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日本よ、これが映画だ。──『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』感想

MCUとしては「嵐の前の静けさ」なのかもしれない、だが自分の中で渦巻いている感情の嵐は未だに収まる気配が見られないー。

遂に『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』前の最後のMCU映画『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』が公開された。2025年7月公開の『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』以来1年ぶりの劇場新作となった本作。ハルクやパニッシャーとどのように絡むのか、前作で決別したはずのMJとネッドの出番が多すぎるのではないか、セイディー・シンク演じるキャラクター(後述)をスパイダーマン映画で導入する必然性があるのか、とにかく期待半分・不安半分といったところで観る前から緊張していた(MCUではいつものことだが)。

結論から言わせてもらうと、本作は一抹の不安を一瞬にしてかき消し、期待以上のものを筆者の心に叩きつけてくれた。前作『ノー・ウェイ・ホーム』を余裕で超えてくれた。現状マルチバース・サーガの映画で最高傑作だと言っても過言ではないだろう。


◉初めてのMX4D

ネタバレ感想に入る前に、本作の鑑賞体験について書き留めておきたい。進化したウェブスウィングを最大限に体感するために、MX4D童貞を捧げ…いやいやMX4Dデビューするに至った。思えばラージフォーマットに初挑戦する作品はいつもMCUだった。『ドクター・ストレンジ』で4DX、『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』でIMAX、そして今回の『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』でMX4D。

4DXとの違いについて調べてみたところ、MX4Dはシートの揺れが4DXと比べてやや控えめとのことで、アトラクションとして楽しめるのか疑問に思わないことはなかった。しかし実際に体験してみると、4DXに劣らない迫力を感じられた。2回目はScreenXに挑戦してみたい。


◉個人的に刺さったポイント

▶今回もあった特別仕様のMARVELロゴ

MCU映画は『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』以降、作品の雰囲気に合わせてロゴアニメーションに大胆なアレンジが施されていた。最初のパラパラ漫画こそいつも通りだったが、そこから歴代のヒーローや作品が映し出されるところは全てスパイダーマン、そして「ホーム」トリロジーに置き換えられていた。開幕早々MCU版スパイダーマンへのリスペクトに溢れていて、本気で「ホーム」トリロジーに続く正当続編を作ろうという製作陣の気概が感じられた。

▶気になるカメオ出演

本作のカメオを全員挙げてたらキリがないので、トゥームストーンやブーメラン、タランチュラのような事前に明かされていたキャラクターは除外させてもらう。

ブルース・バナーが教鞭を執る講義で、「何故サノスは指パッチンで食糧問題を解決しなかったのか」と質問した女子大生がいたが、何を隠そう彼女はコミックで「シルク」というコードネームで活躍するシンディ・ムーンだ。『スパイダーマン:ホームカミング』ではピーターと同じと学力テスト部の部員して登場し、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でもスクールバスに乗っている姿が確認できる。MCUでのシンディは、13年間シェルターに閉じ込められていたコミック版とは似ても似つかぬ境遇だが、果たして彼女にスパイダーパワーが身につく日は来るのだろうか。

© ™ 2017 & Marvel

また、「ホーム」トリロジーでおなじみだったフラッシュ・トンプソンとロジャー・ハリントン先生も写真のみで登場している。この2人の登場は意外なもので、スパイダーマンの正体を探るネッドが導き出した候補だという。いやネッド、君は天才だがフラッシュとハリントン先生に限ってスパイダーマンはあり得ないと思うよ(笑)。自分の目で確かめきれなかったのだが、どうやら市長となったウィルソン・フィスクのポスターが小ネタで出てきたらしい。MCUの映画にフィスクを出すのは権利的に難しいとされていた。こうした形で姿を見せるのは、マーベル・スタジオにとっては小さな一歩だが、我々にとっては大きな一歩だ。

ちなみに多くのファンが期待していたデアデビルは結局出てこなかった。これは以前から予想していたことなので、特にガッカリしたり作品を批判したりする気はない。むしろスパイダーマンの単独作としての側面が薄れてしまう懸念があったので、ファンには申し訳ないが登場しなくて正解だったとすら思える。

