第一章:九尾の子猫、人生最大の契約を結ぶ
【人物紹介】
ミミ(真名:ニャー)
種族: 九尾の猫妖怪(大妖怪級)
特殊能力: 主人の能力を転写(コピー)できる稀有な能力
外見: 猫形態では九本の尻尾を持つ黒猫。人間形態では小顔八頭身の美少女。猫耳が完全に隠れない
性格: 基本は自由気ままな家猫気質。プライドは高いが諦めも早い現実主義者。こたつとマグロ缶を愛する
経歴: 長い年月を生きる大妖怪だが、山奥の修行より都会のこたつ生活を選択。人間社会に紛れて気ままに暮らしていた
レイン(レイン・アークライト)
職業: OL(表の顔)/ 国家登録退魔師(裏の顔)
特殊能力: 一族でも規格外とされる霊力。ノンモーション魔術、特に雷撃系に長ける
外見: 二十代前半。くたびれたオフィスカジュアルが普段着
性格: 普段はズボラで軽口を叩くが、戦闘時は冷徹なプロフェッショナル。交渉術に長け、相手を言いくるめる天才
悩み: 本業の退魔師だけでは稼げないため、副業を模索中
【世界観】
現代日本。人間と妖怪が共存する世界。
妖怪の多くは人間社会に溶け込み、正体を隠して暮らしている。一方、人間の中には「退魔師」と呼ばれる特殊な能力者が存在し、危険な妖魔を討伐・封印する仕事を政府から請け負っている。
だが、退魔師の仕事は不定期で報酬も不安定。多くの退魔師が副業を持ち、二重生活を送っている。
そんな世界で、こたつを愛する九尾の猫妖怪と、副業に悩む最強退魔師OLが、運命的な出会いを果たす――
【プロローグ】
この世界には、人間の目に映らない「すき間」がある。
ビルとビルの隙間。街灯が届かない路地裏。
深夜のコンビニの裏手。駅のホームの端。
そして、冬の夜にだけぽっかりと口を開ける、こたつの中。
人間たちは忙しく働き、スマホを覗き込み、明日を心配しながら今日を食いつなぐ。
そのすぐ隣で、彼らとは少しだけ違う「存在」たちが、ひっそりと息をひそめて暮らしている。
妖怪。幽霊。神様未満の何か。
そして――九本の尻尾を持つ、一匹の猫。
これは、そんな「すき間」でのんびり暮らしていた九尾の猫妖怪が、
ひょんなことから最強クラスの退魔師OLに捕まり、
人生最大の契約を結ばされてしまう物語である。
こたつのぬくもりと、雷鳴の轟き。
SNSの通知音と、古の契約の言霊。
家事と副業と世界の危機。
そのすべてが、九本の尻尾に絡みついて――
一匹と一人の、奇妙で温かい「家族」の物語が始まる。
第一話「こたつ猫、最強OLに捕獲される」
「ふにゃああああ……」
私は今日も最高に幸せな声を漏らしながら、こたつの中で丸くなっていた。
外は冬の冷たい風が吹き荒れているが、こたつの中は天国だ。ホットカーペットの上で、窓から差し込むやわらかな日差しを浴びながら、人間が残していった少し冷めた焼き魚を食べる。これ以上の幸福があるだろうか。いや、ない。断じてない。
私の名はニャー。九尾の猫妖怪である。
昔は山奥で人を喰らうだの魂を弄ぶだの、妖怪らしいこともやっていた気がするけれど、気がついたら猫又になり、気がついたら尻尾が二本になり、気がついたら九本になっていた。
「この現象は狐では良くあることらしい」
昔、山で出会った九尾の狐がそう言っていた。私は猫なのだが。
九尾になったら山奥にこもり、偉そうに構え、大自然の気を吸って仙人みたいに暮らす――というのがどうやら「定石」らしい。だが、私は断固としてこたつを選んだ。
人里離れた山の中に、こたつは無い。コンビニも無い。夜中に人間がコンビニ弁当を抱えて帰ってきて、うっかり魚を落とすなどという奇跡も無い。
したがって、私は都会暮らしを選んだ。それが、九尾の猫又として、いや、家猫としての誇りであり、生存戦略である。
――そのはずだった。
「ブニャー!!」
突然、視界が白く弾けた。
身体が横っ飛びに吹っ飛ぶ。毛が逆立つ。九本の尻尾が一斉に膨らんだ。私は宙を舞いながら、反射的に霊力を展開したが、それよりも速く、ふわりとした何かが身体に絡みつき、霊力の流れを縛り上げる。
――札。それも、かなり上質な。
「よし、捕まえた」
