お盆の親戚一同の集まりに離婚裁判中に行きたくないと思うことはダメなことなのか?
お盆が近づくたびに胸がざわつくのです。お盆は親戚一同が集まるわけです。「あらぁ、〇〇ちゃんのお宅の赤ちゃんがもう3歳になったのねぇ」とか….
「〇〇ちゃん、子どもはそろそろ?若いうちに産んでおくと楽よ〜!」とか….
挨拶代わりの言葉だとは頭では理解しているけれど、どうしても頭の中で「ああ、私の人生ってなにも変化していなくてすみません….」と考えてしまうわけです。
周囲は「普通の」家族像を体現している中で自分だけがその枠から我慢が足りずに枠から外れてしまったような感覚。幸せそうな従兄弟や親戚の子どもたちを見ることがなぜあんなにも苦しかったのか。
私はその「色々に」耐えられなかった脱落者なのではないのだろうか…という自責。周囲が優しく「気にしなくていいよ」と言ってくれればくれるほど、その優しさが自分の「普通じゃなさ」を際立たせてしまう皮肉なのです。
初めまして。起業コーチングを提供しているけいこです。
私は心理的な専門家でもなくSNSに強いわけでもなく、元夫との離婚裁判中に非常勤講師をしつつSNSで起業を開始しただけの人間です。
起業をしたばかりのビギナーさんに「顔出しは必須ではないよ」と私があえて言うのはそういったことが蘇るからです。起業の覚悟ってのは無理矢理に本名や顔を出すことではないと思うのです。
匿名での誹謗中傷は論外ですが、中途半端に顔を出して本音が語れないくらいなら顔を出さずに本音で発信した方がいいと思うのです。

ここのところFacebookが爆伸びしているのですが、このFacebookが爆伸びしたせいで親戚一同に「Facebookで見かけたよー」と見つかってしまったわけです。
このFacebookそのものは好きなのですが、親戚やご近所さんに見つかってしまうSNS媒体であることは確かなのです。このFacebookから親戚のおじさんがメルマガに登録してきたのです。親戚のおばさんがYouTubeを視聴してきたのです。(笑)
私の場合、もう10年近く昔のことなのでどうにか消化できていると思うけれど、思い返してみても離婚直後は私自身がピリピリしていたと思う。
今、離婚裁判やいろいろなことがあって親戚一同の集まりに行きたくない人にアドバイスをするとすれば、自分の心を守れるのは自分だけです。自分を守ために「行かない」という選択をすることは逃げではないのです。そんな感覚になることは当たり前なのです。
親戚の集まりに行かないことは逃げではなく「境界線を引く」という自立であること。過去の亡霊が漂う場所には行かなくていいのです。そんな選択肢があってもいいのだという肯定です。
現ダンナ氏の親戚はそもそも集まる…という選択肢がないのか子どものいない我々夫婦に対しても優しいのです、嫌味も言われたことがない。姑と現地集合現地解散の旅行にもいくのです。
いくら自己肯定感を高めていても引き寄せがどうのこうの….と言ってもどうにもならない時期と環境というのはやってきます。自分自身が大変な時は集まりにも参加しなくていいのです。ぜひ、自分に許可してあげて下さい。
note / 「出来ない」を吹き飛ばす起業コーチングの人
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