▶エレーナの立ち位置の絶妙さ

ケヴィン・ファイギの発言から分かり切っていたものの、ブラック・ウィドウことエレーナ・ベロワの客演はユニバースを感じられてテンションがマックスになった。何よりオフィスにスパを構えていたのは驚きだったが、『ブラック・ウィドウ』や『ホークアイ』で見せたあの脱力感を思えば「そりゃそうだよな」と妙に納得させられた。作品の感情面に介入することなく、あくまでピーターの情報屋に徹しているのが、ただでさえキャラクターの頭数が多い本作のバランスを保ったと言える。(ピーターがフルチンでスパに入った暁には、全世界のエレーナファンを敵に回していたことだろう)

▶もうひとりのジーン、デウォルフ刑事

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本作はジーン・グレイが重要なカギを握ったが、ジーンと言ってもまた別のジーンを忘れてはならない。その名はジーン・デウォルフ。スパイダーマンと協力する敏腕刑事だ。彼女はジーン・グレイ以上に好きになれた本作初登場の新キャラクターかもしれない。

デウォルフ刑事は正体は知らなくともスパイダーマンを一人の人間として見ており、何かと彼の体調や精神面を気にかけてくれる。その姿には母性が感じられ(実際に2児の母親だし)、単なる協力関係を超えた絆が垣間見える。また、スパイダーマンに何でも一人で抱えすぎないよう助言しており、この映画のメッセージ性を早々に伝えているのも興味深い。(沢梅陽子さんが吹き替えを務めていることもあり、『エージェント・オブ・シールド』のメリンダ・メイに面影を重ねたファンは筆者だけではないはず。メイもまたデイジーの母親的存在だったから)

▶最高のミスリード

何たる不覚、予告でMJがスパイダーマンによる匿いをすんなり受け入れ、ウェブスウィングにも動じない違和感に気づけなかったとは…。いや、あのMJが乗っ取られる可能性から目を逸らしただけかもしれない。なんせ憑依系ヴィランはトラウマしか植え付けないのだから(『エージェント・オブ・シールド』シーズン6第10話を思い出して情緒が…)。そして、MJ(ジーン)がピーターを思い出しキスを交わす。前作の結末からして困惑しかなかったが、MJ(ジーン)の口調が変わる次の瞬間にはまた別の感情が生まれた。もうこれはジーン・グレイと脚本の勝利としか言いようがない。

▶PG版パニッシャー、俺は好きだよ

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R指定の配信ドラマ出身のパニッシャーが、PG指定の映画にチューニングされるに辺り、グロテスクさが鳴りを潜めるのは事前に承知していた。さらにピーターの前でデレたり、スパイダーマンのマスクを被り群衆に手を振ったりと、Netflixのドラマからは想像もつかないような側面を見せていた。

しかしこれは単なるキャラ崩壊ではなく、フランクが若者と交流したことで、彼の父親としての本能が現れた結果だと考えている。かつてティーンエイジャーの少女エイミーをギャングの魔の手から必死に守ったことがあり、その時も時折コミカルな会話を繰り広げていた。妻子を失ったフランクにとって子供や若者は、自分が守れなかった者の写し鏡であり、庇護すべき対象であることが窺える。だからこそ自分の身を守れるピーターにも、「自分のように孤独の道を突き進むな」と親目線で警告したのだろう。確かに作品のトーンによって描写は変わりながらも、フランク自身の本質は全く変わってはいない。

▶日本語版主題歌が流れる意外なタイミング

Mrs. GREEN APPLEによる日本語版主題歌「Brand New」。通常なら黒を基調としたエンドロールで流れるはずだが、なんと本編が終わった直後の主要キャスト・スタッフのクレジットで披露されたのだ。洋画としては意外な采配だったものの、ハンドシェイクを通してネッドがピーターを思い出したと思わしきラストとシームレスに繋がっているので、観客の感情を高揚させるという意味では大成功だったのではないだろうか。


◉ジーン・グレイの存在意義

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正直に言わせてもらうと、スパイダーマン映画でジーン・グレイをMCUに顔出しさせることに対してかなり懐疑的だった。せっかくマルチバース祭りの前作とは打って変わって、ストリートレベルに原点回帰したというのに、来たるMCU版X-MENへの橋渡しという名の踏み台になるのはどこか乗り切れない自分がいた。

