文学百景①
≪読む≫ということについて
読書というものは人を教養深くしますが、聡明にするものではありません。映画なら映像を見ながら爪を切ったり他のことができますが、読書というのは視界が全て持っていかれるため、そうもいきません。一分一秒が命取りになる現代においてこれほどまでに時代遅れなものはないでしょう。
さらにもまして、それは本当に時間の無駄なのです。ニーチェ曰く「読書をするのは怠け者の所業である」やショーペンハウアーにも「読書は他人の思考をなぞっているに過ぎない」とボロクソに言われています。
それでも人間は本質的に読んでしまうし、無駄だとわかっていながら書いてしまうのはどうしてでしょう。それについての答えをここで出すわけにもいきません。なぜならわたし自身も今その問いの道程にいるのですから。
わたしの場合はどうでしょうか。何もすることがなくて読書をしだした挙句に、それが悪しき習慣となってしまったのです。読書をしている間、ずっと同じ姿勢でいるため、腰や背中は痛くなる、目はどんどん悪くなってくる、人間としての機能が顕著に低下しているのが自分でもわかります。
残念ながら何時間もかけて読書をしてもそれが良い本だとは限りません。悪書は良書を駆逐してしまうのですから。京都大学のウェブ上に「西洋文学この100冊」というのがあります。それに倣いまして、今回は「文学百景」と題し、皆さまの読書遍歴にとってわたしはベアトリーチェの役を務めたいと思います。
文学百景①仏文・露文編
①ドストエフスキー『罪と罰』
やっぱりまずはドストエフスキーですね。超人思想と英雄意識によって足を踏み外し、下宿の老婆を殺してしまった青年ラスコーリニコフ。婆さんも悪人だったけれど、罪を犯したことには変わりがなく、彼に罰が襲いかかります。ひしひしと迫ってくるのは自身の良心、いつか捕まるんじゃないかという恐怖。これらの内省描写が巧みに積み重ねられています。終わり方が最高。「こうして救いを得られたのだな」と。
長編である分、終わり方にグッときます。『人間失格』にも影響を与えた文庫本全3冊。まずはこれを目指して読んでみたらいかがでしょうか。
②ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
またまたドストエフスキー。わたし個人はこっちのほうが好きです。シラーの『群盗』などの「放蕩息子譚」を基礎に置きつつ、「父親殺し」をテーマにした作品です。キリスト教思想と社会主義による革命思想などにも踏み込んでいてとても重厚な作品です。すべてが判明する最終巻の裁判の場面がとても面白いです。
余談ですがドストエフスキーは専属の速記者を雇い、自身がひたすら喋ったものを記者に口述速記させていたのです。こうして彼はたくさんの超大作を残したのです。
③ゴーゴリ『査察官』
ゴーゴリと言えば『鼻』や『外套』などと、○○等官などの間で繰り広げられるお役所的回りくどさをユーモアに描いた作品が多いですが、今回も例にもれず街にやってきた査察官にみんなが媚びへつらうストーリーです。でも今回は下級役人が巨大な組織に中で悲劇に見舞われるのではなく、貧乏貴族が街に派遣された査察官と勘違いされて生じた喜劇なのです。
巨大な組織を別の手段でやり込めてみせるという、解放感もあり読んでて気持ちが良いです。ケラーの『馬子にも衣装』も彷彿させます。
④トルストイ『イワン・イリイチの死』
ドストエフスキーと並ぶ作家、トルストイから。「光あるうち、光の中を進め」という彼のことばもありますが、まさに闇に取り込まれる瞬間、臨終の瞬間を描いた作品なのです。
⑤トルストイ『イワンの馬鹿』
彼は『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』などの超大作を残す一方童話や短編を残しているのです。その中から一作選ぶなら、やはり『イワンの馬鹿』でしょう。他にも『3匹のくま』は『パンダコパンダ』においてそのパロディーと思われる場面があったりします。
⑥チェーホフ『いたずら』
好きな人に想いを告げられず、いつまでもうじうじしているあなた。ぜひこの方法で試してみてください。元祖「吊り橋効果」による愛の告白方法、きっと成功するに違いありません。
⑦ツルゲーネフ『初恋』
美しい恋の情景をうつしだします。詩的な雰囲気の中で醸し出される青年の初恋がなんとも美しいです。そして彼女を射止めようとしているのは主人公のみではなく…そんな仲間との掛け合いも面白い一作です。
⑧サルトル『出口なし』
地獄とは何なのでしょう。ダンテや往生集に登場する鬼や悪魔のいる地獄なのでしょうか。いやいやそれはまだまだ優しい方。本当の地獄というのは「他人のまなざし」から逃げられないことなのです。