耳に心地悪い、けれどよく通る女の声が落ちてきた。
私は空中で縫い留められたまま、ようやく捕獲主の顔を見上げた。
人間のメス。二十代前半。くたびれたオフィスカジュアルに身を包み、手にはコンビニの袋。どこにでもいるOLに見える。だが、その身体の中心から立ちのぼる霊力の密度は、私の長い妖怪人生の中でも一、二を争うほど凶悪だった。
……しまった。よりによって、変なのに見つかった。
「えーと、猫! 名前はあるか?」
女は、まるで野良猫を保護した程度のノリで、さも業務連絡かのように問いかけてきた。
「人間め、名前があっても教えてやるものか!」
私は歯を剥き、低く唸り声を上げた。猫耳の根本から、妖力がじわりと立ち昇る。
女は少しだけ首を傾げて、そして事もなげに答える。
「あっそ。じゃあ、電撃、火責め、水責め、言葉責め、どれがいい?」
選択肢が地獄しかない。私は瞬時に計算した。電撃と火は毛が焦げる。水は濡れるから嫌だ。ならば――
「言葉責めが良いです」
反射的に答えてしまった。なぜだ。猫のクセに。いや、猫だからか。
「わかった、火責めね」
「話を聞け!!」
女は、私を吹き飛ばしたのと同じ札をすっと取り出すと、そこに霊力を流し込み始めた。赤い光がパチパチと爆ぜる。本気だ。こいつ、本気で私を焼き鳥にする気だ。
「まったー! まってー! 落ち着けー!」
「私は落ち着いてる」
淡々としたその物言いが、清々しいほどにムカつく。猫耳がびくりと動き、尻尾がばさっと一斉に飛び出した。
「動物愛護団体に訴えてやる!」
女は、そこでようやく小さくため息をついた。
「人間世界の知識は多少はあるみたいだけど、"喋る猫"が世の中に出たら、まず間違いなく見世物にされるか、実験動物になるかしかないと思うけど――それでも行く?」
頭の中に、一瞬で光景が浮かんだ。見世物小屋。ネット配信。四六時中、ガラス越しに指さされ、撮影され、ストレスで毛が抜ける九尾の猫又――。
……無理だ。
私は理解した。この人間には勝てない。理屈ではない。本能が、生物としての格の違いを告げている。
「くそ……」
女は、私の反応に特に喜ぶでもなく、ただ事務的に続けた。
「そろそろ、名前言ってもらっていいかなあ」
私は黙った。黙ったまま、女を睨み続けた。だが、女もこちらを見上げたまま、まばたきすらしない。
「黙るのは構わないけど、あなたも永く生きてる妖怪だから、念のために宣言するね」
女の声が、少しだけ低くなった。
「選択肢は二つ。一つ目は、滅ぼされるか封印される。二つ目は、名前を言って――私に仕える」
私は、鼻で笑ってやった。
「そして、実はもう一つある。あなたが強制的に契約を結び、私を使役する。そうだろう?」
女の口元に、わずかに悪い笑顔が浮かぶ。
「あら、詳しいのね。その場合、失敗すれば化け猫さんは消滅。成功しても、人間である私の強制力が強すぎて、あなたの自由意志は完全に消える。ロボットみたいになりたい?」
……こいつ、たちが悪い。
私の尻尾が、ふるりと揺れた。九本のうち、一本だけがぴんと立ち、後の八本がその一本を支えるように揺れる。妖怪にとっての「降参」のサインだ。
「あー、もう。わかった、わかった」
私は観念して口を開いた。
「私の名前は――ニャー。昔、初めて人間につけてもらった名前。それを、ずっと使っている」
女は「なるほど」とだけ言い、コンビニ袋を地面に置くと、両手を合わせて契約の呪文を唱え始めた。空気がビリビリと震える。
「我、名はレイン。人と魔物の古の盟約に従い、汝を使役する。汝の真の名前は如何に。それを以て契約を完了せり」
私の周りを、なんとも心地よい光が包み込む。これは、この人間――レインの霊力か。荒々しい暴力的な力かと思っていたが、根底にあるのは温かく、澄んだ光だった。これなら、仕えてやっても悪くないかもしれない。
私は、光に包まれながら答えた。
「我が真の名はニャー。未来永劫、いかなる場合でも主人を守ることを――ここに誓うものなり」
カッ、と強い光が弾け、私とレインを同時に包み込む。私の胸元――見えないどこかに、何かが刻み込まれる感覚が走った。
「契約、完了」