いざ実際にジーンの描写を目にすると、かねてより抱いていた懸念は跡形もなく吹き飛んだ(これは決してジーンによる精神操作ではない)。何故なら「特殊な力を手にした故の孤独」、「特別な存在になった自分に対する責任」という重たいテーマを体現し、同じ境遇にあるピーターの物語と相互作用していた点にあるからだ。

おばさんを亡くし、親友や恋人と決別したピーターと同様に、ジーンもまたダメージ・コントロール局の人体実験によって姉を失っている。つまりピーターとジーンには、特殊能力を持っていることから大切な人と離別させられ、孤独を抱えるに至ったという共通点があった。おかげで2人は似た者同士、互いに手を取り合うようになった。そのきっかけとなるのが精神世界におけるメイおばさんで、かつてピーターがメイに教わったことをジーンが追体験する構成は見事な落とし所だったと言えよう。それにしても「力を持っていても、自分はありのままで人に愛されているのだということを忘れないことが、自分に対する責任」というおばさんの言葉が反則すぎる。

「ブランド・ニュー・デイ(真新しい一日)」が示すように、ピーターは最後に勇気を振り絞って新たな人間関係を築こうとするところで物語は幕を閉じた。ジーンもこれから自分と同じ能力者仲間(X-MEN)と出会うだろう。これほどまでにジーン・グレイのオリジンが重厚に描かれた以上、X-MENのMCU本格参戦により期待をせずにはいられなくなった。


◉MCU屈指の映像美

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映像面に一切粗がなかったのが一番の衝撃だった。MCUはフェーズ3辺りから、グリーンバックやグレースケールを多用するようになり、実写の俳優と背景のコントラストが浮いてしまうという構造的な問題を抱えていた(もちろん『アベンジャーズ/エンドゲーム』も例外ではない)。フェーズ4に至っては、作品数の増加によりVFX自体のクオリティも問題視されるようになった。そんな過去の悪癖を反省してか、本作は徹底的に実写撮影のリアリティにこだわっていることが随所に伺える。

最も象徴的なのはスパイダーマンが暴走する装甲車を止めるシーン。こちらは昨年のこの時期に、ニューヨークでの撮影の様子が公式から報じられていたのだが、その映像にはスウィングするスパイダーマンや装甲車がCGなしで撮影されているのが確認できる。だからこそキャラクターの実在感、アクションに生じる演出の重み、背景との自然な溶け込みといった諸々の要素が、どれも欠けることなく噛み合ったのかもしれない。

特記すべきは「ホーム」トリロジーから格段に向上したウェブスウィングだろう。サム・ライミ版の振り子の原理を思わせる、ぐっと落ちてから一気に加速するスピード感、『アメイジング・スパイダーマン』シリーズのパルクールやPOV視点を取り入れた、主観的で物理的なアクロバティックさなど、過去作のいいとこ取りをしつつも、ゲーム版のモーションを逆輸入していたので新鮮味もあった。ハルク戦やヤミノテ戦に関してはクロスオーバーでしか実現しないドリームマッチを楽しめた。従来のスパイダーマンらしさや、MCUならではの豪華さを包括した最大公約数と言うべきアクションとなっている。


◉総評

ここ数年のMCU作品と比べると、ユニバースの旨味は活かしつつも、ちゃんと一本の映画として独立したクオリティだったと断言できる。MCUに限らず近年のハリウッド映画は、タイパ至上主義のZ世代を意識しているからか作品のテンポがやたら早く、あらゆる要素が矢継ぎ早に詰め込まれる傾向にある。そんな最近のトレンドに逆流するかのように、本作にはゆったりとしたシーンが度々挿入されていた。序盤のエレーナとのビジネスライクな情報共有と、中盤のMJとの感情的な対話がまさにそれだろう。そういう丁寧な描写の積み重ねがあったからこそ、終盤の怒涛の畳みかけで感情が爆発させられた。これぞ理想の「映画体験」というものだ。

この記事は完全初見の状態で書いたので、記憶があやふやで誤っている箇所があるかもしれない。少なくとも後2回は観直す予定なので、新たな気づきがあれば随時更新していく所存だ。


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