京街道をあるく⑥
こんにちはぼーです。
京街道の起点について

この高麗橋ですが、今では京街道の起点になっていますが、実は京街道の起点は時代によって変化しているのです。
まずは、下写真を見てください。


京橋付近②の説明書きは、非常にまとまっていて読みやすいので皆さんも読んでみてください。内容は、「京橋と言えば、今まではJR、京橋、地下鉄などの集まる繁華街として知られていますが、その名は大阪城の北側の寝屋川にかかる小さな橋「京橋」に由来します。京街道の起点にあたり、京都へ通じる橋という意味から名づけられ、その街道は徳川時代を通じて野崎まいりの人々でにぎわいました。この橋の誕生は豊臣秀吉の時代と言われ、江戸時代には天満橋・天神橋などとともに公儀橋として重要視され、高欄擬宝珠(ぎぼし)つきの立派な橋でした」とあります。
もう少しわかりやすく説明をしますと、最初に京街道を整備した豊臣秀吉は、その時代は大坂から京へ通じる道であることから京橋口が発着地点でした。しかし、江戸時代に入り入り、徳川家康に政権が移ると、幕府は東海道や中国街道、紀州街道の発着点を高麗橋としました。ちなみに、大坂には12の公儀橋があり、その第一号でした。
つまり、東海道が57次になってからは起点が、「京橋」ではなく「高麗橋」となりました。実際に歩く際に参考にした地図や本でも、起点は「高麗橋」であり、こちらのブログでは高麗橋から出発することにしました。
次に、下写真(高麗橋①~④)を見てください。




ちなみに高麗橋④の説明書きには、高麗橋について
「東横堀川は大阪城築城のとき外堀として改修されたといわれる 高麗橋はそのころにかけられたらしく現在大阪城天守閣に保存されている慶長九年(一六〇四)の鋁のある鉄製擬宝珠はこの橋のものと伝えられている 江戸時代の高麗橋は幕府管理の十二の公儀橋の中でも格式高く 西詰に幕府の御触書を掲示する制札場があったほか諸方への距離をはかる起点にもなっていた 明治三年(一八七〇)九月大阪最初の鉄橋にかけかえられ さらに昭和四年(一九二九)六月に現在の鉄筋コンクリートアーチ橋にかわった 欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷を模した柱は昔の面影をしのぶよすがとなっている」と書かれています。
補足説明しますと、京橋には幕末期にも他の公儀橋ではほとんど失われていた高欄擬宝珠があり、なかには「元和九年造立」の刻銘のあるものもあり、浪華の名物になっていました。橋の損傷を防ぐため幕府御用の荷物以外、車の通行は禁止されていました。
明治18年(1885)の大洪水により落橋し、現在の銅橋は大正13年(1924)年に完成したものです。昭和48年(1973)、橋の上に歩道橋「大坂橋」が重ねられました。
※太字は個人的に勝手に重要と思った単語です。これから何回か出てくると思うので頭の片隅に入れておくのもいいですよ。
東海道は53次じゃないの?と思われた方がいるかもしれませんが、そのことについてはこれから紹介する京街道の歴史についてのブログを読んでいただければ少しはわかるかと思います。
