【読書記録】拝啓、かつて殴られた私へ。『ハンチバック』市川沙央
紙の辞書が好きだ。
家で読書をする時は、なるべくスマホを遠ざける。分からない言葉に出くわした時、その物語に没入した状態を保ちたいから、同じ手触りの材質で作られた物で意味を調べたい。
片手で辞書を開き、もう片方の手で雑紙に単語とその意味を簡単に書く。
辞書の重みを感じながら、紙の匂いを嗅ぎながら、知らない言葉の意味を知る。面倒だが丁寧で尊い行為であると思う。
私は体育会系に馴染めなかった人間だ。
小学校から始めたサッカーは下手くそで、小柄で臆病な性格だったからか、いじめの標的になった。
中学生の頃はサッカー部に所属していた。
「俺は言葉でお前らの心を壊すが、体罰は絶対にしない」という宣言を高らかにされていた「立派」な顧問は、唯一私に暴力を振るった。左頬を殴られた。私が誰かを殴ったからではない。不甲斐ないプレーをしたからだ。下手くそなくせに、ピッチに「立たせてやっている」私に喝を入れるためだった。
ある日、昼休みに図書室で本を読んでいたら、いきなり後頭部に衝撃を受けた。
痛みよりも上回った驚きと困惑を抱いて振り返ると、弱小サッカー部内で上手いと持て囃されていた1つ年上の先輩が立っていた。あ、殴られたのだなとその瞬間に理解した。
「なんで挨拶しねえんだよ!」
胸ぐらを掴まれ、本を読んでいたのだから気が付くわけがないだろう、と思いつつも「すみませんでした」と謝った。その素直すぎる態度が火に油を注いだのか、彼は私の左頬を殴り、図書室を出て行った。
サッカーと体育会系の雰囲気に辟易した私は、高校は文化系の部活に入り、大学では所属すらしなかった。
心優しい友人と、本と、文化人と呼ばれる方々が私を慰めてくれて、居場所はここだと思った。
すると私は、いつの間にか「体育会系の奴ら」を憎むようになっていた。私は野蛮なスポーツと違い、善美な文芸を愛する高尚な人間なのだ、と思うようになっていた。
私は弱いから、屈強な彼らを馬鹿にしてもいいと思っていた。
「自称弱者」の皮を被った私は、彼らを蔑み、壁を隔てることで、あの日殴られた自分を慰め続けた。
私の中で膨れ上がるルサンチマンは、心地よいものだった。
『ハンチバック』は、第169回芥川賞受賞作である。
主人公は、先天性の疾患により背骨が極度に湾曲した女性で、グループホームで生活をしているが、不自由ながらも通信制の大学に通っている。さらに、コタツ記事ライターのバイトをしたり、18禁の小説を投稿したりして、彼女は世界と繋がっている。
しかし彼女は、声を出すことも、本を持つことも、ページを捲ることにも、かなり労力を必要とする。
そんな彼女は、「紙の本」に憎しみを抱いている。
こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。
(中略)
紙の匂いが、ページをめくる感触が、左手の中で減っていく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しを燻らせていれば済む健常者は呑気でいい。出版界は健常者優位主義ですよ、と私はフォーラムに書き込んだ。軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか。
この文章で、この小説で、私の背骨が折れた。
いや、折れてなどいない。曲がってすらいない。
折れた気になりたいだけだ。わかったように装いたいだけだ。そんな自分に反吐が出る。
でも、後頭部と左頬を殴られた時よりも、痛みが強いのは、どうしてだろうか。
私は、重量約800 gで厚みが約4.5 cmの辞書を片手で持ち、「ルサンチマン」の意味を確認したが、残念ながら載っていなかった。
仕方がないなと腰を上げ、離れたテーブルに置いてあるスマホに向かい、意味を確認した。
その間、わずか30秒だった。
