株式会社KAICOーー“生命生産”を社会インフラへ変える設計図
1. 導入:なぜ今、KAICOなのか?
バイオ医薬品は“つくれる”が、“量産できない”
ワクチン、抗体医薬、診断薬──社会がバイオ医薬に依存する度合いは加速度的に高まっている。一方でそれらの多くは、高コスト・長い製造リードタイム・特定拠点への設備集中という脆弱な生産構造に縛られている。新たに大規模製造拠点を整備するには5~10年もの歳月を要するとも言われ、需要変動に追随した柔軟な増産が難しいのが現状である。こうしたボトルネックを抱える現行のバイオ医薬品生産は、「作ること」よりも「量産し安定供給すること」が難しい時代に突入している。
では、供給不安やコスト高を引き起こしている根源的な要因は何か。それは、哺乳類細胞(例えばCHO細胞)に依存した集中型の製造モデルにある。高度に管理された大型培養設備で細胞を育て、薬となるタンパク質を生産する従来手法は、品質面では優れるものの設備投資と維持費が莫大で、1種類の製品あたりの専用ライン化も多くスケールアップの柔軟性が低い。結果として、少しでも需要予測を誤れば供給不足や過剰在庫に陥り、パンデミックのような急激な需要には迅速対応が難しい構造である。
この課題に対し、KAICO株式会社(以下、KAICO)は真逆の発想で挑んでいる。同社は「生き物そのものを生産装置にする」というビジョンを掲げ、小さなカイコ(蚕)を“生きた工場”に見立ててタンパク質を作り出す技術を磨いてきた。カイコを用いたタンパク質生産プラットフォームは、従来の細胞培養型の集中生産を補完・代替し得る分散型インフラとなりうる。まるで無数の小さな生産ラインが全国に点在するように、カイコによるバイオ医薬の量産ネットワークを築く──それはバイオ製造の前提を覆す挑戦である。
要約(2行):
KAICOは、バイオ医薬のボトルネックである「量産構造」に挑む。
カイコという生きた工場で、バイオ製造の前提を覆そうとしている。

2. 創業ストーリーと思想:なぜ“カイコ”だったのか
「日本には、世界に誇る“昆虫バイオ”の蓄積がある」
2018年4月、九州大学発のスタートアップとしてKAICOは産声を上げた。ミッションは「カイコで世界を変えていく。」──蚕で作る難発現タンパク質を医薬品・診断薬・試薬として世界に届けることだ。この創業の背景には、日本が長年培ってきた養蚕・昆虫研究の知的資産を社会に活かしたいという強い使命感があった。
創業者の大和建太は元々バイオとは無縁の文系出身のサラリーマンであった。彼は九州大学ビジネススクールに通い直し、学内の研究シーズを探索する中で、昆虫分子遺伝学の権威である日下部教授と出会う。日下部教授の研究は、「タンパク質を作る遺伝子を組み込んだウイルス(バキュロウイルス)を蚕に感染させ、蚕体内で目的のタンパク質を作る」というユニークな手法だった。蚕1頭あたり数十円という低コストで、細菌(大腸菌)では作れない複雑なタンパク質まで生産できる──この明快な技術に大和は可能性を感じる。さらに、蚕なら少量から大量生産まで柔軟に製造規模を変えられること、そして何より教授自身が商業化に前向きだったことが後押しとなり、彼は「この技術でもう一度起業しよう」と決意した。
実際に起業するまでには入念な市場調査が行われた。蚕で作った貴重なタンパク質には確かな需要がある――そう確信した大和は、「自社単独で新薬を開発するのでなく、多くの製薬企業と組んで、蚕を使って今までできなかった医薬品を次々生み出す」ビジネスモデルを描いた。しかし創業当初、周囲の目は冷ややかだった。「面白いね」と興味は示されても、「本当に蚕で医薬品原料なんて作れるの?」と半信半疑なのである。実績も知名度もないスタートアップに製薬各社が重要なタンパク質生産を委ねることは容易ではなく、当初は大企業からの受託案件獲得に苦戦した。
逆境と転機:「蚕で世界を変える」は大げさか?
