見出し画像

金曜の上靴と、わたし

金曜になると、
我が家には必ず帰ってくるものがある。

上靴だ。

白かったはずなのに、どこをどう歩いたらこうなるのか謎解きしたくなる仕上がりで毎週キチンと帰ってくる。一番不思議なのは上靴の外より中の方が汚れていることだ。

外側より2トーンほどダウンしたオトナのくすみカラーになっている。内側なのになんでこうなるのか。考えても全くわからないので一度でいいからモニタリングしてみたいと常々思っている。自分もこうだったのだろうか。遠い昔のことなのでさすがに上靴の中の色までは覚えてない。

ピカピカの1年生の頃、上の子は「自分で洗う!」と張り切っていた。小さな手で泡と水しぶきを飛ばしまくりながらゴシゴシやっていた。
わたしも「えらい!今の上手!水が飛ばなかったらもう天才!」なんておだてたりしながら見守っていた。つい怒りたくなるその気持ちを抑えながらだったので、目は笑ってなかったかもしれない。見守るのにも忍耐と体力がいるのだ。

でも、そんなもの、長くは続かない。
上靴洗いというのは、どうやら人類を飽きさせる力を持っているらしい。
かくいうわたしも、親におまかせの時代があった。因果応報ってやつかもしれない。この連鎖を断ち切る猛者はまだ我々の系譜には誕生していないので子どもたちも同じ運命を辿ることだろう。

洗って、干して。また洗って、干して。
これが未来永劫、続いていくのかもしれない。

1週間働き尽くした上靴は、学校生活の記憶のカケラみたいなものをくっつけて帰ってくる。たまに粘土がついてたり、絵の具がにじんでいたり。「へ〜、今週はこういうことしたのか」と思いながら、土曜の朝に黙々とブラシを動かす。上靴を洗う洗剤は我が家ではウタマロ一択なのだが、たまにボディソープや食器用洗剤に浮気してしまう。彼女たちは泡立ちが素晴らしく、いい匂いがして、ついつい手を伸ばしてしまう魅力を持っている。でも、結局は「ごめん、やっぱり君がいい」とウタマロと元鞘に戻るのだ。

この作業は日曜の夜することもある。ただ単に忘れているだけなので、その時はいつもの3倍速で洗い、余韻など感じる間もなく文明の利器・浴室乾燥様に頼り切っている。
今の時代でよかった…。心の底からそう思う。

そんなある日、ふと思った。

……待てよ。

我が家、6学年差じゃなかった?
……ということは?
下が小学1年生になる頃、上は中学生。

……え?やばくない?
わたし、12年間も上靴洗うの?

その事実に、最近ようやく気づいた。わたしは計算するのが死ぬほど遅いようだ。年子とか2歳差の人たちは、きっと特急列車だ。
怒涛。猛スピード。子育てはあっという間で気づいたら駆け抜けているのかもしれない。

それに比べて、わたしは鈍行各駅停車。
ひと駅ずつ、上靴を洗っている。時には特急電車を見送りながら。

そもそも我が家の家族計画は、全然予定通りにいかなかった。
結婚して、上の子を授かるまでビタミンの摂取から神頼みまで全部やった。
そして思っていたよりも時間もお金もかかった。

病院では、なんと授かり待ちの多いことかと驚いた。サラリーマンであろうパパ候補が待合室でパソコンを開いて仕事をしながら妻に寄り添う姿もかなり見かけたし、診察室から悲鳴が聞こえてバックヤードへと消えていく時もあった。

わたしの次に診察を受ける人のカルテをみてゾッとしたこともある。
わたしの5倍ほどの厚みのカルテ。角は少し潰れて毛羽立ち、丸みを帯びていた。黒ずんだ跡や折り目もついていて、何度も開いて閉じた時間がそこに残っていた。見たことも会ったこともない人がわたしの次を待っている。
先生ですら「次は……?うわ。この人か」と声が漏れていた。そりゃ言っちゃダメなやつよ。と思いつつ診察室を出た。
わたしは、淡々とこなしていた。
真面目な顔をして先生が下ネタを言う。それについて行けない人もいるだろう。

年齢的なこともあって、2022年のはじめ頃には「体力の限界。気力もなくなり引退することになりました」と、伝説の横綱・千代の富士みたいな気持ちになっていた。
子どもを望むことからの引退である。

「もしかして」が捨てきれなくて残していたベビーカーも、その頃にようやく手放した。ある意味、我が家の断髪式みたいなものだった。
健康診断ではここ数年で1番はっきり「妊娠してません!」って答えてたから妊娠がわかった時、一瞬血の気が引いた。骨密度にマンモグラフィ、レントゲン、バリウムまでやっていた。こんな時に限ってまさかのフルコースである。見るたび不安だった「妊娠の可能性のある方は〜…」の貼り紙もこの年は全スルーを決め込んでいた。だって、引退してるから。

断髪しちゃったくせに、その年の終わり頃に、まさかもう1人増えているなんて。……人生はわからない。

「諦めたらできるよ」

なんてよく聞くけど、都市伝説でしょ。
そもそも諦めるって簡単じゃないし、後ろ髪を引かれて「もし…」と何度も何度も思った。だから、自分が体験する側になるなんて、アンビリバボーとしか言いようがない。

妊娠中はそれなりに大変だった。
高齢の上、コロナ全盛期。そうそう、夜中のこむら返りは容赦なかった。両足つった時は冗談抜きで肉離れかと思った。そんな感じで連日連夜、悶絶していた。ただ、もう二度とこのお腹が大きくなることはないだろうし、胎動ってどんなだったっけ?と忘れかけながら引退を余儀なくされたわたしは、噛み締めるように毎日お腹を愛でていた。

そして、下の子は無事に生まれてきた。

昼を少しすぎてお日様が夕日になる前に、毎日キッチンで沐浴させていた。このキッチンは大根も洗えるし子どもも洗える。産院の方針で最後に頭からお湯をぶっかける。これのおかげで下の子は顔に水がかかっても余裕のよっちゃんに育ってくれた。気づけば5ヶ月で保育園デビュー。同級生たちがおすわりしてる中、寝たきり参戦である。この頃の月齢差はえげつない。

人生のペース配分を自分でしているつもりだけど、どうにもならないことがありすぎる。上の子ではあんなに苦労したのに、なぜ下の子は「ホイッ」と来たのか。なぜ我が家は6学年差になったのか。

考えてもよくわからないし、考えることでもない。
世の中、知らなくていいこともある。

でも、もしかしたら、これがわたしの速度なのかもしれない。特急列車じゃなくて、鈍行列車。

ゆっくり進むかわりに、途中の景色をやたら見てしまって「え?こんな駅あるんだ」っていうやつ。
だから「これ、どっちの子の記憶?」という現象はあまりない。間違えようがない状況なので、物覚えに自信がないわたしはけっこう助かっている。
PTAできょうだい達の教室を渡り歩くこともない。特急列車と子どもを、教室の片隅でお地蔵さんのように佇んで見守っている人がいたら、それはわたしだ。なんだかんだ、鈍行でもそれなりにいいことってあるもんだ。そこには感謝している。

とにもかくにも。
あと何年か上靴を洗い続けて、すべてを極めた12年後。わたしはまた言うのだと思う。

「体力の限界……。引退するわ」って。





いいなと思ったら応援しよう!