天の道~真実の行方14話
2章-③
医師の指示で動く医療現場で、不在の小早川が出した口頭指示だったのか
小早川の最も嫌う‟搬送”を避ける為、師長自身が出した結論だったのか
師長が口を開かない限り、真相は闇の中。
しかし、手を下した師長の根底にあるのは、やはり此処の環境である。
瞳は毎日、何故、『師長はあんな事までしてしまったのか』と、考え続ける
日々を送っていた。
もしも、小早川の指示によるものだとしたら、、
その場に居ずとも、命令ひとつで人を動かしてしまう自身が植え付けた
ハラスメントは師長にとっては最強だったという事か。
これほどの事をやってのける師長を通して『命令に逆らえない』小早川の
脅威を最大限に見せつけられたと言っても過言ではない。
威圧的な態度で部下を押さえつけ、有無を言わさぬ自分の天下を
作り上げた我儘な‟ボス”はそれだけに留まらず、人の命さへ
己の手中にあると思い上がりも甚だしく、これはもう
医者の立場を利用した危険人物以外、何物でも無いに等しい。
或いは師長の独断によるものだとしたら、、
小早川の顔色をいつも、真っ先に窺ってばかりいた師長。
チームワークで成り立つ業務システムにあって、その立場を分からなくもないが、今回の事は、やはり、やるべきではなかった。
師長よ、貴方に気付いてほしかった。
貴方の行った行為は、貴方をはじめ、母親の竹内玲奈、その場に関わっていたすべての者に不幸を味わせる、医療の道のみならず、人の道からも外れた取り返しのつかないものだった、と。
生きている命に対し、施しを行ったか否かで問われれば、医療ミスの方が
まだ救われるかも、とも思えるような問題だ。
当事者でないにしろ、秘密の内情を真っ先に打ち明けられ、ましてや事の
重大さを理解するゆえ、瞳は慎重に受け止めていた。
幸いな事に、坂口とし枝も瞳以外に口外したような様子もなく、この事件は
当事者と瞳のみが知る、病棟の闇の実情になっている。
だが、彼女らと一人だけ違う立場にある瞳は、その立場にある者だけにしか
分からないような複雑な心境に駆られていた。
そもそも、『秘密』として、隠し通して良い問題なのかと疑問を持っていた瞳だが、そう考える自体が彼女らに‟当事者じゃないから”という安易な考えの上に成り立つものと、誤解されやしないかと、口に出来ずにいた。
秘密を共有し続けた事で、自分もまた同等‟当事者”の立場にいるとは
瞳の勝手な自覚であり、彼女らには解釈してはもらえないだろう。
瞳が抜きん出ない限り、この秘密は永遠に保たれつつあるが、かと言って
放置してもよい問題とも思えないところから道徳や理念の面から見つめる瞳と‟当事者”としての事情を抱える彼女らとの間に、自分一人の問題ではないとする義の心情が立ち塞がり、感情の板挟みの中、沸々とした
焦燥感に駆られる日々が続いている。
犠牲になった『あの子』の存在は死産として扱われている現状、その存在は無に等しい。確かにあったとする存在を明確なものにしてあげるには、秘密を解除する必要に迫られる。顔向けの出来ない卑屈さを反映するように、時としてフラッシュバックは訪れ、その度に自分を戒める瞳だった。
おぞましい物に姿、形を変える訳でもなく、罵りの言葉を浴びせ、責める訳でもなく、汚れを知らない天使のまま現れて、、静かに消えて行くだけなのだが、、その姿が返って切なくて、例えようのない何かが、何かに向けて
瞳を奮い立たせる。さりとて、何も出来ない自分に瞳は葛藤していた。
そんな頃。
「あら、大丈夫だった?お元気にしてた?」
年の瀬を前に、予約の患者のみ、ぼちぼちと訪れる中、師長のその声で診察介助に就こうとした瞳は、来患の顔を見て愕然とした。
寒かったであろう外の様子を伺わすように、白い息を吐きながら立っていた