創業翌年の2019年、大和はスタートアップ登竜門「TechCrunch Tokyo 2019」でファイナリストに選出され、1000名超の観客を前に「KAICOはパンデミック時にワクチンを迅速に作ります!」とプレゼンした。まさか翌年本当に世界規模のパンデミック(新型コロナ)が起きるとは予想もしなかったが、果たしてKAICOは当時掲げたようにワクチンを提供できたのか?――答えはNOである。スパイクタンパク質自体の試作は日下部教授らの尽力でわずか2ヶ月で完成したものの、「蚕由来ワクチン」は前例がなく製薬企業も容易に動かせない。自社には量産設備もない。結局、壮大な約束は空手形に終わり、大和は悔しさを噛み締める。
この経験はKAICOに転機をもたらした。「外部案件を待つのではなく、自分たち主導で社会に必要な製品を出さねばならない」──大学発ベンチャーの意義は、大学の研究成果を使って世にない製品を開発・事業化することにこそある。本気でそれを目指すから真のパートナーや仲間が集まるのだ、と腹を括ったのである。
その矢先、KAICOチームは意外な発見に出会う。開発中だったブタ用ワクチン抗原入りの蚕蛹を丸ごとマウスに食べさせたところ、注射と同程度に抗体価が上昇したのだ。普通タンパク質ワクチンは経口投与すると消化分解されて効果が出ないため、粉ミルクのように特殊な加工をしない限りワクチンにならない。ところが蚕を食べさせるだけで免疫獲得が起きたのである。偶然かを確かめるため、ノロウイルスワクチン候補タンパク質を含む蚕蛹でも試すと同様に抗体反応が起きた。「食べるワクチン」への道が拓けた瞬間である。
経口摂取するだけで免疫が付くワクチン――それが実現すれば世界を一変させる革新だ。誰も注射が好きではないし、注射には医療従事者や器具が必要だ。もしワクチンを常温保存できて、薬のようにドラッグストアで買って自分で飲めるなら(経口接種できるなら)、必要なときに必要な量を世界中に届けられる。ヒト用のみならず家畜への投与にも絶大な利点がある。現在、畜産農家や獣医師は牛や豚に1頭ずつ注射接種し、水産養殖でも魚を1匹ずつ網ですくって注射している。しかし経口ワクチンなら餌に混ぜて与えるだけでよく、劇的な省力化が可能となる。
こうして「食べるワクチン」開発という明確な旗印が立った途端、KAICOの事業展開は桁違いのスピードで進み始める。当初は動物用の注射型ワクチンが中心だった開発案件は、液体(注射型)と粉末(経口型)の両軸へ広がり、次のパンデミックに間に合うようヒト用経口ワクチンの開発にも着手した。さらに自社製品を形にするためのGMP製造設備も約2年かけて社内に建設した。2022年にはマウス実験レベルだった経口ワクチンは、2023年末についにブタでの実証試験に踏み切る。経口ワクチン抗原入りの蚕をブタに与え、翌2024年に感染チャレンジ試験を行った結果、何も与えなかった対照群では体内でウイルス増殖が見られたのに対し、蚕を食べたブタ群ではウイルスが全く増えず、体重増加も確認できたのである。この目覚ましい成果により、KAICOは途上国を含む海外の養豚市場に照準を定め、現地パートナーとの商談を進め始めた。
そして創業5年を迎える頃、KAICOには国内外の投資家や大手企業から次々と声が掛かるようになる。蚕×バイオ×製造インフラという異色の交点に可能性を見出す者が増えてきたのだ。その背景には、日本が持つ圧倒的な蚕バイオ研究資産がある。九州大学は100年以上にわたり蚕研究を続け、世界最多800以上の蚕品種(系統)を保有している。その中にはバキュロウイルスに感染しやすく高生産性を示す系統もあり、KAICOはまさに大学の知と蚕という「国宝」級リソースを事業化した存在なのである。かつて明治期の日本は「蚕の国」として世界的なシルク供給国となり近代化を支えた。石油化学の時代を経て養蚕業は衰退したが、今再び蚕が主役となる時代が来るかもしれない――未知のウイルス危機に立ち向かい、世界を変えるために。
要約(2行):
KAICOの出発点は、日本の研究資産を社会実装する使命感にある。
カイコは懐古的存在ではなく、次世代バイオの基盤である。

3. 技術の中核:カイコ発現系という“生きた工場”
「タンパク質を“培養する”から“育てる”へ」
