【教員の原則】「任せる」と「放置する」は違うー子どもが自走する学級の裏側
「子どもたちに任せています」
そう聞くと、
「自主性を大切にしている学級なのかな」
と感じます。
・先生があまり指示を出さない
・子どもたちが自分たちで動いている
・教員が前に出る場面が少ない
確かに、
こうした姿は「自走する学級」の一つの形です。
でも、
「子どもたちが自分で動いている学級」
「教員が指導を放棄している学級」
この二つは見た目だけでは区別できません。
その違いは、
「任せる前に、教員が何を整えているか」です。
【原則①】「任せる」ために、環境を整える
子どもたちに任せるためには、
その前に教員が整えておくことがあります。
例えば、
・朝の会の流れが決まっている
・係活動の役割が分かっている
・掃除の手順が共有されている
・困ったときの相談先が分かっている
・話し合いのルールがある
・失敗したときにやり直せる
こうした土台があるからこそ、「先生が言わなくても動く」という状態が生まれます。
つまり、
子どもに手を渡す前に、教員が環境を整えている。
これが、
「任せる」ということです。
教員の仕事が見えなくなっただけで、
教員の仕事がなくなったわけではありません。
【原則②】環境を整えない「自由」は、放置になる
一方で、
「自分たちで考えて」
「好きなようにやって」
「子どもたちに任せています」
と言いながら、
・ルールがない
・役割が曖昧
・困ったときの相談先がない
・トラブルを把握していない
・誰が困っているのか見ていない
という状態なら、それは「任せる」ではなく、「放置」に近づいていきます。
仕組みがない中での自由は、
子どもにとって必ずしも自由ではありません。
・声の大きい子の意見だけが通る
・一部の子だけが我慢する
・困っている子が助けを求められなくなる
場合によっては、
「先生が何も言わないからこれくらいいいだろう」
という空気が生まれることもあります。
だからこそ、自由にする前に、安心して自由に動ける土台をつくる。
それが教員の仕事です。
【原則③】教員は手を離しても、目は離さない
「任せる」とは、
何もしないことではありません。
例えば、
すぐに答えを教えるのではなく、
少し待ってみる。
すぐに仲裁するのではなく、安全に解決できそうなら、少し見守ってみる。
すぐにやり方を教えるのではなく、「どうしたらうまくいくと思う?」と考える時間をつくる。
そうやって、
少しずつ子どもたちに判断を渡していきます。
ただし、
・危険がある
・誰かが傷ついている
・いじめにつながっている
・どうしても子どもだけでは解決できない
そんな場面では、教員が入ります。
つまり、任せることと、見ないことは違います。
教員は手を離しても、目は離さない。
この感覚が大切なのだと思います。
【原則④】「任せる」には、順番がある
最初から何でも子どもに任せると、
「任せる」が「放置」になってしまうことがあります。
だからこそ、
① 教える
② 一緒にやる
③ 任せる
という順番を大切にします。
例えば、
最初は、教員がやり方を示す。
次に、子どもと一緒にやってみる。
そして、できるようになってきたら、
少しずつ手を離す。
最終的には、「先生がいなくてもできる」ところまで任せていく。
これは、「指導を減らす」というより、「細かく指示しなくても回る状態をつくる」ということです。
「任せる」とは、責任を手放すことではない
本当に自走している学級ほど、
その裏側には教員の仕事があります。
・ルールをつくる
・流れを整える
・役割を明確にする
・困ったときの道筋をつくる
・子どもたちの様子を観察する
・必要なときだけ介入する
表に出る指示は減っていても、
裏側の設計は続いています。
子どもたちが「自分たちで動ける」教室へ
目指したいのは、
教員がすべてを動かす学級ではありません。
教員が細かく指示を出さなくても、子どもたちがある程度、自分たちで考えて動ける学級です。
それは、教員が楽をするためだけではありません。
子どもたち自身が、
「自分たちで考えていい」
「自分たちで決めていい」
「失敗しても、やり直せる」
と思える教室をつくるためです。
そのためには、
任せるために、整える。
手放すために、支える。
手を離しても、目は離さない。
このバランスが大切なのだと思います。
教員が前に出続けることで、
子どもたちが動く教室もあります。
でも、
教員が一歩下がっても、
子どもたちが自分たちで動ける教室もあります。
後者をつくるために、
教員は「何もしない」のではありません。
むしろ、何もしなくても回るように、必要なことを先に整えておく。
それこそが、子どもたちが自走する学級をつくるための、教員の大切な原則なのだと思います。
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