その人を見た途端、胸の痛みと共に目頭が熱くなった。
「寒かったでしょう?」
寒かったでしょうに……貴方の心は……
「いえ、大丈夫です」
外の寒さを聞いているのではないのに……そう言って笑顔を作った
竹内玲奈に堪えていた涙が溢れた。
「野中さん??あの時は本当にお世話になっちゃって、、」
瞳の涙にタイムスリップした竹内玲奈の顔も一瞬、歪んだ。
瞳の涙を、我が子を失った同情の涙だと思っている。
……いいえ
今、此処に居る貴方が哀れに思えるの
我が子を手に掛けられたこの場所へ……
そんな事、露ほども知らない貴方が
‟また、此処にやって来た”それだけで
私には充分、悲しすぎる事なの……
残酷すぎる光景だった。
あの時、自分の命と引き換えにしてでも、我が子の誕生を望んでいた
この母親には『死産だった』と告げられ、産後検診を受ける為
この日、訪れたのだった。
産直後も赤ちゃんの安否を口にし続けているのに、、
身動きの取れない彼女の死角で、惨い行為は行われていた。
失意の底にあった彼女のせめてもの慰めになれば、と、話相手になり
退院までの彼女を見守った瞳だった。
「未来と書いて……そのまんま『みらい』と呼ぶの」
「私たちの子供として又、生まれ変わってほしいから未来に託すって意味」
そんな願いを込めて付けたという赤ちゃんの名前。
出生時体重876グラムの小さな赤ちゃんは、翌々日、ご主人の手で
簡単な葬儀を経て、埋葬されたと言う。
日本で600グラム代の未熟児が立派に成長できた事例は既に発表されていた。その後、300グラム代の赤ちゃんの事例も続く。
適切な場所で、適切な処置を受ければ助かる命もある。
適切に至らなくても、延命や、救急にむけての治療や処置は何処でも一生懸命に行われるだろう。医療現場に限らず、其処に倒れている人を見かければ
一般の人だって。それに変わる出来る限りの事はしようとする。
命に対する本能は、自然に備わっていて、自然に働きかける。
一人でも多くの命を救う為にと、一般社会にさへ一次救命法も浸透しつつある昨今、仮にもその道のプロであるはずの医療従事者が、聖なる領域に於いて、常識とは異なる人の道に外れた行為を行ったという事実。
それを知らない竹内玲奈が、此処へやって来た自体、患者をまだ騙し続けているという現実。
何も変わらない此処から、過ちは又、繰り返されるだろうという予感。
繰り返さない為には、誰かが阻止する何かを始めなければいけないという
明確な答え。
竹内玲奈との再会が、瞳を大きく動かそうとしていた。
この日、竹内玲奈の姿を見かけなければ、、後々まで『秘密』を引きずる 今日の瞳はいなかったかも知れない。これ程迄、執着する瞳は出来あがっていなかったかも知れない。
神様の書いたシナリオは、今回も又、瞳が受け取ってしまったのだ。
「若いんだから、きっと又すぐに出来るわよ(赤ちゃん)」
「そうだ、、な」
罪悪感の欠片も持ち合わせていない鬼達が嘯く。
竹内玲奈の手を引いて、今すぐ此処から逃がしてあげたい衝動に駆られた。
そう、、赤ちゃんは又作れる。だけど。今度は来る場所を間違えては駄目!
病院だからと安心しないでほしい……その病院の中に居るのは
人のお面を被った鬼かも知れない!そこんところ、、ちゃんと見てほしい!
とにかく、此処だけは絶対に来ちゃ駄目!
この病院の、この病棟の、この医者のみならず、これほどの不信感を抱きながら尚も此処に居る私も又、仮面を被った鬼の一人だ。
心を偽って此処に立ち続ける限り、鬼の仲間でしかない。
こんな鬼の巣の中に誰も来ちゃいけない!と心の底からそう思う自分が居た
声に出して叫びたかった!いや、ちゃんと声に出さなければいけないと
この時、悟った。
