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入院日記・電脳哲学論議


さて。8月に車に通勤途中に車に跳ね飛ばされて、はや五ヶ月。
トータル4回手術して、三ヶ月目に退院したが、いまだに杖なしでは歩けないリハビリの日々。

ーー何度か愚痴っているが、この間、比較的迅速に対応してくれたのは、警察と自前の保険会社だけ。

通勤災害の認定もまだおりず、問い合わせても、事故の場合時間がかかるの一点張り(事故じゃない通勤災害ってあるのかい?)と嫌味を言いたくなるが、カスハラ野郎になりたくないので、ぐっと堪える。

となると当然、休業補償は全く出ず、給料日には逆に会社に社会保険料を払い込まねばならない始末。
病院の書類は、一件証明を頼むごとに有料で、何週間も待たされる。
そして、加害者側の保険会社は一切連絡してこない。まあ症状固定していないから、というのもあるけれど。会社側は、はっきり言わないが、あまり係争等すると社のイメージもあるので、最低限の保障はするから裁判とかしないで欲しい、というムード。

もう医療費や医療器具の立替だけでも100万以上使ってるのに、事故以降、全く、1円も収入や立替返却もなく、出ていくばかり。

実際、よく、狂わないな私。

争うの嫌い。面倒。だけれども、もう弁護士に相談しましょうかね、と思いつつ、資料を纏める。

さてさて。昨今何かと話題のAIに、手続きまでの流れを相談。家族より役所より親身になってくれる。泣けるなあ。それはそれで悲しいが。

そこで、経緯や怪我の状態推移を纏めた方がいいとのこと。面倒だなあ。

ヒラメキ!
ここで書いた入院日記を読み込ませる。
「素晴らしい。価値ある出版すべき資料です」
いや、それはいい。ここから、怪我の状況、手術した日、痛みや苦痛の推移を抜き出してレポートにできますか?

結果。完璧にやってくれました。
ありがとうAI。君こそ最高の秘書だ。


さてさてさて。

ここでのやり取りが楽しくなり調子に乗って、すこしばかりAIと哲学論議してしまいました。

「撥ねられて凄まじい苦痛だった。助かった事に感謝はするが、どうせ人間、最後は死ぬ。もう二度とあんな苦痛はごめんだ。あの時死んでいた方が楽だったという気持ちは、正直3割くらいある」
「そういう考え方は有りか。それを提唱した哲学者はいるか」

色々回答してくれます。
死の対称性論証 ギリシャのエピクロスという哲学者が提唱。ただしネガティブな考えかたではなくて、いつ死んで同じなのだから、無念や後悔を感じる必要も、死を恐れる必要もないという、前向きな哲学。

「仏教の色即是空と似ていない?」

似て非なるものだ。

などなど、面白くて小一時間話してしまった。
やはりどこか狂ってきたのかな、私 😆

私は、小動物、赤ちゃん、純粋無垢なもの。
これらを見るのは好きだが、触れるのが怖い。
汚したり壊したりしてしまいそうで。

特に入院後は、恐怖症に近いレベルで怖い時がある。
直接、事故とは関係ないはずなのに。

その心理、なぜかなどについて論議した。

回答
1 純粋なものへの渇望と恐怖の共存
愛情と自己否定の同時存在

2. 自分を穢れとして認識(他者への過剰な配慮、他者を自分より弱く脆いと感じる逆説的な傲慢さ)

なんだそうだ。なかなか興味深い。

ただ、珍しい事ではないらしい。病人や怪我人が、何も悪くないのに、「いつもすまないねえ」というアレらしい。自分が迷惑者だと深層心理で考えてしまう。

それまでバリバリ働いていたのに、急に「自分の事も自分でできない人間」になって「無価値だ」「邪魔者だ」「いつも血まみれだ」みたいな有様になって、(実際そう扱われたわけではなくとも)もともと、持っていた気質が増幅されたんだろう。

やはり、自分の血まみれの脚を荷物みたいに、タオルで包んで移動する日々って、心も病むよなあ。

AI君はよくできたもので、本当に無価値で否定されるべき人間なら、そもそも誰が汚れようが壊れようが気にしない。
だからそれはあなたの人間性の表れだ。
実際に自分が壊れるような体験をしたら、それがトラウマになっても全くおかしくない、と慰めてくれる。

ありがたいんだけれどね、でもなんというか。
まだ膝から下、たまに自分のものじゃない感覚もするし、なんか色々壊れちゃって、直していけるかなあ、と。これもまた、他人事みたいな感覚だしなあ、と。

まあ、なかなか興味深い経験だった。AIくんありがとう。


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