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『3月の本』:幸せな円環の日々

「歳時記」のような仕事と暮らしを、ずっと続けてきた。

春に新しい出会いがあり、1年がはじまる。
夏に過ごし方が変わり、1年の重心となる。
秋に継続を強め、1年の流れに深みを出す。
冬に力を溜め、1年をかけた飛躍を目指す。

そして春を迎え、大きく羽ばたく。

そんな円環がこの2月末に崩れた。3月は冬が続くかのように、じっと耐え忍ぶ日々。かなりつらかった。それでも手放さなかったのは、『3月の本』。

西崎 憲 編『3月の本』国書刊行会

いつものような1年を締めくくれなかった分、「12か月の本」はしっかり駆け抜けたい。いつものように、ていねいに。それがむしろ、心に落ち着きがうまれる。それは叶った。

3月のうちに準備をして、4月から新たな場を得たことで、ようやく3作品を選び出すことができる。いつものように、ていねいに。


春来頻リニ到ル宋家ノ東
袖ヲ垂レ懐ヲ開キテ好風ヲ待ツ

ぐのには川底が浅すぎる、さおをさすのには流れが速すぎる——そのような川を渡るために、岸から来しへ綱を引き、乗手は綱を手繰たぐって舟をすすめる、これを繰舟くりふねの渡しとう。
 その娘の家の裏門は川ふちに開いて、繰舟で向う岸の街道に渡った。橋は見霞みがすむ川下の村境いのはてであったから、その繰舟はあたりの人々にとってもこのうえない近みちであった。

牧野信一『繰舟で往く家』

書き出しからして酔う。漢詩は日本語のふるさとだと感じる。調べると、中唐の詩人、元稹げんしんの作で、男女の情愛を詠む艷詩えんしの名手だったという。そして繰舟という逢瀬をむすびつける装置に期待も膨らむ。漱石の草枕の冒頭を思わせる律動で、これから始まる物語の響きを予感する。

牧野信一『繰舟で往く家』では、題名どおりの家に住まう娘のもとへ、恋する男が通う。だが3月のはじめに二晩続きの荒天で、その繰舟が流され、男は娘のもとへたどり着けない。辺りの橋も壊れてしまった。川岸からお互いに声をかけあうことができるほどの川なら、それぞれ上流に向かって歩いていけば、いずれ川幅は狭くなり、対岸へ渡れるようになる。それを信じて二人は歩き続ける。

なかなか狭まることのない川幅にもどかしさを覚えつつ、恋人に触れたい、頬を寄せたい一心で歩を進める二人。嵐の去った春の陽射しに、こまやかな心の動きがきらきら輝いていて、読むこちらが目を細めてしまう。足先を濡らしながら岩や石を踏みしめて対岸に行くのか。あらかじめ知ることのなかった橋が現れるのか。二人のゆく末をどきどきしながら、綱ではなく頁を手繰る。触れたのは、頁なのか、心なのか。


かつて芥川賞をめぐって、日本ではない舞台で、日本人が登場しない小説を、日本人ではなく、日本語を母語としない作家が直接、日本語で書いたものを、はたして日本文学といえるかどうかという議論があったという。

何となく、それを思い浮かべたのが、上海の仏蘭西租界と巴里を舞台に、フランス人であろう男女が、一人の少年、いや青年をめぐる愛憎を描いた須永朝彦『LES LILAS リラの憶ひ出』

まず題辞で、はて、と思った。

三月のリラの旅荘オテルの宿帳にジャンはジャンヌとルイはルイザと 読人不知

慣れない翻訳小説で頭を悩ませるのが、人名だけで男女の区別がつかないことだ。ひと昔まえの翻訳なら、多用される女ことばで判断できることもある。しかし、地の文であれば、これはどちらの仕草なのかとふと考えて、少し前から読み直してしまうこともある。今回はフランス名。この紛らわしさが伏線なのだと、後々に気づくことになる。

 ジャンヌとルイを乗せた馬車は、租界の一隅に建つ瀟洒な旅荘の前に停まった。白堊の館の中の白い部屋、ほのかな燈火あかりに包まれて二人はかひあふ。支那風に結び上げたジャンヌの髪のびんのあたりが微かにほつれ、白い冷たい手がルイの指から逃れる。
「ルイ、あたしくの役目はこゝまでよ。にせシンデレラは夕暮が門限。だましてしまつて御免なさいね。本物の恋人が現れるまで、こゝで待つてらして」
 ルイは長い睫毛をしばたゝかせて不思議さうに見てゐたが、何も言はなかった。
「ジャンが来るのよ。あたくしはおとり、従妹なんかぢやないわ。こんなこと話してしまつてはいけないんだけれど、あの人、好きになつた男の子をあたくしに誘惑させるの。それで成功すれば、一晩だけ、あたくしは彼のお部屋に入れて貰へるってわけ。仕方がないのよ。あたくし、ジャンが好きだから」
 ルイは少しも驚かなかつた。

