天の道~真実の行方 3話
【アクシデント】
午前5時……この頃になると業務は立て込んでくる。
3時間置き、ベビーへの何度目かの授乳+おむつ交換への突入後、哺乳瓶
使用した医療器具、他を消毒する為のエイドさんへ引き継ぐまでの過程。
朝のラウンド、採血、検査伝票の振り分け、熱計表記入、看護記録の整理
その間の朝食の配膳、下膳…etc どの部署も、この時間帯は例えて、盆とクリスマスと正月が同時に来たような、てんてこまいの状態となる。
勿論、早い時間からそれを見込んで、出来る事は済ませておいたりするので
この時間帯に異常がない限り、8時半からの日勤者への申し送りを終えて
9時に夜勤終了となるのだが……順子と瞳の夜勤は深夜の迷惑な訪問者の
お陰で、出来る事が出来なかった分大幅に遅れていた。
病棟内を歩いて廻るゆとりすらなく、走っているに等しい状況だった。
そんな状況の中、瞳の受け持つ婦人科側でアクシデントが発生した。
瞳はラウンドの最中、305号室の卵巣脳腫Ope(オペ)後のクランケ
林田京子のガーゼ汚染の程度で思案していた。
普通なら迷わず包交を選択する出血汚染……だが此処で、またしても小早川の存在が立ちはだかっていた。
先日スタッフの一人が包交をした件について烈火の如く
「誰がした~!!」
と、怒り狂っていた様が目に浮かぶ。
小早川によると、自分の処置したやり方(ガーゼの当て方やテーピングの
仕方)が違っていた事から、誰かがやり直した事が判明し、まず、自分のやったようにやらなかった事への指摘、そして、それが事前に自分に報告されなかった事へ怒りを露わにしていたのだ。
だが、緊急を要さない限り報告は事後報告でも十分だし第一、報告が必要か否かは、ある程度経験を積んだナースにしてみれば一目瞭然……それが自分なりに『身についた看護が出来る』という積み重ねによるものだ、ガーゼの当て方やテーピングは、状態に応じてその都度変わる訳で、人によりやり方が違うのは当然だと言える。
カルテ記載さへ怠らなければ、普通、問題にもならない薄っぺらい事例だ。
「大体、回診の前に事前に目を通さない方が悪いのよ」
と、スタッフの肩を持ちたくなる。
が、そんなナンセンスな事が全て小早川の手中の中に収められていた。
とにかく怒らせると厄介……
ひとたび睨まれると、その存在は脅威的なものへと変わる……
右と言われれば左へ行く事は許されず、白と言われれば
たとえ赤くても白と言わしめる……
大人の世界の苛めにも等しい抑圧された環境の中、3階病棟は
小早川医師の絶対的権限を持つ、独特な世界が作られつつあった。
結局、林田京子のガーゼは瞳の手によって交換された。
その事を一瞬、躊躇した瞳であったが、汚れたガーゼはクランケにとって
不快なものであり、又、長時間放置する事で細菌感染にも繋がりかねない。
小早川の事が頭をよぎりながらも、こういう場合、大抵の事は実行してしまう瞳だが、ただ、そのやり方は揉め事を避ける為、小早川がやっていたそのままに、復元を試みた。このやり方のどこに『真似ろ』と言わしめん技術があるのだろう、と、疑問を感じながら……
今回に限らず、近代医学のめざましい発展の下、小早川の手法は立ち遅れていた。旧式で、未だに昔ながらの手技に固執する小早川の力量にも反感を覚え、ついていけない、とするスタッフが大勢いた。
そのくせ、あの強気の姿勢はどこから生じるものだろうか?
過去に某国立病院に勤務していたという経歴を持つ小早川は何かにつけ、その話を取り上げ天狗風をふかせていた。国立病院出身というのは、ちっぽけな地方病院においては、自慢話となりうる要素なのか?
包交を終えた瞳は、その後の仕事を難なくクリアさせ、この件を申し送り
日勤者へと引き継いで、順子と瞳の慌ただしい夜勤が無事、終了した。
白衣から私服への着替えを済ませ
「じゃーねー、瞳、お疲れー」
と、順子が更衣室を出てから間を置かず瞳もそれに続いた。
駐車場が目の前の所で、車の鍵をバックから出そうとした時
携帯電話が鳴った。
3階病棟のスタッフのひとり、小川由美からの着信名が表示されている。
「何だろう?」
彼女、さっき日勤帯で出てきて…顔を会わせた時は何も言ってなかったのに…そう思いながら電話に応えた。いつにも増して、暗い雰囲気の由美の声に、何かあったなと、直感した。
真っすぐな性格ゆえ要領が悪く誤解されがちな後輩の小川由美を、姉御肌の気質を持つ瞳は放っておけず何かと面倒を見てきた。口下手な面も相まって、あまり仲間内とも喋らない由美だが、今では、職場でもプリセプターを通り越し何でも瞳に質問してくる。時間は掛かったが、懐いてくれている。
「もしもし……先輩、さっき言おうと思ったんですけど
あのう……お話があるので、近々時間作って頂けませんか?」
瞳は自分の方から改めて連絡するからと、約束を交わし車に乗り込んだ。
朝の太陽が疲れた身体に一層の眠気を誘う。
「あー眠い!早く帰って寝よう」
家路へと急いだ。
