見出し画像

小説 家事の鉄人 〜人類最後の聖域〜


2047年、秋。

東京ドームを改装した「家事アリーナ」は、五万人の観客で埋まっていた。

かつてここでは野球が行われていた。今は毎週土曜の夜、日本中が固唾を飲んで見守る国民的番組の収録会場になっている。その名も「家事の鉄人」。

アナウンサーの声が響く。

今夜の挑戦者、元マッキンゼー・アンド・カンパニー上席コンサルタント、田中誠一郎、48歳。

照明が白く落ちる中、田中は白いエプロンを締め直した。ステージの向こうには、人型ロボットのクラリッサ・モデル7が静止している。艶のない白いボディ、関節部分だけが鈍く光っている。

田中がコンサルタントとして働いていた頃、彼の年収は三千万を超えていた。

それが終わったのは2039年のことだ。

彼のチームが三ヶ月かけて作った経営戦略レポートを、翌朝AIが二時間で上回った。クライアントは丁寧に、しかし明確に契約を打ち切った。それだけのことだった。責める相手もいなかった。

再就職活動は一年半続いた。面接のたびに、採用担当のAIシステムが履歴書を弾いた。コンサルタントとしてのスキルは、もはやスキルではなかった。

そんな田中に家事を教えたのは、妻の由紀子だった。

包丁の持ち方から始まった。玉ねぎの切り方、米の研ぎ方、洗濯物のたたみ方。由紀子は笑わなかった。ただ丁寧に、何度でも教えた。田中は不思議と、その時間が苦ではなかった。

手を動かしていると、頭が静かになった。

考えても意味のないことを、考えずに済んだ。

家事に競技としての価値が生まれたのは2043年頃からだ。最初はSNSの動画投稿から始まり、速さと美しさを競う文化が自然発生した。メディアが飛びつき、スポンサーがつき、ついには全国放送の番組になった。

評論家たちはこう言った。AIが知的労働を担うようになった時代、人間の手仕事こそが真の知性の証明だ、と。

田中は最初、その言葉を信じていた。

今は少し、違う。

チャイムが鳴った。

課題は六十分以内に、四人分の夕食を作り、リビングを掃除し、洗濯を完了させること。採点は速さ、仕上がりの美しさ、動線の無駄のなさ、の三項目だ。

田中は動き出した。

まず火にかける。玉ねぎをみじん切りにしながら、洗濯機のスイッチを左手で押す。視野の端でクラリッサの動きを確認する。少し遅い。いや、遅すぎる。

田中は三ヶ月前からクラリッサの動きを研究していた。モデル7の最大処理速度は、人間の熟練者の約二倍のはずだった。だが番組内での動きは、どう見ても人間と互角か、それ以下だった。

メーカーの公式スペックと、ステージ上の動きが、合わない。

誰かが、意図的に何かをしている。

田中はその疑念を、誰にも話したことがなかった。話しても意味がないと思っていた。あるいは、確かめたくなかったのかもしれない。

五十八分十七秒。

田中が最後の皿を拭き終えた瞬間、会場が爆発した。

クラリッサの完了は五十九分四十二秒。人間の勝利だった。

スタンドマイクを向けられた田中は、照明の眩しさに目を細めながら言った。

家事は、人間の仕事です。

客席が沸いた。アナウンサーが感動したように声を上げた。SNSのトレンドに田中の名前が躍った。

翌朝。

田中はいつもどおり、六時に起きた。

由紀子はまだ眠っていた。台所に立ち、米を研ぎながら、昨夜の疑念がまた浮かんだ。

テレビをつけると、昨夜の自分の勝利を称えるニュースが流れていた。アナウンサーは言った。人間の意地を見た、と。

田中は米を研ぐ手を止めなかった。

水が白く濁り、透明になっていった。

いいなと思ったら応援しよう!

岩鷹サケスキーAI共作小説家 よろしければ応援お願いします!いただきましたチップは有意義に使わせていただきます。