日本の研究力を守るには?~💡知的好奇心が未来を拓く「基礎科学」の持つ計り知れない力
まずはこちらの記事をご覧ください。
この記事は、人類史上初のブラックホール撮影に貢献するなど、世界的な研究拠点である国立天文台が現在、資金難に直面しているという深刻な現状を報じています。
2004年の法人化以降、国立大学や研究機関への国からの交付金が減少し続けている中、物価高騰なども重なり、研究資金の確保が大きな課題となっています。特に天文学のような「基礎科学」(すぐに実用化や利益に結びつかない研究)は、その知識が将来の革新的な技術の根幹となるにもかかわらず、資金不足が日本の研究力全体の低下につながる懸念が示されています。
記事では、研究者が「天文学の面白さ、基礎科学の重要性を知ってもらえれば、予想もしない形できっと役に立てることがある」と語っており、基礎研究への社会的な理解と長期的な支援の必要性を訴えかけています。
1. 「基礎科学」とは、知る喜びから生まれる探求
「基礎科学」という言葉を聞いて、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
「基礎科学(純粋科学)」とは、ある現象の背後にある原理や法則、構造を解明することを目的とし、直接的な応用や成果を短期間で得ることを目標としない探究活動を指します。
物理学、数学、生物学、天文学…。これらはすべて基礎科学に分類されます。これは、特定の応用や実用を直接の目的とせず、「自然現象の根本原理やメカニズムを理解すること」、つまり「知るため」に探究する科学活動を指します。
私たちの暮らしを豊かにするスマートフォンや医療技術は、すべて基礎科学によって生み出された知識を土台に成り立っています。
基礎科学の原動力は、世の中の“謎”を解き明かすという人間の根源的な知的好奇心にほかなりません。「なぜだろう?」「どうなっているのだろう?」という純粋な疑問こそが、未来の革新的な技術の基盤となる知識を生み出しているのです。
応用科学が「橋をかける技術」なら、基礎科学は「その橋を支える地盤」を理解する営みだと言えます。
2.基礎科学に取り組む動機は?
なぜ人は、利益や報酬が保証されていない中でも純粋な問いを追究するのでしょうか。主なモチベーションとして以下のようなものが挙げられます。
知的好奇心・探究欲
「なぜ?」を問い続ける欲求。見聞きした現象に対して「これってどうなってるんだろう?」という疑問を持ち続けること。
知を積み重ねたいという志
他者と共に知を紡ぎ、後世につなげたいという使命感。
未来の可能性にかける期待
今は“無駄”と見える成果も、何十年後かに芽を出す可能性を信じて。
学問共同体・社会的評価
研究者コミュニティにおける認知や、国際学術誌で読み解かれること、その論文引用など。
ただし、これらは容易な道ではありません。特に“すぐには結果が出にくい”という性質がゆえに、時間的・資金的リスクが付きまといます。
3.その研究、なんの役に立つの?
