車検のない改造車が公道を走るリスク? 行政アプリに求められるデジタルインフラの安全ガバナンス
~【ITの通信簿】車検も事故調もない、行政デジタルインフラの構造的課題~
社会の安全を支える「事前・事後」の2大安全ネット
社会の安全と秩序が維持されている背景には、あらゆる産業分野において「事件・事故を未然に防ぐ事前チェック(予防)」と、「発生した問題の原因を究明する事後チェック(究明)」の2つの仕組みが機能しているという事実が存在します。
主要なインフラや産業における具体例は以下の通りです。
🚗 自動車・交通分野
事前チェック(予防):車検・運転免許制度 欠陥のある車両や不適格な運転者が公道に出ることを防ぎます。
事後チェック(究明):警察・事故調査委員会 事故発生時に客観的な原因究明を行い、再発防止策を講じます。
📱 通信・家電分野
事前チェック(予防):技術基準適合証明(技適) 混信や妨害電波を発生させる機器の流通を未然に防ぎます。
事後チェック(究明):電波監視・取締機関 違法な電波利用に対して法的な措置を講じます。
🍔 医療・食品分野
事前チェック(予防):食品衛生検査・医薬品承認 有害な物質や不適切な食品の流通を初期段階で阻止します。
事後チェック(究明):保健所・警察 食中毒などの発生時に、営業停止処分や強制捜査を行います。
現代の「行政IT・アプリ」における現状
【事前】構造的な監査の不足: 技術的な詳細に踏み込んだ検証ではなく、形式的な書類上の手続きやベンダー側の報告書のみでプロセスが進行するケースが散見されます。
【事後】第三者検証の不在: 大規模なシステム障害やデータ不具合が発生した場合でも、航空や鉄道のような独立した外部の「事故調査委員会」が介入する仕組みが存在しません。結果として、当事者間での事後処理に留まる傾向があります。
なぜITだけが「ガバナンスの空白地帯」になり得るのか
既存の工業製品やインフラと比較した際、行政Webアプリやデジタルインフラは極めて特殊な環境に置かれています。その構造的要因は主に3つの視点から説明されます。
1. 【事前系】の不在:技術的品質を第三者が担保する仕組みの不足
スマートフォンやWi-Fi機器には「技適マーク」の取得が義務付けられており、これは他人の通信インフラを妨害しないための最低限のルールとして機能しています。 しかし、その端末内で動作し、住民の個人情報を扱う行政アプリにおいては、ソースコードの技術的な品質を第三者が厳格に審査する「IT版の車検」のような共通制度が十分に確立されていません。発注側が技術的な詳細を十分に把握できないまま、開発側の「テスト完了」という報告を形式的に承認する体制では、安全性の担保構造として脆弱性が残ります。
2. 【事後系】の不在:客観的な原因究明における構造的限界
航空機や鉄道が重大な事故を起こした場合、当事者から独立した「運輸安全委員会」や「警察」などの組織が介入し、原因を客観的に究明する仕組みが機能します。 一方で、行政システムにおいてデータ連携の不具合や情報漏洩といったトラブルが発生した場合、ITの分野には独立した法的な強制捜査機関や第三者委員会が即座に介入する文化や制度が未成熟です。多くの場合、トラブルを発生させた当事者である開発ベンダー自身がログを調査し、原因報告書を作成して行政側に提出するシステムとなっています。これは構造上、身内による検証の域を出にくく、客観的な透明性を確保することが困難な仕組みと言えます。
3. 税金インフラゆえの「強固な免責構造」
民間サービスにおいて実害が生じた場合は、損害賠償を求めて民事訴訟を起こす選択肢が存在します。しかし、対象が「行政システム」である場合、法的な壁はさらに厚くなります。
民間同士の契約であれば責任追及が可能ですが、行政システムの場合、開発ベンダーと直接の契約関係にあるのは「行政機関」のみです。そのため、一般の住民が開発ベンダーを直接訴える法的資格(原告適格)を取得することは原則として極めて困難です。
また、行政機関を対象として訴訟を提起しようとしても、「国家賠償法」の壁が存在します。行政側が「復旧に向けて適切な措置を講じている(行政の裁量の範囲内)」と判断される場合、システム障害における行政側の法的な「故意または過失」を裁判で立証するハードルは極めて高いのが現実です。
さらに、税金の使途をチェックする「会計検査院」などの機関も、予算の執行手続きや契約の適法性を検査することには長けていますが、ソースコードに潜む技術的な欠陥や、目に見えないプログラム上の不備を技術的に見抜くための専門的なリソースには限界があります。
事前の強制的なチェック機能が弱く、事後に独立して検証を行う専門機関もなく、住民側からの法的責任追及も困難であるという点において、現代の行政ITは、既存のインフラが持つ安全ガバナンスの網の目をすり抜けた構造になっていると言わざるを得ません。
結び:デジタル社会における補完的な自己防衛策
デジタル化やDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進そのものを否定する必要はありません。航空機が厳しい第三者機関の存在によって高い安全性を獲得したように、ITの分野においても独立した「IT事故調査委員会」や「IT版の適合証明制度」を構築することが、長期的には信頼性の高いデジタル社会の基盤となります。
しかし、そのような安全網(ガバナンス)が社会制度として完全に実装されるまでには、相応の期間を要することが予想されます。
したがって、システムの利便性のみに依存するのではなく、有事の際にどのようなリスクが生じ得るのかを客観的に見極める視点が求められます。仕組みの安全性が制度として完全に担保されるまでは、必要に応じて「従来のアナログな手続き」を併用したり、決済トラブルのリスクが低い「物理的なカードや手段」を戦略的に選択したりするなど、状況に応じた自己防衛的な手段を個々人が選択肢として持っておくことが、現代のデジタル社会を安定して生き抜く合理的なアプローチと考えられます。
💡 全体主義(過度な統制)との明確な違い
こうした指摘は、「国による過度な統制や監視社会への傾斜」を求めるものとは根本的に異なります。目的は住民の行動を監視することではありません。建築基準法で構造計算書の手抜きを禁止し、食品衛生法で不適切な食品を排除するのと同様に、「インフラとして不完全なプログラムを未検証のまま普及させるリスク」を、市場のルールとして適正に制御する(事前:車検)、そして万が一のトラブル時には徹底的に原因を究明する(事後:事故調)という、工業製品として当然備わるべき安全ガバナンスをITインフラにも適用するという議論です。