光がすっと引き、世界が色を取り戻した。
レインが、にこりと笑う。
「ニャー――じゃなくて、これからは"ミミ"ね。契約は完了。よろしく」
私はレインを見ないまま、短く答えた。
「レイン。未来永劫、主人として認め、いかなる時もあなたを守ろう」
誓わされてしまったものはしかたない。我ながら、猫にしては義理堅い。
レインは、晴れやかな笑顔を浮かべながら、唐突に質問を投げてきた。
「ねえ、ミミ。人間に化けられる?」
私は、思い切りため息をついた。
「はいはい……」
ぼん、と音がした(気がした)。骨格が変わる。筋肉が伸び、指が五本に分かれ、尻尾が見えなくなるように巻き込まれる。耳は頭の上から横へと降り……――完全に隠しきれず、髪の間から猫耳がちょこんと覗く。
「はい。人間に化けました」
制服姿の女子高生風、ではなく、適当に昔真似た二十代女の体型。スタイルは、まあ、悪くはない。
レインは、目を見開いた。
「か、かわいい……。え、女の子だったんだ。スタイル良し、小顔、八頭身……これは……」
レインの目が、キラキラを通り越してギラギラと光りだした。嫌な予感がする。
「これからは、"ミミちゃん"って呼ぶね!」
「主人にどう呼ばれても構いませんが――」
そう答えかけた瞬間、ふと気付いた。
「レインって、もしかしてメスなのか?」
レインは、思いっきり驚いた顔で振り向いた。
「どっからどう見ても女子よね? あなたの言うところの"メス"よ?」
私は、ぽろっと本音が零れた。
「ものすごい馬鹿力と霊力だったから、てっきりオスかと思った」
ゴリラか何かの類いだと思っていた。レインは特に傷ついた様子もなく、遠い目をして呟く。
「最近、関わる妖怪や人間に同じこと言われるんだけど……」
どうやら自覚はあるらしい。
「この世の中、妖怪退治や除霊の仕事はたまにしか来ないし、しかも政府の仕事がほとんどだから、私のような分家はあまり稼げないのよ」
あれだけの力がありながら稼げないのか。世知辛い。
「レイン、人間も苦労してるんだなあ」
「そうなのよ。だからね、ミミ」
レインは私の肩に手を置き、真剣な眼差しを向けてきた。
「あなたも私のバイト、考えてよ」
うーん。これが、サラリーマンという役職の男が言っていた「丸投げ」という技なのだろうか。
「会ったばかりの人間に合うバイトが見つかるかわからないけど、考えてみる」
もしかしてこのレインという人間のメスは、新しいバイトを探すためだけに、私を使役した訳ではないよな?
「レインは何かしたいことはないの?」
「ない」
即答かよ! このダメ人間!! 考えることをしないのか!?
レインは悪い顔をしながら、こちらを向いてきた。
「あなたの考え、筒抜けだから気をつけてね」
私は思わず叫んだ。
「プライバシーの侵害だ! 人権侵害! 考える自由を要求する!」
「人権ではないわね。猫権? 妖権?」
レインは、ちょっとだけ考える顔をしてから、懐からリボンのついた可愛らしいチョーカーを取り出した。そこに手早く呪文を施し、私の首に巻きつける。
ふわり、と冷たい感触。見ると、それは可愛らしいリボンのチョーカーになっていた。
「……これは何?」
私が眉をひそめて尋ねると、レインはさらりと答えた。
「それはね、ミミ――美々(みみ)が、人に邪悪な意図を強く持った時や、行動しようとした時に首が締まるよう、呪文を施した一品です」
「は?」
私は反射的に手を伸ばし、チョーカーを外そうとした。
その瞬間だった。
『キュングン』
可愛らしい起動音とともに、チョーカーが、ぎゅっと締まった。
「がっ……! ぐ……!」
喉が締め付けられる。空気が入らない。視界の端が白くぼやけ、足元が遠くなる。
――あ、これは、死ぬやつだ。
意識が遠のいていく中で、私は妙に冷静に結論した。
ああ、猫吉……猫田……。遥か昔に別れた兄弟たちが、花畑で私を呼んでいる。なんてベタな……。
世界が、白く塗りつぶされた。
「――妄想に浸っているところ申し訳ないのだけれど、あなた生きてるわよ。一回死んだけど」
耳に戻ってきたのは、聞きたくない声だった。
私は猫の姿に戻っていた。四本足。モフモフ。尻尾九本。安全確認よし。