基礎科学の研究は、時に「すぐに役に立たない」と言われることがあります。しかし、人類の歴史を振り返ると、好奇心から始まった探求が、のちに世界を大きく変えるきっかけとなっています。
ここでは、一見実生活には直結しないけれども、興味深い研究事例をいくつかご紹介します。
カモノハシのゲノム解析:哺乳類なのに卵を産み、毒を持ち、くちばしを持つという不思議な生態を持つカモノハシ。そのゲノムを詳細に解析することで、哺乳類がどのように進化してきたかという、生命の根本的な謎の解明に貢献しています。
深海生物の生態調査:光も届かない深海で生きる生物たちの研究は、極限環境での生命の生存戦略を知るだけでなく、将来的に新たな酵素や医薬品の発見につながる可能性を秘めています。
宇宙背景放射・宇宙論研究:宇宙論的な観測や理論研究は日常生活には直接つながらないように見えますが、宇宙の始まりや構造理解は科学技術やセンサー技術の進歩をも刺激しました。
素粒子物理学:ヒッグス粒子やニュートリノの研究などは、当初は“宇宙の根源的問い”に対する解答を目指したものでした。
数論・純粋数学:暗号理論など後年応用されることもありますが、歴史的には「数学そのものの体系性」を探ることが動機でした。
動物行動・昆虫や微生物の生態研究:生物学上の好奇心から始まった研究が、衛生や環境保全、バイオ技術に活きることも。
これらは、すぐには私たちの生活に影響を与えませんが、「知る」こと自体に価値があり、新たな発見が予期せぬ形で人類に貢献する種となるのです。
4. 歴史が証明する基礎科学の価値
研究当時は実用性が想定されていなかったにもかかわらず、現代社会に不可欠なものとなった基礎科学の例は枚挙にいとまがありません。
事例その①:特殊相対性理論(アルベルト・アインシュタイン)
1905年に発表されたこの理論は、宇宙や時間の本質を探る純粋な物理学の研究でした。しかし、現在、私たちの生活に欠かせないGPS(全地球測位システム)は、この相対性理論に基づいた補正をしなければ正確に機能しません。純粋な学問的探求が、私たちの移動を支える技術の根幹となっています。
事例その②青色LEDの開発(赤﨑勇氏、天野浩氏、中村修二氏)
ノーベル物理学賞を受賞したこの研究も、当初は応用が難しいとされていました。しかし、この成果があったからこそ、省エネルギーな照明、大型ディスプレイ、スマートフォンの画面など、私たちの情報化社会の基盤が築かれたと言えます。
事例その③GFP(緑色蛍光タンパク質)
遺伝子工学の基礎研究から発見されたGFPは、細胞内でのタンパク質の移動を“光る標識”で可視化する技術となり、生命科学、医療研究に革命を起こしました。
事例その④オートファジー(大隅良典教授)
細胞が自身の構成物を再利用する仕組み=オートファジーの解明は、基礎生物学の問いから始まり、現在は神経変性疾患やがん研究、老化研究にも関連する重要な知見になっています。
事例その⑤ニュートリノ振動の発見(梶田隆章氏など)
かつては“質量をもたない”とされていたニュートリノが質量を持つ可能性を示す研究は、数十年の観測・理論の積み重ねによって証明され、物理学および宇宙論の理解を揺るがしました。
事例その⑥イベルメクチン(大村智氏)
微生物が産生する化合物を探索する基礎研究から、寄生虫病治療薬「イベルメクチン」が発見され、ノーベル賞につながりました。
この他にも「クリックケミストリー」(バリー・シャープレス教授、モルテン・メルダル教授、キャロリン・ベルトッツィ教授の3氏、2022年ノーベル化学賞)や「タンパク質を壊さずにイオン化する技術」(田中耕一氏、2002年ノーベル化学賞)は医療や薬学の分野の発展に貢献しています。
「基礎科学が生み出す知は、『基礎 ⇒ 応用』への典型的な架け橋です。時間差を経て、私たちの生活や産業を支える「見えないインフラ」となるのです。
5.基礎科学の価値を、定量・比較から見る
資源の乏しい日本にとって、知的な資本、すなわち「研究力」は、産業を拡大し経済を発展させるための重要な源泉です。基礎科学への投資は、未来への「種まき」に他なりません。
しかし、近年、日本の基礎科学を取り巻く環境は厳しい状況にあります。
冒頭で触れた、国立天文台が資金難に直面しているという報道は、その一例です。将来のイノベーションの土台を担う大学などの研究現場では、政府からの補助金が減少傾向にあり、研究を維持するための資金繰りが大きな課題となっています。
研究開発費配分・比率
日本の性格別研究開発費において、2021年時点で「基礎研究」が占める割合は 15.3%、応用が20.6%、開発が64.1%という構成比が報告されています。
(※1)
また、過去約15年の傾向を見ると、基礎研究への予算比率はやや減少傾向にあるとの指摘もあります。(※2)
