【徒然】つとめて、明るく。そんなのなくても自由な方へ
いつも、明るいね。
いっつも笑顔の印象。
そう言われて、悪い気はしない。
むしろ、
「あぁよかった、ちゃんと、社会に適合できてる風に見えてるんだ」
と、諦めにも似た安心をする。
年は私と同じくらい、noteから作家デビューをされた方のインタビューが掲載された雑誌を喫茶店で見た。
さっそく、その方のnoteを開く。
曰く、読まれないと嘆いてnoteをやめてしまう方々を惜しみつつも、やめる前に読まれる努力をしなさいと。
noteのフォロワーさんの記事を読みに行って、スキして、コメントして…と自分からもしないと、そりゃあ読まれないよ、のような主旨のことが書かれていた。
SNSが、使いこなせる特定の誰かのものではなくなって久しい今、それは向き不向きを超えたもはや挨拶と同じものなのかもしれない。
でも、一寸、私は気になってしまった
時代の流れや、当世の人々の感覚に、こちらが合わせようとしないといけないのかな
その、noteをやめてしまった人たちの心持ちなど、私が知る由もないけど
スキ、されたらそりゃ嬉しいけど
コメントなんか来たらそりゃルンルンで返事してしまうけど
嬉しい反面、自分の素顔を隠すように、目深に帽子を被ったまま挨拶するような
目を合わすことを恥ずかしく思うあの感覚がどうしても億劫で
私はnoteのSNS要素に気を取られないようにしている
その方も書いていた
noteの投稿と同時に公募も挑戦したらよい、と
noteのフォロー、スキ、交流などと並行して自分の文学を追究することもできると。
でも、私はそこまで器用にできへんのよなぁ
むしろ、現実社会人として生きてる自分をスイッチONして動かすだけで、人との関わりのキャパが埋まってしまう。
平たく言えば消耗してしまう。
noteで文章を書くときだけは、
来るもの拒まず去るもの追わず
素直な私でいたい
自分から、何か見返りを求めるようにスキしたりコメントしたりは絶対したくない
すっと私の心に溶けてきてくれたものにだけ、気持ちを伝えたいと思う
