晴れでも毎日傘を持って行く娘
娘は、小学3年生に少し入った頃から、
毎朝必ず傘を持って登校するようになりました。
空は雲ひとつない快晴。天気予報を見ても雨の気配はない。それでも、娘は当たり前のように傘を手に玄関に立っていました。
「今日は晴れだよ?」
そう声をかけても、娘は小さくうなずくだけで、傘を手放そうとしませんでした。
その習慣は、今、小学3年生の3学期になっても続いています。
私は、今でも強く後悔していることがあります。
それは、娘のその“こだわり”を、何度も否定してしまったことです。
娘はもともと心配性で、学校へ行くときの荷物が多い子でした。
時間割以上の教科書、念のためのハンカチやティッシュ、予備の文房具。
それだけでもランドセルはパンパンなのに、さらに傘まで持っていく。
私はその姿を見るたびに、ついイライラしてしまっていました。
「雨なんて降ってないよ!!」
「それ、重いだけじゃん!!」
そう言って、娘の手から傘を奪い取ったことも何度もあります。
今思えば、あの時の娘の表情を、私はちゃんと見ていなかったのだと思います。
不安そうに、でも言い返せずに、黙って立ち尽くす姿を。
傘だけではありません。
娘には、もうひとつ強いこだわりがありました。
それは、「必ず羽織りものを着ていないと落ち着かない」ということ。
真夏の暑い日でも、娘は長袖のパーカーを着て学校へ行こうとしました。
しかも、毎日同じパーカー。
中の服はちゃんと着替えていても、上に同じものを羽織るせいで、まるで毎日同じ服を着ているように見える。
それが、私はどうしても気になってしまったのです。
「暑いよ!!」
「熱中症になるよ!!」
「その服、汚れてるからもうやめなよ!!!」
心配しているつもりでした。
でも今振り返ると、それは本当に“娘のため”だったのか、自信がありません。
周りからどう見えるか。
ちゃんとした母親だと思われたい気持ち。
「普通」であってほしいという、私の勝手な安心感。
そういうものを、娘に押し付けていただけだったのかもしれません。
あの頃は、子育ての中で、私にとって一番つらい時期でした。
毎日のように娘とぶつかり、自己嫌悪に陥り、夜になると一人で落ち込んでいました。
「私の育て方が悪いのかな」
「このままで大丈夫なんだろうか」
答えが出ない不安を抱えたまま、とにかくいろんな人に相談しました。
家族、友人、先生、専門家。
誰かに話さずにはいられなかったのだと思います。
今なら、少しだけわかります。
あの頃の私は、娘と向き合うのが怖かったのだと。
娘の“不安”を受け止める余裕が、なかったのだと。
今は、娘が晴れの日に傘を持って行っても、暑い日に上着を羽織っていても、私は何も言いません。
「傘、いらないんじゃない?」とも、「暑くない?」とも、口にしなくなりました。
娘が玄関で傘を持って立っていたら、
「いってらっしゃい」
それだけです。
上着を着て学校へ行こうとしたら、
水筒の中身だけを確認して、
「気をつけてね」
そう声をかけるだけ。
たったそれだけのことなのに、娘の表情は、以前よりずっと穏やかになりました。
朝の支度も、学校へ向かう足取りも、少し軽くなったように感じます。
私は、そこでやっと気づきました。
娘にとって、傘や上着は「意味のないもの」ではなかったということ。
それは、安心するための“お守り”のような存在だったのだと思います。
「雨が降ったらどうしよう」
「寒くなったらどうしよう」
「何かあったら不安」
その不安を、娘なりに必死にコントロールする方法が、傘を持つことや、上着を着ることだったのかもしれません。
私はそれを、「重たい」「暑い」「変に見える」という、大人の都合で否定していました。
でも本当は、娘が感じていた不安そのものを、否定してしまっていたのだと思います。
気づいたのは、娘が変わったからではありません。
私が、少しだけ“待つ”ことを覚えたからです。
子どもの行動には、必ず理由がある。
それが今すぐ理解できなくても、「その子にとって必要なもの」なのかもしれない。
そう思えるようになってから、私の心も少し楽になりました。
無理にやめさせなくていい。
無理に正そうとしなくていい。
ただ、そばで見守ればいい。
傘も、上着も、いつか娘自身が「もう大丈夫」と思えたときに、自然と手放すのだと思います。
それが明日なのか、来年なのか、もっと先なのかはわかりません。
でも今は、
娘が安心して学校へ行けること。
それだけで、十分だと思えるようになりました。
それでも、親の気持ちは揺れます。
何も言わないと決めた今でも、心の奥では、ザワッとする瞬間があります。
晴れの日に傘を持つ後ろ姿を見たとき。
真夏に上着を羽織ったまま歩く姿を見送るとき。
「本当に、このままでいいのかな」
「周りから変に思われないかな」
「もっと楽にしてあげたほうがいいんじゃないかな」
そんな考えが、ふっと浮かんでは消えます。
頭ではわかっているんです。
娘なりの安心の形だということも、
今はそれが必要なんだということも。
それでも、親の心は理屈だけでは追いつきません。
世間の目が気になる日もあります。
「ちゃんと注意しない親」と思われていないか、不安になる日もあります。
他の子と比べてしまって、勝手に落ち込む日も、正直あります。
「理解してあげたい」と思う気持ちと、
「普通であってほしい」と願う気持ち。
その間で、私は今も揺れています。
でも、最近はこう思えるようになりました。
揺れること自体が、ダメなんじゃない。
揺れながらも、子どもの側にいようとすることが、大事なんじゃないかと。
完璧に受け止められなくてもいい。
一瞬モヤっとしてもいい。
それでも、「否定しない」を選び直せたら、それでいい。
親だって、人間です。
迷うし、怖くなるし、正解がわからなくなる。
それでも今日も、娘の背中を見送りながら、
「あなたの安心を、私は壊さない」
そう心の中で言い聞かせています。
きっとこの揺れも、子育ての一部なのだと思います。
