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人生の一ページ  ~いよいよ出産~

産まれた子は泣かなかった
10秒、20秒…
おぎゃーおぎゃー
その声を聞いたときやっと深く息ができた。
ふぅ。

看護師さんが顔の横に連れてきて、男の子です。
良かったですね!
取り上げたのは別のドクターだったようで、隣部屋からから急いで主治医が来て、お母さん頑張りましたねと何度も言ってくれた。

産まれたときはまるでところてんのような感覚だった。
木箱から押されて細くつるんと出てくる体感はところてん。

臍の緒が絡まり首に何周も巻かれてさらにたすき掛けだった。
苦しかったろう。
絡まってる臍の緒をどうにかすり抜けてこの世につるんと出てきた。

赤ちゃんは白かった。
姉は出産に立ち会い、産まれた瞬間も一緒にいてくれた。
私より先に息子と対面した。
今も息子が私の実姉をお姉ちゃんと呼び親しいのは本能かもしれない。
実際にそこから5年もの間一緒に暮らすことになるけど、その話はまた別のところで…
白くてきれいな赤ちゃんだよと私に伝えた。
本当にそう思ったと、後で赤くなきゃ赤ちゃんではないなんて本当に感じなかったと話してくれた。
本当に姉は純朴な人なのだ。

看護師さんの何秒でした というのはドクターに伝えた泣くまでの時間かなと思いつつ 
裂けた箇所を縫い繋げる説明を聞く。
麻酔をしないから痛いけど頑張ってとドクター。
針で縫う感触もまじまじとあり、痛みも半端なかった。
痛いとも言わない私に大丈夫?と声をかけてくれたけど、出産の痛みに比べたらこの際何でも来いだった。
ドクターは我慢強いなーと和やかに笑って励ましてくれた。

出血は多量であったらしい。
胎盤が出てきて産後の処置が進んでいく。

ドクターが保育器の赤ちゃん(白ちゃん)を見て相談してる。
お母さんを休ませなきゃ
そう聞こえた。

説明 
赤ちゃんは新生児集中治療室(NICU)に行くよと
お母さん休もう。
すぐに会えるから心配ないからと。

処置が終わり入院部屋に移動する時、車イスに乗りNICUに寄って赤ちゃんに会っていこうと主任看護師さんが話してくれた。
産まれる瞬間まで力ずくで馬乗りになり私を押してくれた主任看護師さん(助産師さん)
何時間もずっと付き添い、出産も立ち合ったお姉さんも入れるか聞いてくるからと、結果家族以外は入れないと言われて、姉もいいですと笑顔で。
立ち合いもしたのにごめんなさいねと
もしかすると立ち合いも特別許可だったと後で分かった。
あの時は騒然として分からなかったけど、夫以外は立ち合い出来なかったのに病院側の配慮で姉は立ち会うことが出来ていたんだ。

NICUのドクターから説明

母子手帳に書かれるけど仕方ないの
元気だけどこの記載しか出来ないのよ
おかしいよね
この枠しかないだけ
母子手帳に女医さんの丸文字で相当急いで書かれた文字は
新生児仮死
気にしなくていいからね
と 伝えられた。

大部屋に入院。
姉も帰り、いつしか眠っていた。
いろんなことを振り返ることもできない、ただそこにいる感じだった。
 
起きたら夫がいた。
なにも言わなかった。
いや、おつかれと言ったかも。

夫はNICUに入れるからと思い
赤ちゃん会う?と聞くが
いいと一言。
その日はすぐに帰っていった。

後で分かったことだけど
普通分娩だったから
産後の特別ケアはない

動いた方がいいので、痛いけど体を動かしていく。
授乳に検査に産後は忙しい。
一日24時間タイトな入院期間を経て、家庭に戻り赤ちゃんの世話が出来るようにかなりのスパルタでスケジュールが組まれている。

とにかく休んで
赤ちゃんを取り上げたドクターの判断はビンゴ。

動けない。
なにもかも当たり前のことが出来ない。
同室のお母さんたちのようにふるまえない…

およそ二年後に予定帝王切開で娘を出産したのだが、術後は
担当看護師さん(助産師さん)が一晩中側にいてくれた。
動けるようになるまで3日くらいお世話してくれる。
いや、かなりこちらもタイトだけど、麻酔を首から下げ、どうにもならない吐き気と戦いつつ、どうしてもって時はボタンを自ら押して麻酔を体に流し込むのだ。
この事はまた別のところで…

