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わたしはハリー・ポッターの家に住んでいた#1🔮

私は子供の頃、ハリー・ポッターの家に住んでいた。

正確に言えば、彼がいじめられていたおじさんの家ではなく、ハリーが通っていた魔法を学ぶための寄宿学校だ。
いわゆる、Boarding school(ボーディングスクール)。

寄宿学校とは、単に「通う」場所ではない。生徒が親元を離れ、教師や仲間たちと24時間365日、寝食を共にする「生活のすべて」が完結する場所だ。

一番有名なのは、それこそハリー・ポッターの原作が生まれた国、イギリスにある伝統的な寄宿学校だ。
春休みや夏休み、冬休みといった長い休みだけ親の元に帰るという、非日常が日常になる世界。

私は、10代の多感な時期のほとんどをヨーロッパで過ごした。

目を閉じれば、あのひんやりとした石造りの柱と大理石の床、教会のように大きくて高い扉、高い天井と静寂の感覚が蘇る。

私は13歳の時から、一人でこの寄宿学校に入っていた親元を離れ、住んでいる国も離れ、日本からも遠く離れて。

私の孤独感や不安感が強くなったのは、この時期の経験が多大に影響しているのだと思う。

そこに入る時、私がまず最初にされたことは、パスポートを取り上げられることだった。

それは「ここから先は、どの国にも属さない、学校という一つの完結した世界に生きるのだ」という、一種の儀式のようでもあった。物理的にも精神的にも外界との繋がりを断たれ、私たちは規律という魔法に縛られる。

門限は、夜の7時。

その重い扉が閉まれば、そこには私たち子供と、高い天井と、石壁に染み付いた歴史だけが残された。

実は、私はハリー・ポッターの本を読んだことがない。けれど、映画でその光景を観るたびに、私はかつての自分を重ねずにはいられなかった。

私が最初にあてがわれた部屋は、信じられないほど天井が高かった。4人の大部屋の天井は4メートル、あるいは5メートルはあっただろうか。

そして、ハリーたちが仲間と食事を共にするあの食堂を思わせる食堂のホールは、天井が6メートル近くもあり、見上げると首が痛くなるほどだった。もうほとんど、そのものだった。

「ああ、私はハリー・ポッターの家に住んでたんだなぁ」と思った。

私が住んでいた寮の建物は、その当時ですでに150年を超える、石造りの荘厳な歴史的建造物だった。石とレンガで造られた非常に美しく、西洋的なその「城」に、私は4年弱住んでいた。

その学校は、ヨーロッパのとある国にあった。基本的には日本人学校の全寮制校なのだが、そこはヨーロッパ各地に駐在する日本人の子供たちのために存在していた。

イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、トルコ……。

欧州全土から、それぞれの親が働く国を離れ、この一つの「城」に子供たちが身を寄せていたのだ。

私のようなサード・カルチャー・キッズ(TCK)たちが、同じ境遇の仲間たちと濃密な時間を過ごす。13歳だった私にとって、そこは家族の代わりであり、世界のすべてだった。

ハリー・ポッターのホグワーツがそうであったように、そこは自由と孤独が同居する場所だった。異なる国から集まった仲間たちと、高い天井の下で語り合い、時には親に会えない寂しさを石造りの壁に吸い込ませる。

魔法こそ使えなかったけれど、あの圧倒的な空間の中で一人で立ち、他人と交わり、自分を見つめた4年弱の月日。

それは、私の中に一生ものの「自立」という魔法の芯を授けてくれたと同時に、拭いきれない「寂しさ」の記憶を深く刻み込んだ。

今、大人になった私が、ミラーワークを通して自分を愛し、必死に自分を認めようとしている。その根底には、あの「ハリー・ポッターの家」の、高すぎる天井の下で一人震えていた私が、今も静かに息づいている。

サード・カルチャー・キッズ(TCK)で、特に幼少期に親元を離れた子供たちは、自分の親だけでなく、愛する我が子や大切な人との距離が近くなると、無意識に距離を置いてしまうという葛藤を抱えやすいらしい。

自分の性格を責めるのではなく、「あの過酷な環境のせいで、仕方のないこともあったのだ」と認めること。

それは、心の回復のために何より大切なプロセスなのだと思う。

もし今、私が過去の自分に戻って言葉をかけられるとしたら、何と言うだろう。

「仕方なかったんだよ。あなたのせいじゃない。あんなに過酷な環境にいたんだもの。毎日、孤独や不安に押しつぶされそうになっても、それは当たり前のことだったんだよ。…本当によく、頑張ったね」

優しい言葉をかけてあげたい。

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