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noteとは何か、問うてみた。

毎日noteに文章を投げている。

でもふと思った。俺はこのnoteというものが、そもそも何なのか一度も考えたことがなかった。

使ってる道具の正体を知らずに使い続けてた。だから解体してみる。


まず数字を共有する。


noteの会員数は約1114万人。ただしこれは登録した人の数だ。実際に記事を投稿したことがある人は約203万人。会員の5分の1以下しかいない。

つまりnoteにいる人間の大半は書く人ではなく読む人だ。

さらに面白い数字がある。noteは会員登録なしでも読める。月間アクティブユーザーは約7359万人。会員が1100万に対して通っている人は7000万超。この差が後で効いてくる。

視覚的にみる通り道の正体

あとnoteには広告がない。有料コンテンツの販売手数料で成り立ってる。書いたものがそのまま金になる仕組みだ。

あとnoteには2つの顔がある。


二つの顔

一つはエッセイや思想や日記を腰を据えて読み書きする「サロン」の顔。もう一つは投資情報や副業ノウハウや専門知識を売り買いする「マーケット」の顔。

同じnoteという皮をかぶってるけど、中で動いてる生き物は別物だ。自分がどちらの顔と付き合ってるかで、同じnoteがまったく違う場所に見える。


ここから床を剥がす。

noteにはフォロー、スキ、コメント、メンバーシップと共同体っぽい家具が揃ってる。だから俺たちはなんとなく「この町の住人だ」という気持ちで書いてる。

でもさっきの数字を思い出してほしい。会員1100万に対して通行人が7000万。

読者の多くは検索エンジンから来て、一本読んで、去っていく。フォローもしない。通り過ぎるだけだ。

noteで起きてる現実は「居住」じゃなくて「通行」だ。

だとしたらフォローやスキやコメントは何なのか。通り道の脇に建てられた書き割りだ。舞台のセットみたいに、通行を居住っぽく見せるための装置だ。

俺たちは町に住んでるつもりで、実際には道路の路肩に立って通り過ぎる車に向かって声を出してる。

でも見え方を変えると逆になる。誰も立ち止まらない通り道だからこそ、立ち止まれる場所を一つ作れたら異常に貴重だ。通行人ばかりの道に座って話せる椅子を置く。それができた人間だけが、この通り道を自分の場所に変えられる。


もう一つ、不気味なことに気づいた。

俺たちはnoteを「ただの土管」だと思ってる。自分の言いたいことを流し込めば、そのまま届く中立なパイプだと。でもそうじゃない。

noteという形には「好み」がある。

Xでは短くてキレがあって瞬間的に反応を奪う言葉が生き残る。noteでは腰を据えて読む長めの文章が生き残る。だからnoteでは「告白」や「私の物語」や「役に立つノウハウ」が栄えやすい。

俺が何を書くかを、俺自身が決める前に、媒体が半分決めてる。

この場所では長文が伸びると知れば、無意識に長く書くようになる。この書き出しが読まれると知れば、その書き出しを選ぶようになる。スキやビューという報酬が、俺の手を少しずつ特定の形に曲げていく。

マクルーハンという人が「メディアこそがメッセージだ」と言った。何を言うかより前に、どの器に乗せるかが中身を決めてるという話だ。

noteという器は、俺という書き手をゆっくり作り変えてる。

俺は道具を使ってるつもりだった。でも本当は、道具の方が俺を使い、俺を書いていた。

noteを使ってるクリエイターなら、薄々感じてたんじゃないかと思う。でも言語化できなかっただけで。


だから知っておく必要がある。

自分が立ってる場所が何なのかを知らずに使うと、いつの間にかその場所に使われる。

通り道だと知っていれば、立ち止まれる椅子を意識して置ける。媒体に手を曲げられてると知っていれば、曲げられたままなのかあえてそう書いたのかを自分で選べる。

知ってるかどうかだけが、使う側でいられるか使われる側に堕ちるかの分かれ目だ。


ただ、これで終わりじゃない。

もっと深いところに、まだ名前をつけてない三層目がある。

noteには広告がない。つまり俺の中身がそのまま金になる仕組みだ。だとしたらこの場所で一番売れるものは何か。

これは次回に回す。noteは何を商品にする機械なのか。その問いから次を始める。

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はる|六畳の観測者 コーヒー代にします。 あ、溜まったら焼肉に行かせてください....!!