⑨カミュ『異邦人』
人を殺したのは、太陽がまぶしかったから。世界がおかしいのか、それとも自分がおかしいのか。アルジェリアに暮らす主人公が殺人を犯し、死刑になるまでの物語です。
⑩サン=テグジュペリ『星の王子さま』
「大切なものは目に見えないんだよ」という王子さまの台詞でも知られているこの作品。サン=テグジュペリはこの作品発表の一年後に飛行機事故で亡くなっているため事実上の遺作と言ってもいいでしょう。
たった一人で夜空を飛ぶ『夜間飛行』、ナチスに立ち向かった『人間の大地』や『戦う操縦士』などの思想がぎゅっと詰まった、優しい雰囲気でも中身の濃い作品です。
⑪エーメ『政策』
人は誰だってどこかでこれを経験したかもしれないというデジャビュを抱えて生きています。未来から過去に戻って過去に取り残された人間が経験する時間の不可思議さを描き出した作品です。
⑫マルキ・ド・サド『ソドム百二十日』
よくもまあこんなことを思いつくという「サディズム」の語源となった著者の作品。四人の権力者が自身の力を存分に悪用し、酒池肉林の饗宴を計画します。計画がたんたんと語られる中で、惨さの極みを感じます。
ソドムは旧約聖書に登場する神によって滅ぼされた肉欲の町。ちなみにサド侯爵は人生の大半を折の中で過ごしていました。
⑬モーパッサン『脂肪の塊』
美徳を口にする人間ほど醜く、軽蔑され虐げられてきた人ほど勇敢になるという極限下で描き出される人間の本質が垣間見えます。結局、軽蔑していた人の力を借りたくせに、売女と罵るという偽善とエゴが映し出された、短編作品中の傑作の一つです。
林芙美子などの日本文学への受容や、ジョン・フォードにも影響を与えている作品です。
⑭ゾラ『広告の犠牲者』
フランスを代表する作家のひとりであるゾラの作品から。『猫の楽園』や『オリヴィエ・べカイユの死』などと今までとは違った描き方で社会をうつしだした彼の作品の中でやはり極めつけはこの作品です。簡潔で明瞭な書き方の中に現代にも通じる点があります。
⑮サガン『悲しみよこんにちは』
「もの憂さとやさしさがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しく立派な名前を付けてよいのか、わたしは迷う」という書き出しは文学史に残るものではないのでしょうか。別荘で交わされる愛のさまざま。何とも魅力的で小悪魔的な側面のある作品です。
⑯スタンダール『赤と黒』
スタンダールってペンネームだったんですね。てっきりオノーレ・ド・バルザックみたいに本名に一部かと。ナポレオン没後の封建反動の世界で出世をたくらむ青年の物語です。彼もまたナポレオンのシンパでありましたが、それを表に出すなどと言う馬鹿な真似はしません。
出世のために女性をも利用しますが、悪になり切れない故に、20代なりの煩悶をします。赤い軍服を黒い聖職者のローブに着替え、青年は昇り詰めていこうとするのですが…なかなかうまくいかないものなのです。
⑰ユーゴー『死刑囚最後の日』
『レ・ミゼラブル』や『ノートルダムの鐘』などの作品も面白いですが、正直言うと映画版のほうが面白いし、手っ取り早く鑑賞できます。それでも仏文紹介の中にユーゴーをいれないわけにもいかない…そうして絞り出したのがこの作品。革命精神を残しつつ、描写に長けた作品です。
フランス文学には監獄や死刑台(ギロチン)などが多く登場します。例えば、『赤と黒』や『異邦人』など。ギロチンは大革命以降しばらく影響を持ち続けましたがWW2後のカミュにまで「死刑」というモチーフがあるのはなぜでしょうか。ユーゴーが死刑廃止を唱えて執筆した作品です。
⑱トルストイ『戦争と平和』
【読んでいないので雰囲気で】トルストイの長編と言えばまずこれでしょう。史実とそれぞれのパースペクティブが交わりつつ叙述される中で、繰り広げられる人間関係の数々。モームが「あらゆる小説の中で最も偉大な作品」と表現した一作です。
⑲ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』
【読んでいないので雰囲気で】『ロリータ』イメージが強すぎるナボコフ。だって「ロリコン」の語源ですからね。京大の先生もまずこの作品を読んでからナボコフに手を出してほしいと太鼓判を押しています。ぜひ読んでみたいです。
⑳プルースト『失われた時を求めて』
【読んでいないので雰囲気で】20世紀最大の文学と言えばやはりこれ。日本語で読むことのできる海外文学の中で最も長い作品と言えるでしょう。これを読んだら免許皆伝、ちなみにわたしは第一巻で脱落しました。
マドレーヌの香りによって遠い昔のことを思い出す主人公。誰にだって存在している「忘れていた思い出」それを探し求める試みが今始まるのです。
