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スキが少ないのは、悪い記事か

スキが少ないのは、悪い記事か

「◯◯ビュー達成!その方法を教えます」 「スキが増えない人の、たった一つの間違い」

そういうタイトルが、タイムラインに流れてきた。

読む前に、吐き気がした。

なぜ、吐き気がしたのか

最初は、自分でもわからなかった。ただ、生理的に、嫌だった。

考えて、わかった。

ああいう記事は、まず「君のスキは少ない」「君のビューは伸びていない」と、不安を植え付けてくる。そして、その不安を燃料にして、自分の記事へ呼び込む。

「君は、足りない」と思わせる。 思わせてから、「解決方法はこっち」と手招きする。

人の不安を、動員の燃料にしている。 俺が吐き気をもよおしたのは、たぶん、そこだ。

いいねが少ないのは、悪い記事か

ここで、はっきり問いたい。

スキが少ないのは、悪い記事だろうか。 閲覧が少ないのは、価値のない記事だろうか。

否。断じて、否だ。

スキの数は、その記事が「何人の指に触れたか」を数えているだけだ。 閲覧数は、何人が前を通り過ぎたかを、数えているだけだ。

どちらも、一つも、測れていない。 その記事を読んだ誰かの心に、何が起きたのかを。

スキが一つの裏で、誰かが泣いているかもしれない。 でも数字は、それを「1」としか言わない。

数字は、物差しとして粗すぎる

SNSも、noteも、スキと閲覧数が、いつのまにか「評価」になっている。

でも、それは、評価を、他人の"反応の量"に預けているだけだ。 しかも、いちばん粗い物差しに。

数字は、量しか測れない。 中身は、測れない。

何人に届いたかは数えられても、誰の何に届いたかは、数えられない。 価値のいちばん大事な部分を、数字は、最初から測れていない。

それを「評価」だと思い込むから、人は、不安になる。 測れないものを、測れたフリした数字に、振り回される。

俺は、本音にしか価値を置かない

俺は、本音こそ価値があると思っている。

一人にしか読まれなくても、本音なら、価値がある。 百万人に読まれても、不安を煽るための嘘なら、価値はない。

なぜなら、本音の価値は、二つとも、数字の外で起きるからだ。

一つ目。本音を書くと、自分が、自分を見られる。 普段ぼやけている自分の輪郭が、言葉にした時、ほんの少し、見える。これは、誰に読まれなくても、起きている価値だ。俺は文章に起こしていくことで輪郭が見える。

二つ目。その本音が、同じ何かを抱えた、誰か一人に届く。 その一人の中で、何かが動く。これも、スキを押されなくても、起きているかもしれない価値だ。

どちらも、数字には、一切、映らない。

だから、不安にならなくていい

スキが少ない。ビューが伸びない。

それは、君の言葉に価値がない、という意味じゃない。 ただ、いちばん粗い物差しが、君の価値を測れていない、というだけだ。

測れないものを、測れないだけだ。

数字を旗にして、君を不安にさせてくる記事に、心を明け渡さなくていい。

君の本音は、数字が数えられない場所で、もう、価値になっている。

———

書いたものが、誰の心も動かさなかったとしても。 それを書いて、君が、君自身を少し見られたなら。 その一行は、もう、無駄じゃない。

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はる|六畳の観測者 コーヒー代にします。 あ、溜まったら焼肉に行かせてください....!!