実話:「悪そうな奴は大体友達」だった先輩から教わった、学校では教えてくれないこと
今自分が、そして
あなたが知っている世界は、
人生でどれだけ様々な体験や経験をしていても
10000分の1にしかすぎない。
今回は、ちょっとした私の記憶のお裾分けとなりますが、
お話ししてみたい話があります。
あんなどうでもいいような、生きることに必要なものなのかがいまだにわからない、
デスメタルという音楽の世界で
いつかは有名になりたいと武者修行に出ていた頃の、
これは私が福岡県北九州市で暮らしていた時のエピソードです。
出逢いとは「必ず」の連続のこと
私にはどうしても忘れられない
当時の職場の先輩がいたのですが、
その方は、T.Tさん(以下、Tさん)という、
小倉では有名なとある暴走族に属していた方でした。
Tさんは、私が20歳の頃に勤めていた
鳶工・鍛冶工の会社の先輩でした。
初めてお会いした時の印象は、すごく低い声でしゃべるのと
どっからどうみても悪そうな風貌だったため
とてもわかりやすいくらいに「ワル」をやっている人だなと分かりました。
でも、そんな悪そうなTさんは
必ず毎日1箱、
「だいの分だ」と言って
お金がなかった私にタバコを買ってくれました。
それを、現場で渡してくれていました。
その先輩は、当時凄く人気を博した音楽グループ「175R(イナゴライダー)」の
Vo.のSHOGOさんと幼馴染でした。
まだメジャーデビューする直前に
小倉の夏祭りで太鼓を叩いているSHOGOさんの姿を
一緒に観に行ったことを覚えています。
知っていた世界の中の知らなかったこと
Tさんは、この会社に来るまでは
まともに働いていたような話はしておらず、
常時、族での活動を通して
喧嘩に明け暮れていたと言ってました。
Tさんは当時21歳でしたが、
すでにもう何本か歯がありませんでした。
どうしてかというと、オロナミンCの空き瓶に
シンナーを入れて回して吸っていたことで
歯が抜けてしまったからとのことです。
しょっちゅう小倉北の警察に追いかけられては捕まり、
留置されては明けて出所しを繰り返していたといいます。
そんな中、族同士の抗争で
結構な大きさの決闘があった時のことを話してくれていましたが、
その決闘で最後に拉致られて
倉庫に監禁されてしまい、
なんと、車のバッテリーを体に繋がれて
感電させられていたというのです。
そうされると、気絶してしまうらしく、
気絶させられたのにも関わらずまた感電させられては
その電撃によって気絶から目が覚めると言っていました。
それを何度か繰り返されて
最終的に、夜が明けたころに
解放されたと言っていました。
それからそのまま、病院にも行かず
チームの元に帰ったといいます。
忘れられるわけがない出来事
Tさんは、仕事場となる現場では、
元々ヤクザをやっていたが逃げて来て
身を隠す形でそこで働いていたまた別の先輩(社長の弟)とペアになって
持ち場を回していましたが、
毎日恐ろしいくらいに先輩から怒鳴られ吠えられる音が
少し離れた私の持ち場まで聞こえて来ていました。
でも、Tさんは
「昔さ、族やってた頃にこの会社に一瞬勤めてたことがあったんよ。
その時は、一回この会社から逃げた。
なのに、俺は今回また頭下げてお願いしてこの会社に戻って来たんよね。
だけさ、俺もう絶対に引き下がれんっちゃね。」
と言って、必死で仕事を覚えていました。
そのTさんからとある日の昼休憩、
私が疲れていて昼寝している横に来て
「だい、練習行こうや。」と
言って来たのです。
私は断ったのですが、
「だい、おまえは仕事を早く覚えて持ち場を一人でやれるようになりたいって言ってなかったやか?」
と言われ、何も言えずに
2人でアーク溶接の練習に行っていました。
そして、当時の現場が下関だったので
北九州市の都市高速を走って1時間くらいの距離を
従業員(悪そうな奴が大体従業員)5名で1台で毎日通っていましたが、
運転は決まってTさんでした。
とにかくこの世界は朝が早いし
夜は遅い方だしで、
一人暮らしで音楽活動までやっていた自分としては
結構ハードだったのです。
これは、とある出勤中に起きた出来事ですが、
いつもは降りない途中のインターでTさんは高速道路を降り始めました。
そのインターを降りることに気づいたのは、
オフランプが螺旋のカーブだったため
後ろのシートで眠くて仕方なかったことで実際に寝ていたことから、
いつもには無いGを感じたことで目が覚めて
「あれっ?」となったのです。
その後、降りてすぐのコンビニに到着した直後、
Tさんが運転席から降りた途端、
私を後部座席から引きずり下ろし始めたのです。
そうして、掴み飛ばされて
胸ぐら掴まれて起こし立たされた私は
Tさんに引っ叩かれました。
「だい、おまえ、作業服の胸に看板しょっとること忘れとーやねーんかちゃ!」
「きさんこの、このあとから寝とんの見たら次はくらわしたるけぇの!」
といって、タバコを一箱買ってきてくれて、
私達は車に乗ってまた現場へ向かいました。
もちろん、社内に居た他の先輩は
誰一人動じませんでした。
これが、福岡・北九州・小倉
という街で見習った生き方でした。
必要な体験だったと分かったのはすべてが終わった時だった
大きな現場(1年程度続いた)が終わったとともに、私はペーペーだったために
次の仕事が入るまでの間しばらく休みと言われて(社員で勤めていたのに、補償もなければ日雇扱いという無茶苦茶な会社でした)、
私は一人暮らしだったのと、キャッシングリボ払いを限度額いっぱいまで借りていて貧乏だったので、
退職するしかありませんでした。
そして、他の仕事に就いてから3ヶ月経った頃、
Tさんから電話がありました。
「だい、今どうしよると?」
私は「とりあえず、一旦他で働いてます!」と返事をしたら、
「そか、これからも元気でね」と
すごく潔く、そして
どこか淋しそうに
そう言って電話を切る音が聞こえました。
それが最後でした。
自分が大切にしている世界のすぐ隣の世界から学ばされるのが私達
このように、実は私は
デスメタルの世界から学んだというよりかは、
実生活の世界でかなりハードコアな人生を歩んでいた人と一緒にいたから、
極めて険しい道について学ぶ生き方をさせていただいていたということでした。
ゴシップは話題になるし、
週刊誌の実話系ページは
心理的に観たくなるもの。
でもそれは、あくまでも
自分では無い人他人のことが書いてあるので
見せ物として楽しめるってだけで、
本当に体験をした側は
伝えて行くことの大切さを知るので、
必死で記事を書きます。
だとしたら、このように事実を知ったら、
「自分の場合はどうだったか」や
「自分だったらどうしていただろうか」と
置き換えてみて欲しいなと思います。
そう思えば、もしかすると、
私達の記憶の中にまだ生きていて
今でも誰かに語っていることって、
あなたの中で、まだ終わっていない
未完了なことなのかも知れませんね。
それを、また何か違う別の
他の形を通して完了させるために
忘れられないようになっているのだろうと。
本日2026年5月8日は、私は
福岡県北九州市から出発して鳥取に到着するまでの新幹線の車内で
この記事を書いています。
