古墳は何のために造られたのか? 【国史教科書】応援シリーズ26
三世紀前半に、奈良県の纏向遺跡に、90メートル級の巨大な前方後円墳がほぼ同時期に5基造られ、三世紀中頃には、280メートルという、さらに巨大な箸墓古墳が造影されました。これが、大和時代(古墳時代)の幕開けです。この時代は、6世紀後半まで約400年間続きます。この時代の文化を古墳文化といいます。
古墳は、謎の多い建造物です。
前方後円墳は、日本独自のお墓の形とされています。
この前方後円墳は、何のために、この形をしているのか。
これについて、明確に解説している教科書はないように見受けられますが、
最近ご逝去された田中英道東北大学名誉教授は、円墳部分に石棺があることから、円墳=天、方形=地を表しているのではないかという説を唱えていました。
なお、古墳を横から見ると、円墳部分は、「山」とも考えられ、円形をした「山」の部分に亡き人の眠る石棺が治められている前方後円墳の形状は、古代日本人の山岳信仰を表しているのではないかとも、記述されています。
(参照 美しい「形」の日本 田中英道 ビジネス社)
また、なぜ、これほど大きな古墳を造ったのかも、はっきりとしたことはわかっていません。
帝国書院の歴史教科書では、五色塚古墳(神戸市)の写真を掲載して、「近くの海を航行する船に権力を見せつけるため、目立つように海岸沿いの丘の上に造られた。」と説明しています。
ちなみに、五色塚古墳の写真は、これです。
確かに海から近く、船からでもよく見えたでしょう。

なお、帝国書院の教科書では、「どうして大きい古墳が造られたのかな?」というコラムで、その答えを「持っている権力を示すため」とし、「弥生時代と違って、権力を持つ豪族と労働に駆り出される人たちの墓の違いがはっきりするようになった」と説明しています。
はたして、こういう権力誇示のために、庶民が労働に駆り出され、造影されたという物の見方は、正しいのでしょうか。
これに対して、歴史啓蒙家である小名木善行さんは、田んぼを開拓するために、出た残土をまとめて盛土にしたのが、古墳だと述べられています。
盛土は、いい加減に積み上げると大雨の時に崩れて、田んぼを土砂で埋め尽くしてしまいます。
拓いた土地が広大なら、残土も広大となり、盛土も巨大になる。
現に、我が国最大の古墳は、仁徳天皇陵ですが、日本書紀によれば、仁徳天皇は、数多くの広大な田地の開拓をなさっています。
これだけの開拓をすると、どこかに、計画的に盛土をしなくてはなりません。
なお、仁徳天皇陵の周囲は、お掘りになっています。

これは、巨大な盛土が、万が一、大雨で崩れても、安心なように計画的にお掘りを巡らせたと見ることはできると小名木さんは述べられています。
仁徳天皇と言えば、民の竈(庶民の生活が苦しい時、庶民の税金を免除したという話)の逸話で、有名な天皇です。
私には、その方が、自らの権力を誇示しようとするために、巨大な古墳をわざわざ造らせたとは思えません。
古墳については、田んぼの造成(公共事業)に力を入れた結果、人々から感謝をされ、その盛土のところを、為政者のお墓にしたというのが、事の真相なのではないかと私は考えています。(小名木さんと同じ)
なお、小名木善行さんは、その後、巨大な古墳が造られなくなった理由として、土地の開墾が進み、河川から水路を引くようになると、今度は、洪水防止のために、盛土を河川の堤防工事に使うようにしたためとしています。
これが、本当だとすると、どこまでも、庶民の生活を第一とする姿勢が伺われます。(以上 参照 奇跡の日本史 小名木善行 グッドブックス)
これに対して、権力誇示を理由とした古墳造営説では、その後、なぜ、巨大な古墳が造られなかったのかについて、説明がないように見受けられます。
果たして、何が真実なのか、今後の研究に期待します。