「確かレインという人間に捕まって、人化して、首が閉まって、兄弟たちが見えて……私、死んだんだ!」
私は毛を逆立て、全身でレインを威嚇した。
「フーー!! あんたになんかやられないから!!」
『キュイーン』
首元から、あの忌々しい音がした。
「少し落ち着きなさい。また死にたいの? 蘇生させるの、けっこう大変なんだからやめてよね」
なんと勝手な人間だ。私を使役し、さらに首の締まる呪具までかけておきながら、「落ち着け」とは。
「フーッ! 落ち着けるわけないだろう! 首が閉まるんだぞ!」
レインは、心底めんどうくさそうにため息を吐いた。
「はいはい。深呼吸して。落ち着かないと、また首が閉まるわよ」
私は、渋々深呼吸した。鼻から吸って、口から吐く。猫にとって意味があるのかは知らないが、やらないと本当に締まる。
……気づけば、首輪からの音は止んでいた。
「このチョーカーはね、ミミが人間に敵意を持ったり、交戦的になったら首が閉まるようになっています」
私は、思わず叫んだ。
「ちょっと待て! 少しでも思ったら首が閉まるのはおかしくないか?! 人間だって、瞬間的に血が昇ることぐらいあるだろう!」
レインは、こくこく頷いて話を続ける。
「あなたの妖力が強すぎて、最初の設定だと、いきなり首が閉まっちゃったのよね。声をかけた時にはもう意識が飛んでて、敵意だけ剥き出しだったから、止めようがなかったわけ」
「ということは、やっぱり思っただけでも首は閉まるんだな?」
レインは、横に首を振った。
「それは"前チョーカー"の話。今のは改良して、音が鳴って、あなた自身が『人間に攻撃しようとしてる』って自覚できるようにしただけ。いわば――パブロフの犬、ならぬ、パブロフの猫」
「パブロフの猫……」
私は、呟いた。屈辱的だが、妙にしっくり来るのが腹立たしい。
「この音、かなり迷惑だと思うのですけど」
「ミミ、その音、私とあなたにしか聞こえないから」
私はレインを見上げた。
「へ?」
「あなたが言った通り、周りの人に聞こえたら迷惑でしょ?」
……こいつ、性格が悪いが、頭は良い。
その後、レインはチョーカーの細かい"首が締まるルール"と"緩むルール"を延々と説明してくれたが、半分くらいで聞くのをやめた。どうせ、私の負けだということだけは、十分に理解したからだ。
「――というわけで、チョーカーの話はここまで。本題に戻るけど」
レインの声が、ひどく嫌な響きを帯び始める。
「副業の話まで戻すね。ミミ、私に手間をかけさせたんだから、ちゃんと考えなさいよ」
レインの無茶振りは酷すぎる。家猫に最も合わない話だ。
「いくら人間社会の中で生活していたとはいえ、いきなりは無理だ」
と主張したら、レインからの回答は、
「あれ? 家猫だったんでしょ? テレビとかインターネットとかラジオとか聞いてないの?」
私は呟いた。
「いくら大妖怪とは言え、基本は家猫なんですけど。こたつやあったかいお部屋でぬくぬくしながら、適当に人間に構ってもらえれば良い家猫なんですが」
レインは大きくため息をついた。
「はー……その大妖怪は家猫に成り下がり、何も考えず生きてきたわけね」
この人間は、本当にものの言い方が悪いなあ。
「レイン、私が言うのもなんだけど、ものの言い方は大切だと思う」
レインは顔を歪めながら呟いた。
「チッ……まさか猫に諭されるとは思わなかった」
自覚があるだけ、この人間はまともかもしれないな。
レインは私を見つめて、宣言した。
「ミミは、取り敢えず人間社会に慣れるため、レインの下働きを言い渡します」
「……下働き?」
「具体的には、家事の一切合切である」
それをやらせれば、何か副業を思いつくだろうという魂胆らしい。人間とは、なんと傲慢なのだろう。
だが、その話は――また別の一日の話になる。
この日。九尾の猫又である私は、人生最大の契約を結び、人生最大級に首を締められ、そして――未来永劫、守ることになる主人と出会ったのだった。
【第一話 完】
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