私、どろんします #アマノ文筆クラブ
約700字・ショートショート
その街には、恋をしている者にしか見えない雨が降る。
雲ひとつない群青の空から、クリスタルの欠片のような雫が、音もなく降り注ぐのだ。
「あ、また……」
私は足を止め、掌を空にかざした。
指先に触れる雫は、体温よりも少しだけ冷たく、けれど心に触れるときはひどく熱い。
隣を歩く幼馴染の秀和は、眩しそうに目を細めて首を傾げた。
「雨? 降ってないだろ。アスファルト、カラカラに乾いてるぞ」
秀和の瞳には、一点の曇りもない陽光だけが映っている。
やっぱり、見えてないんだね。
分かっていた。けれど、彼を透過して地面に吸い込まれていく光の粒を見ていると、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
この雨が見えるのは、私だけなのだと思い知らされる。
「私、もうすぐ転校するんだ。……だから、どろんする前に、言っておきたくて」
「どろんって。いつの時代の言葉だよ」
秀和が吹き出した。その屈託のない笑顔が、降り注ぐ雨粒に屈折して、万華鏡のようにキラキラと揺れる。
あまりに綺麗で、喉の奥が熱くなった。
「……好きだよ、秀和。ずっと前から」
絞り出した声は、雨の音にかき消されそうなほど小さかった。
その瞬間。
秀和の身体が、彫像のように固まった。
彼の視線が、それまで何もなかったはずの虚空を彷徨い、そして一点に止まる。
瞬きを繰り返す彼の瞳の中に、一粒、また一粒と、輝く雫が映り込んだ。
「……これ、か。遥香が見ていたのは」
秀和が震える手を伸ばす。
彼の指先が、空中で光を弾いた。
「見えるの……?」
「ああ。……今、見えた。バカだな、俺」
秀和は照れくさそうに笑った。
遮るもののない晴天の下、二人だけが、光り輝く豪雨に打たれている。
世界で一番優しい雨が、私たちを濡らし続けた。