普通分娩で産んだけど
産後のダメージが大きくベットから動けなかった。
赤ちゃんに会うことが出来ず辛かった。

トイレも出来ない
間に合わないのだから、一人で処理して格闘するしかない、とほほな状況。

それでも母は強し。
自ら会いに行かねばならぬのだから、数メートルに何十分もかかり、NICUまで休みながら1時間半かかって会いに行く。
普通に歩けたら3分の距離だ。
誰も助けてくれない。
手すりを握りしめ前に前に進むしかない。
普通分娩の病棟だから当然のこと。

それでもベットから歩けたらまだましな方
大半は一日中ベットの上にいた。
大部屋だから母子同室で夜中もお母さんたちの世話してる声を聞いて
我が子はNICU、寂しくて泣いていた。

3時間おきに母乳を届けに行く。
休むまもなく会いに行くのも必死だった。

明け方のNICUは機械の音と命がけの赤ちゃんたちと
見守るプロフェッショナル看護師の余裕な表情、命を預かる女神たちは本当に天使だと思った。

最先端医療の現場でも
思い繋ぐのは人の心
優しい瞳と触れ合う意識
人の血の通った空間だった。

生まれたての赤ちゃんを見てる
特別な選ばれた人たちに尊敬の念を抱き
ふるふると崩れ落ちてもおかしくない心の詮を何とか締めて
今日を生きていたと思う。

中には心ない言葉や態度もあるのは確かだった。
繊細すぎる産後の体には
受け流すことも常備してあるようで
子を守る 母は強しである。
落ち込んでいる暇などなかった。
産後病棟は一種の躁状態で凄まじいエネルギーが渦巻いていた。

そんなこんなでも
何とか退院前日に母子同室になり
生まれたてのほやほやちゃんを胸に抱くことが出来て感無量だった。 

夫の母が病室にきた時は
我が子を一瞬でも渡すのをためらう程だった。

何て言えばいい?
おめでとう じゃないな
我が家の孫だもん

そう言ったとき
心底嫌な気持ちだった

時間かかったね

そう言ったときも
早く帰れと思った

歳だから

何かにつけて嫌みを言う
相当変な人だと思った。

だから未だに息子の誕生については
一切触れない
触れさせない
あらゆる誤解を真実のように話しているけど
距離をとることで
大切なものを守るにはそうするしかないと思った。
土足で人の心に付け入る
そんな人と分かち合う時間など必要なかった。

帰り際
いつ来るの?
と言ったときは
しばらくは
と言っておいた。

夫とうまく行ってないというのが何となく分かったような気がした。

退院の日を迎え
NICUに挨拶をして
赤ちゃんのお世話の勉強をしていなかったので
数日後沐浴等を教えてもらうことになった。
授乳はNICUで教わっていた。
新生児室は行ったことがなかったから、すべてを個別指導受けられたことは良かったと思う。

荷物をまとめていると、仕切りのカーテンがさっと開き、あの麻酔科の先生が入ってきた。
良かったね
と力強く握手をして、私は思わず泣いてしまった。 

ゆっくり休みながら体を戻してね
そう言ってなにかを手渡された。
退院にあわせて会いに来てくれた先生は、本当はこういうのはあれなんだけどねと笑う。
赤ちゃんを抱っこして、お母さんは泣き虫だから頼んだぞ
そう言って赤ちゃんをあやしていた。

あの日出産するとき
若い主治医は、麻酔科の先生に何度も電話をして
状況を説明して相談していた。
その事を話してくれた。

私の、あの叫びは何かの異常を示していたが、あの力があるなら自分で産めるだろう。と麻酔科の先生はアドバイスしたのだと
あの状況は緊急帝王切開するのが普通だが、
本来ならそれは危険を伴うが
私の体力も落ちてきたのもあり
手術も危険な状態だった。
最後の最後に赤ちゃんがくるっと半回りして出てこれた。
あれは奇跡だったと。

看護師さんもあの状況で下から産む人はいない、しかし私の状態をみて産めると判断した。
病院側も昼過ぎから双子出産の予定帝王切開手術が控えていて、準備も時間も大規模な手術であること。
ドクターは何人も執刀するので時間的にも私の緊急手術は無理だった。
そう話してくれた。

そう聞いて、妙に納得していた。

そして、普通分娩の病棟で普通分娩の処置しか出来なかったので大変だったろうと労いの言葉と励ましの言葉をいただいた。
幸い赤ちゃんは大きくて、黄疸も治り、一緒に退院できたことは本当にこの上ない幸せで喜びだった。

そしてここから
本当の子育てが始まる。
それは自分と向き合う時間でもあった。

あ、先生から渡された袋の中身は…
滋養強壮のお茶でした。
飲むと力が沸いてくるのが不思議で、麻酔科の先生を思い出しては心が温かくなっていった。

つづきはまた後で…

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