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出勤と同じバスで、今日は神社へ向かった

今日、有給を取った。

理由らしい理由はない。ただ、ずっと気になっていた神社があって、いつか平日にゆっくり訪ねてみたいと思っていた。退職まであと一ヶ月と少し。「いつか」は、もう、そう遠くないどこかではなく、いまの私のすぐそばにある気がした。

行き先は、京都・太秦にある木嶋坐天照御魂神社。地元の人には「蚕ノ社(かいこのやしろ)」と呼ばれているところだ。


同じバス、違う行き先

家を出て、いつもの停留所に立った。

乗ったのは、出勤するときに乗るのと同じ路線のバス。同じ時間帯、同じ景色、同じ顔ぶれの乗客たち。何も変わらない朝のはずだった。

いつもなら、私はバスに乗るとすぐにイヤホンをして、Instagramを開く。流れてくるのは、ハワイの海とか、ヨーロッパの石畳の街並みとか、いつか行きたいと思っている場所の動画ばかり。スマホの画面の中に逃げ込むようにして、出勤までの時間をやり過ごしていた。

ここではないどこかへ。

そんな気持ちが、毎朝、私の手をスマホへと伸ばさせていた。

でも今日は、なぜか、携帯をカバンの底にしまった。イヤホンもつけずに、ただ窓の外を眺めていた。

並木の緑が、思っていたより色濃いことに気づいた。歩道を歩く人の歩幅が、それぞれ違うことにも。信号で止まったときに見えた、小さなパン屋さんの看板にも。

——私は、こんな景色の中を、毎朝通っていたんだ。

同じバス、同じ道。でも今日、私は会社に向かっているのではなかった。自分が行きたい場所に、自分の意志で向かっていた。

そのことが、不思議で、少し嬉しかった。

私は今、自分の時間を生きている。そんな感覚が、胸の奥にそっと灯った。


晴れていたのに、雨が降った

蚕ノ社に着いたのは、午前の少し早い時間だった。

境内は静かで、人もまばらだった。砂利を踏む音が、自分の足元で小さく鳴る。

奥に進むと、有名な三本鳥居があった。三方向に向かって柱が立てられた、珍しい形の鳥居。資料では何度も写真を見てきたけれど、実物の前に立つと、思っていたよりずっと素朴で、静かなものだった。

しばらく、その前にぼんやり立っていた。

そのときだった。

空はたしかに晴れていたのに、ふっと、雨が降ってきた。細かい、霧のような雨。空を見上げても、雲はほとんどない。それなのに、私の頬や手の甲に、確かに小さな雫が落ちてくる。

偶然だと思う。気象的にはきっと説明がつくのだろう。

それでも、そのときの私は、なぜかその雨を「ちょうどよく降ってきた雨」のように感じた。

何かを清めてくれるような。「ここまでよく来たね」と言われているような。

——たぶん気のせいだ。

そう思いながらも、私はその雨を、しばらく頬で受けていた。


引き寄せられる場所

同じ敷地のなかに、小さな稲荷社があった。

特に予定していたわけではなかったのに、なぜかそこに、すうっと足が向いた。

説明できない感覚だった。「行こう」と決めたというより、「行く方向に、自然と体が傾いていた」という方が近い。

朱色の鳥居をくぐって、小さなお社の前で手を合わせた。何を願ったわけでもない。ただ、いま自分がここに立っていることへの、ささやかなお礼のような気持ちだった。

参拝を終えて、来た道を戻る。

そのとき、ふと気づいた。

体が、軽い。

来たときよりも、明らかに、肩のあたりが楽になっている。何かを置いてきたような、ほんの少し、自分が透き通ったような感覚があった。

これも、たぶん気のせいだ。朝、よく眠れていたからかもしれない。歩いたから血の巡りが良くなっただけかもしれない。

それでも、私はその「軽さ」を、しばらく味わいながら歩いた。


ちょうど来たバス

神社を出て、そういえば、と思い出した。

以前から、鈴虫寺にも一度行ってみたいと思っていた。今日は時間がある。せっかくだから、足をのばしてみようかな。

そう思って、バス停に向かった。

すると、ちょうど、鈴虫寺方面行きのバスが、停留所に止まっていた。

え、今?

