短編小説『夕焼けは、バケツプリンと一緒に崩れた』

『夕焼けは、バケツプリンと一緒に崩れた』
夕焼けは、バケツプリンと一緒に崩れた。
それが、世界が終わる合図だった。
俺の部屋には、毎朝ひとつ届く。
直径30センチ、高さ20センチ──バケツサイズのプリンだ。
表面のカラメルは酸性の結晶で、内部には観測衛星の記録映像が格納されている。
このプリンは、世界の感情バランスを保つための装置らしい。
誰かが笑えば、甘くなる。
誰かが泣けば、苦くなる。
昨日のプリンは、甘かった。とても。
でも、今朝のプリンは──崩れていた。
8:09
「圭?ねえ、お兄ちゃん、今日帰ってくるって」
階段を上がる足音と一緒に、母さんの声が聞こえてきた。
「陽翔くんも大きくなったかしらねえ、もう小学生よね?」
「……うん」
適当に返事をして、俺は着替えを済ませて学校へ向かった。
16:42
学校が終わり、帰宅すると──
「ただいま〜」
靴を脱いでいると、居間のほうからにぎやかな声が聞こえてきた。
「圭〜、おかえり〜。お兄ちゃんたち、帰ってきてるわよ〜」
母さんの声だ。
「圭、おかえり〜。早くこいよ」
兄の声も混ざっている。
次の瞬間、小さな足音が駆けてきた。
「圭お兄ちゃん、おかえり〜! あそんでよ〜!」
「おう、はると。久しぶりだな」
俺は玄関まで走ってきた甥っ子の頭を撫でた。
「着替えたいから、また後でな」
「え〜〜」
不満そうな声を背に、階段を上がる。
「圭、早く着替えてらっしゃい〜」
母さんの声が追いかけてきた。
「……うん」
二階に上がり、自室のドアを開けた。
──その瞬間だった。
鼻を刺す、異様な匂い。
焦げたカラメルのようでいて──どこか鉄のような、冷たい匂い。
部屋の中を見渡すと、冷蔵庫が半開きになっていた。
床には、とろけたバケツプリン。
濃いカラメルが、床材をじわじわと溶かしながら広がっている。
「……は?」
一気に、血の気が引いた。
容器は割れ、プリンはもう原形をとどめていない。
冷蔵庫の中には、ぽっかりと空っぽの空間だけが残されていた。
プリンは──もう、どこにもなかった。
終わったんだ。
俺が、守るべきだった世界が。
16:51
時計を確認する。
まだ──間に合う。
崩れたプリンに一瞥をくれると、俺は部屋を飛び出した。
階段を駆け下りる。
「圭、どうしたの? 早くいらっしゃい〜」
母さんの声が聞こえる。
「……ちょっと出かけてくる!」
玄関のドアを乱暴に閉めた。
たしか、今日の日没は18時半頃だったはずだ。
空はすでに、オレンジと群青のあいだに差し掛かっていた。
太陽が、西のビルの角に引っかかるように傾いている。
──間に合わなきゃ、世界が終わる。
たったひとつの、プリンのために。
17:03
スーパーに駆け込む。 息を切らしながら、売り場をめぐる。 牛乳──あった。卵──6個入りで足りるか? 砂糖、ゼラチン、バニラエッセンス──忘れずに。 精肉コーナーを横目に、調理器具の棚まで走る。
でかい鍋。金網。蒸し器代わりに使えるもの。 そして最後に、調理にも使えそうなプラスチック製のバケツを手に取った。
──間に合わせる。絶対に。
その瞬間、背後から声が飛んできた。
「圭くん……お買い物?」
振り返ると、制服姿の少女が立っていた。 髪を後ろでまとめていて、手には小さな買い物袋。
「夕奈!」
名前を呼ぶと、彼女は驚いたように目を見開いた。
「お前ん家、たしかこの近くだったよな?」
「う、うん。なんかあったの?」
「頼む、キッチン貸してくれ!」
「え? どういうこと?」
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