予算規模・トレンド
日本の研究開発費全体(公的+民間)は名目GDP比で2023年度に過去最高(約3.70%)を記録した、という報告もあります(※3)。
ただし、大学などアカデミア側に向かう「運営費交付金」は近年削減傾向にあるという報道もあります。たとえば、国立大学向け運営費交付金は、2004年以降で約13%の減少との記事もあります。(※4)
また、国の基盤的運営費(大学の“維持管理費用”)が縮小する中、科学研究費助成事業や競争的資金が拡充されてはいるものの、それが基礎研究の安定性を担保しきれるかどうか、という批判的視点もあります。(※5)
大学部門の研究本務者1人あたりの研究費は、2004年度時点で約1,248万円、2021年度時点では約1,230万円と、実質的には大きな増加は見られていないとの政府報告もあります。(※6)
国際比較・相対的地位
日本の研究開発費対GDP比は、長期的には増減を繰り返しつつ、近年上昇傾向にあるとのデータがあります。たとえば 2022年度には約3.36%という報告があります。(※7)(※8)
しかし、他国(韓国、中国、米国など)がより速い伸びを見せており、大学部門予算増加率では日本が主要国に比して出遅れているとの分析もあります。(※9)(※10)
また、「論文数」「トップ10%論文数」などで比較した学術パフォーマンスにおいて、日本は“量”では依然高位にあるものの、“質・発信力”という面では他国の追い上げを受けているとの指摘があります(科学・技術と経済の関係性を分析した研究も参照されます)。(※11)
これらの数字は、「基礎研究の比率が低い」「大学部門資源の伸び悩み」「他国との速度感の差」といった構造問題を浮かび上がらせます。
一方、米国や欧州諸国では、基礎科学への長期的な公的支援が比較的安定しており、特に米国では、大学の研究者が比較的安定した地位で、挑戦的な研究に取り組みやすい環境があると言われています。
この比較から見えるのは、目先の成果を求められがちな応用研究だけでなく、「今すぐ役に立たなくても、必ず未来につながる」基礎研究への、中長期的な視点に立った支援の必要性です。
6. 研究現場で今、何が起きているのか~日本における基礎研究現場の課題
日本の基礎科学の現場では、次のような課題が喫緊のものとして挙げられています。
(1)研究費の不安定性・競争的資金依存
基盤的運営費が削られる一方、科研費など“競争的資金”に依存する度合いが高まっています。競争的資金は成果や実績に応じて配分されるため、短期成果を求める方向に研究テーマが偏りやすいという危惧があります。(※12)
(2)若手研究者のキャリア不安定性
博士課程を修了しても安定した研究職につける人は限られており、多くがポスドク・非常勤ポストなど不安定な立場を経ることになります。こうしたキャリア不安は、長期間を要する基礎研究に向かいにくくする一因です。(※13)
(3)人的資源・流動性の欠如
海外からの人材流入や頭脳循環が進みにくいという指摘もあります。日本の科学界は「ガラパゴス化」の懸念を持たれており、国際共同研究や研究者の交流推進が急務とされています。(※14)
(4)施設・インフラ・運営コストの重荷
実験装置、維持管理、施設維持費、大学事務・支援体制など、インフラ部分のコストは研究者の“見えざる負担”となります。運営費交付金の削減は、こうしたコスト負担を重くする一因とされています。
(5)政策短期志向・評価制度の問題
政治・行政の視点では、予算投入には説明責任が伴い、成果指向の要求が高まります。そのため、短期的な成果が求められやすい応用研究や開発研究に資源が流れやすくなる構造が見られます。
(6)研究者の事務作業の増加
競争的資金の申請・報告にかかる事務作業が膨大になり、研究以外の業務に忙殺されている実態があります。
これらの課題は、研究者の方々の情熱や能力の問題ではなく、研究を支えるシステムそのものの課題です。
7. 未来への希望~基礎科学をどのように守り、育むべきか
私たちは、この現状を踏まえ、どのようにして日本の研究力を守り、未来へとつなげていくべきでしょうか。
すぐに答えが出るものではありませんが、社会全体で議論し、行動を起こしていく必要があります。そして、正解は一つではなく、さまざまな視点を融合させていく必要があります。
(A)基盤的運営費と競争的資金のバランス再構築
大学・研究機関に渡る「運営費交付金」などの基盤費用を安定的に確保しつつ、競争的資金は補完的役割にとどめる設計が必要でしょう。これにより、研究者が“日常の研究環境維持”に悩むことなく、主体的に探究できる余裕を持てます。
(B)若手研究者の育成支援・キャリアパス改革