私はほとんど駆け足で、そのバスに飛び乗った。座席についてから、心の中で小さく笑ってしまった。

待ち時間ゼロ。

こんなことって、あるんだろうか。もちろん、たまたまだ。バスは時間通りに走っているし、私がたまたまそのタイミングで着いただけのこと。

それでも、今日の私は、これを「偶然」とだけ呼ぶのは、なんだかもったいない気がした。

進んでいいよ、と言われているような。 そんな流れに、今日は乗っているような。

そういう気持ちで、私は窓の外を眺めていた。


一ヶ月と、四泊六日

バスの中を見回して、もうひとつ気づいたことがある。

乗客のほとんどが、外国からの観光客だった。日本人は、私を含めて数人しかいなかったと思う。

彼らは大きなスーツケースを足元に置いて、ガイドブックを広げたり、窓の外にカメラを向けたりしていた。

ふと、以前どこかで読んだことを思い出した。
海外から日本に来る観光客は、一ヶ月くらい滞在する人も珍しくないらしい。
一方で、日本人が海外旅行に行くとき
——たとえばハワイ——は、4泊6日くらいで行ってくる人が多い。

この違いは、なんだろう、と思った。

お金の問題もあるかもしれない。休みの取りやすさの違いもある。でも、それだけじゃない気もした。

時間の使い方そのものが、違うのかもしれない。 休むことへの感覚が、違うのかもしれない。 そもそも、人生に対する前提が、違うのかもしれない。

私はずっと、「休むこと」にどこか罪悪感を持って生きてきた。有給を取るときも、平日に出かけるときも、心のどこかで「申し訳ない」と思っていた。誰に対して、というわけでもなく。

でも、本当はもっと、人生はゆっくり味わっていいのかもしれない。

せかされず、急がず、自分のペースで、景色を見てもいいのかもしれない。

バスの揺れを背中で感じながら、私はそんなことを考えていた。


平日のお昼に、ひとりでお酒を

鈴虫寺をゆっくりまわって、午後、家の近くまで戻ってきた。

ランチは、前から気になっていた近所の和食屋さんに、ひとりで入ってみた。カウンターに座って、メニューを眺める。

季節の煮物と、お刺身と、ご飯。

少し迷って、お酒も頼んでみた。

冷えた小さなグラスに注がれた日本酒が、目の前に置かれたとき、ふっと、心の中に小さな声がした。

——平日の昼間から、ひとりでお酒を飲んでいいのかな。
——今、働いている人もたくさんいるのに。
——こんなこと、していいんだろうか。

私は思わず、店内を見回してしまった。
お店の人も、ほかのお客さんも、誰も私を気にしてなんていない。
気にしていたのは、私自身だけだった。
長年染み込んだ感覚は、こんなところに顔を出すんだなと思った。

隣の席のご婦人に『この料理にお酒合いますよね』と声をかけられた。
飲んでもいいんだ。

ひと口、お酒を口に含んだ。甘くて、少しだけ辛い。
煮物の出汁の香りと、よく合った。

おいしい、と素直に思えた。

そして、もうひとつ思った。

これからは、これを「特別なこと」にせずに、生きていきたい。

平日の昼に、ひとりでご飯を食べる。少しだけお酒を飲む。行きたい場所に行く。見たい景色をゆっくり見る。携帯をカバンにしまって、目の前のことを味わう。

罪悪感とセットになっている「楽しみ」ではなく、ただ自然に、自分の生活の中にあるものとして。

そういう日々を、これから少しずつ作っていきたい。


自分の時間を、自分に返していく

6月末で、私は23年間の会社員生活を終える。

いまも、不安はある。本当に大丈夫だろうか、と思う夜もある。

それでも、今日のことを思い出すと、少しだけ肩の力が抜ける気がする。

同じバスに乗っていた朝。でも今日は、会社ではなく神社に向かっていた朝。 晴れているのに降ってきた、細い雨。 すうっと足が向いた、小さな稲荷社。 ちょうど来た、鈴虫寺行きのバス。 平日の昼の、一杯のお酒。

ひとつひとつは、どれも、ささやかな出来事だ。

でも、今日の私は、確かに少しだけ、新しい場所に立っていた気がする。

会社に合わせてきた時間から、自分の感覚で選ぶ時間へ。 誰かに決められたスケジュールから、自分のリズムへ。

退職の日まで、まだ少し時間がある。それまでに、私はこんな日をもう何度か持つだろう。きっと、毎回、少しずつ罪悪感は薄れていく。そして少しずつ、「自分の時間を生きている」という感覚が、特別なものではなくなっていく。

そうやって、私は、自分の時間を、自分に返していく。

窓の外では、夕方の光がやわらかく傾いている。

明日もまた、私はバスに乗るだろう。 今度はどこへ向かうのか、まだ決めていない。 それでいい、と、今日の私は思っている。



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