遺伝子組換えカイコによるタンパク質生産とは何だろうか。原理はシンプルである。「目的タンパク質の設計図(遺伝子)を組み込んだバキュロウイルス」を蚕の体内に注入すると、ウイルスが蚕体内で増殖する過程で目的タンパク質が発現される。あとは蚕からそのタンパク質を回収・精製するだけだ。遺伝子導入や細胞培養といった言葉は難しく聞こえるかもしれないが、喩えるなら「工場の生産ラインに新しい製品の設計図を送り込み、生きた蚕という工員にその製品(タンパク質)を作らせる」イメージである。従来はステンレスの培養タンク内で細胞を増やしていたのを、一匹の小さな生き物を丸ごと反応器として使う点が画期的だ。
図:KAICOのカイコ-バキュロウイルス発現系の模式図。 左側で目的タンパク質の遺伝子を組み込んだ組換えバキュロウイルス(図の注射器のイメージ)が作出され、それをカイコの蛹に注入する(中央)。蛹体内で目的タンパク質が産生されるため、一頭ごとにタンパク質を回収・精製できる。その結果、研究用試薬や注射ワクチン原薬となる精製タンパク質(図右上のフラスコ)、あるいは蚕蛹粉末を利用した経口ワクチンや飼料添加物(図右下の粉末)といった最終産品を得ることが可能になる。

このカイコ-バキュロウイルス発現系には、従来の発現系にはない複数の利点がある。第一に生産性の高さである。蚕そのものが小さなバイオリアクターであり、わずか2~3cmの蛹1頭で昆虫由来培養細胞100~1000mL分に匹敵する生産レベルを有する。大型の反応槽は不要で、必要な頭数の蚕を並行的に飼育すればよいだけなので、多品種のタンパク質を省スペースで生産でき、スケールアップやスケールアウトが極めて容易だ。実際KAICOではこれまでに130件以上の受託プロジェクトを手掛け、いずれも目的タンパク質の発現に成功している。難易度の高い膜タンパク質やアレルゲンでも結果を出しており、極めて汎用性が高いことが実証されている。
第二の利点はタンパク質品質の高さである。蚕体内で作られたタンパク質は天然型に近い翻訳後修飾(※タンパク質が細胞内で機能するため施される糖鎖付加などの加工)を受ける。大腸菌や酵母など微生物では人由来タンパク質の正確な修飾が難しく機能的タンパク質の合成に不向きだが、蚕ならば哺乳類に近い構造のタンパク質が得られる。実際、蚕由来の細胞・個体で得られたタンパク質は生物活性が高く、医薬品として必要な立体構造が保たれやすい。さらに哺乳動物細胞を使わないことで、哺乳類由来ウイルスなど人に有害な病原体混入リスクが低い点も安全性上のメリットである。
第三に製造インフラ面での柔軟性が挙げられる。蚕は言わば自動で増殖し働いてくれる生きた生産ラインであり、カイコ蛹を天然のバイオリアクターとして利用することで、従来のバイオ製造に必要だった大規模インフラが不要となる。KAICOが持つ多数の蛋白質生産ノウハウと最適化手法も相まって、他のシステムに比べ製造コストの大幅削減が可能となっている。蚕さえ育てれば良いので設備投資ハードルが低く、将来的には各地で分散生産することも視野に入る。この特徴は後述するビジネスモデルの根幹にも関わる。
以上のように、カイコを用いた発現系は「いいとこ取り」のプラットフォームだ。無論、注意点もないわけではない。例えば昆虫由来の糖鎖修飾は哺乳類由来と完全には同一でないため、医薬品として要求される性能を満たすか評価が必要になるケースもある。また生きた昆虫を扱う以上、環境中への拡散防止や品質管理には細心の配慮が求められる。しかしKAICOは既にISO9001を取得する品質マネジメント体制を敷き、GMP適合の専用設備で医薬品原薬の製造準備も進めている。すなわち技術的ハードルは着実にクリアされつつあり、カイコは研究室の珍しいペットではなく、社会を支えるれっきとした「生産インフラ」へと昇華しようとしている。
要約(2行):
KAICOの中核技術は、カイコを使った高品質タンパク質発現である。
それは設備ではなく、生物を工場にする思想だ。

4. ビジネスモデル:バイオ製造を“分散インフラ”へ
「巨大工場に依存しない生産構造」
前章で述べた技術を活かし、KAICOはバイオ製造の在り方自体を転換しようとしている。そのビジネスモデルは一言で言えば「バイオ版・受託生産×自社製品開発のハイブリッド」である。1つ目の軸は製薬企業や研究機関からの受託タンパク質生産サービスだ。これはいわばバイオ版のCDMO(医薬品受託開発製造)であり、顧客のニーズに合わせてターゲットタンパク質を蚕で発現・提供する。従来法で作れないタンパク質も含め高い成功率を誇るため、大学や企業の研究試薬製造ニーズに応えるサービスとして着実に実績を積んでいる。
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