「任期付き」ではなく、中長期的に腰を据えて研究できる、博士課程以後の安定ポストを拡充し、長期研究に挑戦できるキャリア制度を整備することが不可欠です。
評価制度も、短期成果だけを追わず、長期の基礎的成果を評価に取り込む視点が必要です。こうした動きが次世代の研究者を育成し、日本の知的な土壌を豊かにします。
(C)国際交流・頭脳循環促進
外国人研究者の誘致、若手の海外派遣、国際共同研究体制の促進などを進め、研究の多様性と刺激を確保すべきです。日本科学界の“閉じこもり”を脱し、外部刺激を取り込む姿勢が求められます。
(D)多様な資金源・民間連携の模索
公的資金だけで支えるのではなく、企業、財団、クラウドファンディング等、多様な資金源を活用する試みも重要です。ただし企業側の期待を過度に意識せず、学問的自律性を守る枠組みを設けることが前提です。
(E)長期ビジョンと政策の継続性
研究には時間がかかるため、5年・10年・20年先を見据えた政策設計と予算運用が欠かせません。政権交代や年度の区切りに左右されない“持続可能な枠組み”が求められます。
(F)基礎科学の価値を社会全体で共有する
研究者の方々が、研究の「面白さ」や「重要性」を分かりやすい形で社会に発信し、私たち市民一人ひとりがその価値を理解し、応援することが大切です。
国立天文台の研究者の方が語られたように、「天文学のおもしろさ、基礎科学の重要性を知ってもらえば、予想もしない形できっと役に立てることがある」という言葉は、この点を強く示唆しています。
基礎科学は、目先の利益ではなく、人類の知の地平を広げ、未来のイノベーションの種を生み出す「生命線」です。その地盤が崩れれば、応用技術も、産業も、社会も揺らぎかねません。
今、私たちがこの分野への投資を怠れば、その影響は数十年後に日本の産業と生活に跳ね返ってきます。だからこそ、私たちは「知の蓄積」を慈しみ、未来につなぐ視線を持ち続けたいのです。
皆様は、日本の未来を支える基礎科学を、どのように支え、どのように育てていきたいとお考えでしょうか?
【参考資料】
「基礎科学と応用科学:違いを理解する」mindthegraphより
「"役に立たない"基礎科学が大事なワケ」東洋経済オンラインより
(※1)「性格別研究開発費」文部科学省 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)より
(※2)「我が国の産業技術に関する研究開発 活動の動向 -主要指標と調査データ」経済産業省 産業技術環境局より(令和5年3月)
https://www.meti.go.jp/policy/economy/gijutsu_kakushin/tech_research/2022_aohon.pdf
(※3)「2023年度の日本の研究開発費は名目GDP比3.70%と過去最高」株式会社第一生命経済研究所より
(※4)「交付金13%減が直撃、競争的資金への偏りが大学の研究力低下に直結」(ダイヤモンド・オンライン)
(※5)「科研費(競争的資金)情報」(研究ネットproduced by WDB)
(※6)令和4年版科学技術・イノベーション白書(文部科学省)
(※7)「科学技術指標2021」文部科学省 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)より
(※8)「科学技術指標2024」文部科学省 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)より
(※9)「研究力から見た日本のアカデミアの現状」日本製薬工業協会より
(※10)「『科学技術指標2023』から見える日本の科学技術活動での立ち位置」株式会社第一生命経済研究所より
(※11)「The link between countries' economic and scientific wealth has a complex dependence on technological activity and research policy」(Cornell Univertisyより)
(※12)「日本の研究費に関する事情と未来」エナゴ学術英語アカデミーより
(※13)「ノーベル賞が遠くなる? 基礎研究費を削る日本の行方」日本経済新聞より
https://bizgate.nikkei.com/article/DGXZZO5158008030102019000000
(※14)「日本科学界のガラパゴス化 – 国際頭脳循環からの脱落をおそれる」国立研究開発法人科学技術振興機構 研究開発戦略センターより
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