まりに直面している。イラン戦争はその最たるものだ。想像を絶する悲惨な現実に直面している人々の中に、世界の「平和と調和」を求めていない人など、どこにも存在しないだろう。

 人間だけが豊かになって、自然界は搾取する対象としてきたこれまでの文明社会の在り方が変わらない限り、今日の資源エネルギー争奪戦や環境破壊を止める道筋は見えてこない。

 そうした世界の現状において、私たち日本人が受け継いできたはずの自然観や風土愛としての「自然を慈しむ」感性や、「万物に神が宿る」といった自然に寄り添いながら生きる姿勢は、人間関係を慈しみのあるものに変え、地球環境の摂理と深く共鳴する精神性だと思う。

 平和と調和への想いは、心の扉を開き、清々しい風を迎え入れてくれる。世界にも私たちの感性と共鳴する人は少なからずいるに違いない。

 noteの新しい機能は、利益や満足感、幸福感をいかにして外側の世界から得るかという「獲得・所有」のステージから脱却し、「世界をいかに美しいものにしていくか」を探求する一つの機会になるだろう。



「ひとつのことを覚えておきなさい。この地球を去る前に、ここに来たときよりも少しだけ美しく、少しだけ愛らしく、少しだけ香り高い場所にしてから去らなければならないということを」

OSHO「ダンマパダ」
めるくまーる刊






シー・シェル(貝がら)
吉田恭子



ありがとうございます

北九州市門司港レトロと関門海峡
対岸は山口県下関市


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燿 (hikari) 🐭🐮🐯🐰🐲🐍🐴🐑🐵🐔🐶🐗😽🐷