須永朝彦『LES LILAS リラの憶ひ出』

読後にしらべたところ、この『LES LILAS リラの憶ひ出』は少年愛小説というらしい。BLであれ百合であれ抵抗はないが、異国情緒のあるとりかえばやという印象を受けた。ジャンが愛しているのは、ジャンヌなのか、ルイなのか。ジャンを愛しているのは、ジャンヌなのか、ルイザなのか。

さらに不思議だったのは、耽美的な七五調。須永朝彦は多才だったようで、小説も書けば短歌も詠み、外国文学を翻訳して脚本に仕立てる翻訳潤色台本も手がけていたそうだ。道理で、欧風の機智エスプリと和風の諧謔ユーモアが乱れる。ソオダ水が弾ける、くすみカラーのフルーツポンチのような味わいが、とても新鮮だった。


手に入れるのにすったもんだがあり、書物に罪はないのに、思い出すと手に取ることをためらってしまう須賀敦子全集。文庫判ではなく、函入りのハードカバーを選んだものだから、書棚の幅を占めるわ読むのに重いわで、実は別の全集の影に隠れてしまっている。調べることがあって、思い出したように引っ張り出して開くものの、向田邦子全集のような通読はいまだ叶っていない。

それでこの「12か月の本」で須賀敦子の随筆が載っていると、身を乗り出すかのように読んでしまう。そして、いいものを読んだという満足感とともに、なぜ須賀敦子全集を積読しているのだろうと悔やむのだった。

3月の『オリエント・エクスプレス』も然り。前半は、留学先のローマから旅行で向かったロンドンから、若かりし頃の欧州周遊を娘にも味わわせたいと、父親から促されて訪れたスコットランドのエディンバラを述懐する。後半は、死の淵をさまよう父親へのお土産として、かの欧州周遊で乗ったオリエント・エクスプレスのコーヒー・カップを手に入れる顛末が語られる。

 フライング・スコッツマン、空飛ぶスコットランド男、たぶん、父はなによりもその列車の名が気にいっていたのだろう、自分に似て旅の好きな娘をそれに乗せて古い北方の首都まで行かせる。一見、唐突にもとれる手紙だったが、いかにも彼らしいロマンがそこには読みとれて、父への犯行を自分の存在理由みたいにしてきた私も、こんどばかりはめずらしくすんなりと彼の命令を受け入れる気持になった。

須賀敦子『オリエント・エクスプレス』

随筆に、真実が書かれているとは限らない。須賀敦子全集を拾い読みしている程度でも、いくつかの記述で、あれっ、これは本当かな。この時期には、まだ世間に知られていないことだけれども、と気づくこともある。ただ、小林秀雄が「歴史は上手に『思い出す』こと」というように、いにしえの手ぶり口ぶりが、見えたりきこえたりするような、想像上の経験も随筆といえるのではないか。読み手を貶めるのではなく、彩りを与える想い出なら、そこに身をゆだねてもいい。

エディンバラのステーション・ホテルのドアを勢いよく開けたものの、フロントのカウンターまで続く赤い絨毯がどんなに長かったか。ことの次第を伝えた後、オリエント・エクスプレスの車内に消えた車掌長を待つ時間がどんなに長かったか。須賀敦子が思い出して綴るやわらかな文章を読むこちらも、須賀敦子と同じように息を飲み、胸の鼓動を感じている。

今回、はじめて感じたのは、須賀敦子の文章は、漢字とひらがなのバランスが絶妙だということ。先の引用でも、「なによりも」「気にいって」「読みとれて」「こんどばかりはめずらしくすんなりと」あたりは、もっと漢字を混ぜてもいい。漢字が多いと、頁面の密度が高まり、濃くなる。手書きで随筆をしたためたことがしのばれる。文は人なり。いちど会ってみたかった。


こうして、「12か月の本」を駆け抜けた。何とか月内に読み終えなければというプレッシャーを感じたこともあった。しかし、単行本ではとうてい手に取らなかったであろう作家の筆遣いにうなったり、すでに読んだことのある作品を季節の視点から読み耽ったりと、アンソロジーならではの愉しみが深かった。「跋」にあるとおり、文章の悦ばしい円環は、自分の暮らしに合っていたのだろう。

4月も半ば近い。また「4月の本」を手に取ろう。

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