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ツインレイ男性と自信 ―片割れだから半人前なのか―

※最初におことわり
これから書く内容は、あくまで僕自身の体験と内省から導き出した一つの考えであり、すべての人に当てはまるものではありません。
ツインレイという概念そのものを否定したいわけでも、誰かに結論を押し付けたいわけでもありません。
ただ、「こういう感覚を抱えて生きてきた男がいる」という事実を、ただ正直に語っていることをご理解ください。


自信が持てなかった幼少期

僕は子供の頃から、自分に自信が持てないまま生きてきました。

理由を言語化できたのは大人になってからですが、当時はただ、人の顔色を常に伺って生きていました。

同級生の前ではどこかビクビクしていて、父親の前ではなおさらでした。
「もっと明るくなれよ」
「なんでそんなに大人しいんだ」

と言われることも。

けれど、明るく振る舞うということは、自分をさらけ出すということでもある訳で。
僕にはそれが怖かった。

自分を出せば、相手と衝突してしまう気がして、傷つけ合ってしまう気がして、無意識にブレーキを踏んでいました。

結果として、いつも一歩引いた場所にいた、少年時代の僕。
空気は読むが、主張はしない。
波風は立てないが、存在感も薄い。

今振り返れば、子供なりの
「生き残るための戦略」
だったんです。

大人になっても、その感覚は消えないままでした。
職場ではどこか自信なさげに見えたのだろう、「半人前」扱いされることも。

ある時、同僚の女性から何気なく言われたのが、
「○○さんって、自信なさそう」

内心ではムッとしましたよ。
(何も知らないくせに、失礼なことを言うな)

そう思ったのも事実。
だけど同時に、こうも思ったんです。

無神経で周囲への配慮もなく、プライドだけが肥大した人間よりは、まだマシだと。

この感覚は、今も変わっていません。


なぜ僕は自信が持てないのか


当然ながら、明確な答えは出ていません。

ただ、長年悩み続け、考え続ける中で、ある一つの仮説に行き着いたんです。

それは、
「魂が二つに分かれた“片割れ”の状態だからなのではないか」
という考えです。

ここで、読者の皆さんの声が聞こえてきます。
「おいおい、前の記事で“すべての人に片割れがいる”って言ってたじゃないか」
「それなら、人は全員“片割れ状態”なんじゃないの?」
「結局、自分の弱さの言い訳にツインレイを使ってるだけでは?」


ごもっともだし、
正論だと思います。

だけど一方で、ツインレイ界隈では、
「二人が力を合わせることで、一人では決して成し遂げられなかったことが可能になる」
とも言われます。

これを裏返して考えると、どうなるか。
それはつまり、
「一人の状態では、どこか“力不足”である」
とも解釈できるんです。

もしそうだとしたら。
もし、魂の深い部分で、
「自分は一人では未完成だ」
と知ってしまっているとしたら。

その感覚が、理由の分からない自信のなさとして、人生の早い段階から滲み出ていたとしても、不思議ではありません。

さらに言えば、今世でツインレイに出逢わない(あるいは出逢わないと決めた)人はそもそも「自分は半人前だ」と感じる必要がないのかもしれません。

あるいは、半人前であることに気づかずに生きていけるのかもしれない。

そして、ある時突然、気づく人がいます。
その「気づき」こそが、いわゆる“覚醒”なのではないでしょうか。

そう考えるようになったんです。

「半人前」という言葉に抵抗があるなら、
「弱い自分を受け入れること」
「ありのままの自分を認めること」

と言い換えてもいいと思います。

重要なのは、欠けていることを否定しないという姿勢なんです。


自信がなくても、消えなかったもの

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