『10月の本』:君が方にとあくがれ出づ。
10数年ぶりの勤め人生活で削られたのは、本を読む時間だ。
かつては朝食のあと、二匹の犬たちの食餌を支度しながら珈琲を淹れ、あと30分だけ、あと少しだけと自分に言い聞かせながら、止まらずにページを繰ったものだ。
それが、満員ではないものの、混みあう車内に立ったまま、胸の前でかろうじて本を広げる。片手に携えて乗り換えの階段をのぼり、同じように次の車内でも自分の空間を確保し、ようやく活字を目で追うリズムにのった頃には下車となる。1冊を読み終えるのに、週をまたぐのも珍しくなくなった。
ページからふと顔を上げると、川沿いであんなに強く青みを放っていた木々が、力が抜け、しゃがみこんでいるように広がる。朝晩の冷え込みも増してきた。鉄路の響きも心なしか冷たい。『10月の本』もそうやって、1つずつ読んできた。今月の3選。

なるべく目次を見ずに、新たに出会う作品を楽しみにして読んでいる国書刊行会『12か月の本』で、ああ、懐かしい男と再び会えたとうれしくなったのは、ナサニエル・ホーソーン『ウェイクフィールド』。はじめて読んだのは柴田元幸訳。岩波文庫では坂下昇訳で。本書は、酒本雅之訳。
ある男が、ちょっとした旅にと家を出たものの、わが家の裏通りにあるアパートの1室に引きこもり、そこから妻の素行を20年にわたって観察し続ける。ある夕方、ほんの数日、家を空けたという風情で何気なく自宅のドアを開ける。筆者はそんな記事を目にしたことで、その男を仮にウェイクフィールドと名付け、家を出たときの様子や、夫が失踪したとうろたえる妻の表情、みずからの葬儀、20年の引きこもり生活について、想像の筆を走らせていく。
真相は分からない。ウェイクフィールドの心持ちも、あくまでも想像だ。それでも、まるでロンドンの街区を箱庭にして、ウェイクフィールドの暮らしを、妻の嘆く顔を、そして移り行く20年の日々を覗き見るように描いていく筆捌きに息を飲む。ひと足早く色づいた大振りなカエデの葉を踏みしめるウェイクフィールドの足音が聞こえてきた。
これは小説である。でも、日記かもしれない。作り話のようにも読める。実録であっても不思議ではない。たしかなのは、そっと座布団の上におろした、その身の硬さ。夏目漱石『文鳥』は、すすめられるがままに飼うことになった文鳥との日々を淡々と描く。
漱石は、小説を書いている。自分で紙の上を走らせるペンの音を聞いている。淋しい音を聞いて暮らしている。そこに文鳥が加わる。千代と鳴く。それも淋しい。ただ、読んでいるだけで、こちらも淋しくなる。結末を知らなくても淋しいし、知ったあとも淋しい。かつて、さびしさは鳴ると言った女子高生がいた。それは鈴だった。いや、ちがう。淋しさは鳴くのだ。文鳥の声で。
これは日記である。でも、小説かもしれない。書簡体小説と呼ぶ人もいる。旅行記だという話もある。わが国の文学は、やたらジャンル分けが多いという嘆きも聞こえる。実話でも創作でもかまわない。堀辰雄『十月』を読む。
堀辰雄が1941年10月に奈良を訪れたのは事実のようだ。小説の構想を練るためだが、実際には風まかせ、思うにまかせて古刹や風光明媚な場所、博物館などを訪ね歩いている。日付と場所が記してあるから日記のようにも読めるし、「お前もこんな手紙を見ては気が気でないだろう」とあるように、手紙の体裁をとっている。
堀辰雄ファンなら、彼の一挙手一投足や息遣いが分かるし、その後につながる創作の源泉もつかめるだろう。だが、そんな先入観を持たぬまま読んでいく。この「12か月の本」シリーズでは、4月『春日遅々』、5月『あいびき』、6月『雨後』、8月『絵はがき』といくつか読んできて、端正な筆遣いに嘆息したが、3選に含めたことはなかった。
堀辰雄は「十月二十七日、琵琶湖にて」と記し、奈良から京都に向かい、たまたま古本屋で16世紀のフランス・リヨンで活動した女性詩人、ルイーズ・ラベの詩集を見つけて小躍りし、彼女のソネットを口ずさむ。後に堀辰雄は、ルイーズ・ラベのソネット集から5つを翻訳する。
第九歌
夜となりて、われ、柔かき臥床に入り、
いましも快き睡りに入らんとすれば、
わが悲しめる魂はわが身より
君が方にとあくがれ出づ。
しかるときは、われはわが胸に
君を搔きいだきゐるがごとき心ちす。
日ねもす嗚咽に身を裂かれつつ、
心もせちに戀ひゐたりし君を。
ああ、甘き睡りよ、たへなる夜よ、
靜けさにみつる快き憇ひよ、
夜もすがら、われに夢をば見せしめよ。
さらば、わが哀にも戀ふる心に
眞實なんのよきことはあらずとも、
せめて詐られてなりと、君に慰められん。
ソネットは、立原道造や中原中也も挑戦しているが、どうも日本語だとしっくりこない。それでも、この訳詩は穏やかで、素朴な言葉の響きに、秘めたる想いが沁みている。
旅を終えて、堀辰雄は翌日、東京へ発つつもりだという。秋も深まり、薄くなりつつも暖かさもある陽射しに包まれながら、小説に描こうとする「不しあわせな女がこの湖のほとりでむかしの男と再会する最後の場面」を思い浮かべ、思わず笑みがこぼれる堀辰雄がそこにいる。
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