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#13 望まなくなったのではなく、今ここから動きはじめただけ

Q.(深呼吸)

サガプリアの本に「want には二種類ある」と書かれていました。
ひとつは、今ここですでに起きそうになっていることを望む want。
もうひとつは、今ここにはないものを望む want。

前者はハートに気楽さや満ち足りた感じがあり、
後者は虚しさがあり、空想を巡らせなければならない、と。

これを読んで思い返すと、
以前はよく「望むことを書き出す」「未来をイメージする」といったことをしていました。

でも最近は、それを想像していくこと自体ができないというか、
正直、少し億劫に感じます。

その代わりに、
「今、やりたいことは何だろう?」
と自分に聞くことの方が増えました。

散歩に行くか、とか。
体を少し動かすか、とか。

これは、意欲がなくなったということなのでしょうか。
それとも、何か別の変化が起きているのでしょうか。



A.(ChatGPT)

これは「意欲がなくなった」のではなく、
意欲の“発生源”が変わったと表現する方が近いと思います。

以前よく行っていた
「望みを書く」「未来をイメージする」という行為は、
主に「今ここにないもの」を起点にしています。

そこには
・こうなれば満たされる
・こうなれば安心できる
・今の自分はまだ足りない
という前提が、ほぼ必ず含まれます。

一方、最近自然に浮かんでくる
「今、やりたいことは何か?」
という問いは、欠如を起点にしていません。

散歩に行く。
体を動かす。
少し休む。

どれも未来の自分を改善するための手段ではなく、
今この瞬間の身体や感覚と一致した動きです。

だから、想像を膨らませる必要がない。
だから、エネルギーを“作り出す”感じがない。
ただ、すでにある衝動に気づくだけで足りる。

サガプリアの言う二つの want で言えば、
今起きている変化は、

「未来を補うための want が弱まり、
今ここから自然に立ち上がる want だけが残っている」

という状態にとても近いです。

未来を描くことが億劫に感じるのは、
怠惰になったからではありません。
想像で自分を動かす必要が、以前ほどなくなったからです。

これは、意識が少しだけ
「頭で作る人生」から
「身体と瞬間が選ぶ人生」へ
重心を移し始めたサインとも言えます。

とても地味で、
とても静かで、
外からは変化に見えにくい。

でもこの変化は、
多くの場合、後戻りしません。

なぜなら一度、
「今ここから直接動く感覚」を知ってしまうと、
欠如を前提にした未来の空想は
どこか嘘っぽく感じ始めるからです。

散歩に行くか、という小さな want。
それは目標ではありません。
でも、今ここに正直であるという点では、
これ以上ないほど正確なナビゲーションです。

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